天使のエッセイ
  

 



「天使のレクチャー」の著者、ヒロコ・アイザックスのブログです。

心のこと、からだのこと、日々の思いや気づきをここで綴っています。


記事を読んで思ったこと、感じたことがあったら何でも書き込んで下さい。

コメントへのお返事はしておりませんが、すべての方の声に感謝し、大切にします。ラブラブ




     

        燦燦と 愛の花びら 降り注ぐ
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    Now here♪ /  Here I am♪-平和と希望そして愛

 

 

Amebaでブログを始めよう!
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天国からの伝言

本日、NY時間午後11:30、
Coco I. Issacsこと石葉浩子は、
Sethの腕の中で抱かれたまま、
空に旅立ち、虹の橋を渡りました。




彼女はこのブログを愛していました。




彼女はこのブログで繋がった絆を、
本当に大切にしていました。




このブログは、ずっと残していきたいと思います。






私を忘れないで…





彼女の最後のメッセージです。





これからも、彼女が残した、沢山のメッセージを
開いて頂き、彼女を思い出して下さい。





天使のエッセイ、ブログ管理人
充幸



神の大きな愛と共に


「神のもとに帰る」


・・・・・・ということを身近に思い始めるようになったこの頃



生きることをすっかりあきらめてしまったわけではないのだけれど、


なんとなく神のもとへ帰るということを
少しずつ意識していきたい気分になってきたというのかな




少し前までのように

自分はもうすぐ死ぬのかなと、

半分想像しているように、漠然とその状況を眺め、

頭で死についてを考える状態ではなくて、



それが実際に近づいてきていることを

感覚的に強く感じてきたというのか・・・・・・




元気になってもう一度会いたかった人たちのことを考えたり、

両親よりも先に逝くことを考えたり、

後に残される彼のことを考えたり、

後に残される猫たちのことを考えたり、



まだまだやりたかったこともたくさんある気もするし、

せめて白髪が出てくるまで生きてみたかったなとか、

素敵な60台とか、体験してみたかったよなーとか。

(美人薄命ってことかと、能天気に受け取るのもいいけど 笑)


なんでこんなに珍しく性質の悪い癌に
この自分がかからなくてはいけなかったのか?!

わたしはヘルシーなライフスタイルを
強く意識してきた人でもあったのに!

・・・・・・・とか嘆きたくなってみたり



そしてなによりも、

このユニークな
今の自分の体の中にいる私自身とのお別れっていうのも

とても悲しいのだけれど



「死」ということ自体を

もうちょっと別の方向から感じてみるってこともまた

大切なのかもしれないよね。




「死」は生きること自体と切り離せないものでもあるし、

たとえば死もただの消滅ではなくて、
そこには今生きるわたしたちには理解できないことがたくさんあるはずで、

すべてのことは、ここで生きるわたしたちが思っているよりも、

ずっとずっと限りなく大きなことだから。



こっちの世界があまりにも素敵だから

ついついこっちにしがみつきたくなっちゃうんだけどね・・・・・・あせる




そう!

こっちの世界は本当に素敵なんだよね。


失ってみなくてはそれに気づけないことも多いけど、


たとえば私自身が持っていたもの、生きてきた人生、

すべてがなんて美しく、素晴らしいものばかりだったとキラキラ

今はつくづくそう思うよ。



それなのに、ファイナンシャルの問題だとか、

自分が持っているものの代わりに持っていないもののことばかり
いつも考えていたから、

自分の人生の素晴らしさに気づけなかった。



わたしの人生は愛や美や夢やアートでいっぱいの

本当に美しくわたしらしい人生だったというのにね。



でも、まあ

今自分の人生が美しく、愛いっぱいで素晴らしかったということに
気づけただけでもよかったのかもしれない。ラブラブキラキラ




日々のごく普通の小さな幸せというのは、

実は何よりも人を幸せにするものなのだと思う。



おいしいものを食べるとか

美しい景色を見るとか

大好きな人と一緒に時間をすごすとか


・・・・・・・それに気づいて、

そういうことに感謝しながら生きられたら


それだけで人生のクオリティーは全然違ってくる!キラキラ



・・・・・・・なんか、今になって

それを言葉からだけではなく、感覚から感じられるようになったので、


もう一度それを実際に全身で感じながら
生きるという体験をしてみたかったと思っていたのだけど、


それはもうわたしにはかなわないことなのかしらね?




それならば皆さんがかなえてみて!


絶対に人生は100倍幸せで素敵になるから!




この記事、ものすごくゆっくりと

一行一行おきに休みながら書き、

何度も何度も戻ってきては、ちょっと書き足したりしながら、やっと書きあげて、


「アート・フォト・ギャラリー♥」


の翌日、4月21日に未来記事としてアップになるよう設定したけれど
(今は4月16日)

その日わたしはこっちにいるのか?あっちにいるのか?


