美しい1990年代 | 天使のエッセイ

美しい1990年代


わたしはダンスの関係などでも自分よりもずっと世代が下の
現在20台、30台の友達などが結構多いし、

普通に街の中とか、あとテレビのショーなどを見ていても思うのだけど、

最近の若者たちはやっぱりわたしの時代の人間たちとは全然違う!


日本ではどうなのかよくわからないけど、
アメリカの若者たち、

とてもさらっとしてるというのかな?


女性はさわやかで媚びてないし

男性も変に「俺は男だ!」ってやってなくて、

とっても付き合いやすいというのか、

若い世代の人たち、わたしは結構好きだね。グッド!合格



・・・・・・とはいえ、

やっぱりわたし自身の時代は

そうではなかった1990年代なんだよね!


1990年代に戻ると、

なんだかとってもワクワクするんだわ!ドキドキ



1990年代といえば30年前ってかんじ!
まあ、1990年代とはいっても、わたしの場合後半なんだけど、

それでもあの時代からもう20年以上経ってると思うと、
なんだかビックリ!


わたしの場合、1994年の9月に渡米しているのだけど、
その最初の5年間くらいに一番強烈な感覚があるの。


当時はすべてが目新しく、
いろんなことが起こったり、いろんな人と出会ったりしていた時期。

彼氏探しとかもね・・・・・・(笑)ラブラブ




当時、アメリカで大人気だった "Seinfeld" というショーは
今もわたしのお気に入りで、よく見ている。


なんか当時のニューヨークって
わたしにとってはとても大きな意味を持つ強烈な場所で、

その時代に引き戻されるからなのかもね。



ショーを見てもわかるけど、
その時代はやっぱり今とは全然違った!


物事に対する人のリアクションも違ったし、

常識の感覚も違ったし、

恋の仕方も違ったし、


なんか、今見ると別の星の宇宙人たちのようにも見える(笑)


若い人たちはこういうのを見て、
「やっぱりお父さんやお母さんの年代は違う!」って思っているのかもね。(笑)



けれどもわたし自身もそっちに近い年代。


若い頃は「女」を意識した
振舞い方、話し方、装い方など意識しまくっていたし、

あと、あの時代はインターネットや携帯電話などもマイナーだった時代で

すべでデジタルというのか、


ナンパは紙切れに書いた電話番号が交換されたり、

待ち合わせ場所でお互いに会えなかったり、

数日かかってこない電話にやきもきしたり、


・・・・・・そんな時代だった。


不便だったけど、
その不便さがつくりだす情緒とかもあったよなあって思う。


そしてわたしはそんな時代に若い自分を味わった世代。




その "Seinfeld" の後で2000年くらいに出てきたのが

"Sex and the city" で、

2000年になると
(2000年に結婚したせいかな? 笑)結構さめてきたわたしは、

当時その番組はそんなに好きではなかったのだけど、

登場人物たちの年代はそっちが自分と同じくらいで、

そのせいなのか、後になってから好きで何度も見た。


あの頃というのもまだそれ以前の90年代の状態を引きずっていた時代なので

自分にとってはとてもコネクトしやすい。


人がまだだいぶセクシスト(性差別者)的で、

でもそれだからこそ感じる情緒があったような時代。




面白いよね。


時代ってどんどん移り変わり、

人も社会もすべてがどんどん進化していくのだけれど、


進化したことによって消えていく情緒のようなものもある。



昔、自分が若かった頃には、親たちの時代の状況を見て、

どうしてそんな不便な時代に人同士がつながったり、
ましてや恋愛したりできたんだろうとか思ったけれど、


きっと今の若者たちはわたしたちの年代に対して
同じように感じているだろうし、


また、親の時代にはあったけど、
わたしたちの若い時代にはもうなかった情緒というのもあったんだろうなあ。


特にきっと、不便であればあるだけ、

実際に人同士が目と目を見詰め合って
会話することが大切だったような気がするから、

人同士のつながりは逆に密度が濃かったのかもしれないよね。



そしてその中間地点のフェイスブックとかなかった90年代もまた、

人と人とが実際にコンタクトすることの大切だった時代だ!


今の若い人が羨ましいと時々感じる反面、

そんな時代を生きられたこともまた

結構貴重なことかもと思ったりする。ラブラブ




たとえば、昔ハワイに旅行したときにこんなことがあった・・・・・・



すごく気になる素敵な人と夜、ビーチ沿いのバーで待ち合わせして、

でも両親との食事が長くなって遅れすぎたので、
これはまあ、縁がなかったのかもと、そのまま行かずにいようと一度思った。


けれどもどうしても胸が高鳴って我慢ができず、
もう2時間近くも遅れていたのに、

待ち合わせのバーへ向かって走った。


そしてバーに着くと、なんと、彼はいた!


嬉しさに涙をためて

「馬鹿ね。なんでこんなに長く待っていたの?」


・・・・・・そう彼に聞くと、彼は、

「きみはいい子に見えたから、きっと来るだろうと思ってた」

・・・・・・そう言った。


わたしたちはその後、甘く切ない夜をそのバーと夜のビーチで過ごした。



・・・・・・たとえばそんなこと、今だったらまずないだろうね。


待ち合わせに遅れそうな時点で電話連絡。


「行けません。ごめんなさい」とか、

「遅れるのでこの時間にできる?」とか、


そうすると、そのすべての経験が全然違うものになってくる。



現在、便利ですべてがよくなっていることは確か。



けれどもそれによってなくなっている情緒って

そういうことかなドキドキ