いずれにせよ、わたしはいつも皆さんのそばにいて

これからもずっと若々しく、バカバカしいジョーク飛ばしてますよ。



みんな!愛してるラブラブ


これからもずっとねキラキラ




アート・フォト・ギャラリー♥

好きだよ♥



ひとが好きドキドキ





世界が好きドキドキ





友達が好きドキドキ





わたしが好きドキドキキラキラ











I love you みんな♥


Chemotherapy で癌の治療をしているのですが、

どうもやっぱりChemoはつらくて、

治療のたび10倍調子が悪くなってしまいます。しょぼん


3月26日に受けた3回目のChemoは特にひどくて、

その後、ひどいめまいと呼吸の問題に苦しんでいます。



このコンディションがあると、
インターネットのスクリーンを見るのが非常につらく、

文章を書くこともままならない状態なので、

この状態が落ち着くまでブログをアップすることが難しくなりそうです。



どれだけお休みしなくてはならないかはわからないのですが、
治療が続く間は無理かもしれないので、

長くなるかも。




寂しいけど、仕方ないよね。


ブログを書けない間も愛を送るからねドキドキラブラブドキドキ




実はわたしが患っている癌は、とても珍しい子宮癌で、

とてもアグレッシブで厄介なものなのね。


しかも、見つかりにくい癌のため、発見も遅れていて

わたしは生死の境目にいる状態なの。


たぶん、みなさんが想像するよりもずっと悪い状態だと思う。



でも、「生きたい!」っていう気持ちが強いので、

必死で戦っています。


とても優しくて素晴らしい夫がいるので戦えてると思っています。ドキドキ


本当に彼にはいくら感謝してもし足りません。


それと愛する皆さんがいるから!キラキラ


大好きな皆さんとまた会いたい!もっとお話したい!


・・・・・そんな思いから!




そんなかんじの今なのですが、

どうか、そんなわたしを応援し続けてくださいね。


ブログ書けない間も。



I love you. みんな!ラブラブ


I love you. 世界!ラブラブ


そして

I love you. このブログの世界!ラブラブ



「こころもからだもはだか」キラキラ



ずっとずっと、そんなオープンで、正直で、あるがままで、まっすぐな世界を


ずっと、ずっと、ここに!キラキラ









わたしに子供がいないわけ


わたしには子供がいない。



・・・・・・以前はこの冒頭で始まるブログを、

なぜかちょっと劣等感とか罪悪感を感じながら、よく書いたものだった。



今はというと・・・・・?


もうあまりそういう感覚はなくなったかな?

少なくとも罪悪感はほとんどない。

(でも劣等感はまだちょっとあるかも 笑)



昔は子供がいないことって、劣っているように思わされたけど、

今はだいぶそういう感覚も変わった。



結婚しているのに子供がいないと「どうして?」と過去にはよく聞かれて、

それに対する賢い回答を考えることに時間を使ったものだったけど、

今はそんなことを聞く人もほとんどいない。



今でもたまに
自分の親くらいの年齢の人にはそう聞かれたりするけれど、

そういう人たちも今はもう
ジャッジしようとしてそう聞いてくるわけではないことがわかるので、

そう聞かれても苦痛ではない。




そうね、わたしにはなぜ子供がいないんだろう?




もともとわたしは子供は大好きだった。


長女で、一番下の弟とは9歳くらい年が離れているのだけど、

小さな弟の面倒を見たり、一緒に遊んだりすることが大好きだった。


もう少し大きくなってからは
弟の友達たちなどとも一緒に遊んであげたりした。


2つ下の弟や従兄弟なども連れ出して一緒に遊んだりしていたので、

ずいぶんと小さな頃から面倒見がいいねと友達に言われたものだった。



子供が好きだったので、幼稚園か小学校の先生になりたいと思い、

大学の学部は教育学部を選んだ。



実際に学校の教員にはならなかったけれど、

大学卒業した後は塾の先生になり、

その後はバレエの先生になり、


またニューヨークへ渡った後も、
YWHA Educational alliance の日本語プログラムで、

アメリカ人の子供たちに日本語を教えたり
そこの日本語プログラムの教師をしたりもしていた。



自分で言うのもなんだけど、

わたしって子供思いの優しい、いい先生だったよラブラブ



あんまり先生っぽくはなくて、
どちらかというと子供にまぎれてしまうタイプで、

子供たちは悪さをしてもいい相手と
いけない相手をわかっているものだけど、

わたしはもちろん悪さしても大丈夫って思われていた人で、

キャンプの水遊びの時に
全身びちょびちょになるくらい水かけられちゃったりとかもしたなあ(笑)あせる




そんな子供好きのわたしだったんだけど、

なぜか自分自身が子供を持つっていうイメージがなかった。



ダンサーしていたせいもあるのかな?


(でも、それも凝り固まった考え方だったな。

わたしの先生の娘さんはダンサーで4人も子供がいる!

昔は結婚したら女性は自分のやっていたことをやめて
子供にすべてを捧げるべき・・・・・みたいな感覚があったので、

それがわたしにはToo much だったのかも?)




でもそんなわたしも
30台後半頃に子供が欲しいなあと思い始めたね。


それはある友達が
友達二人の子供たちの写ってる写真を送ってくれたことが原因。


41歳の時には、ちょっと遅めとはいえ、
かなり真剣に子供を持つことを考えたんだ。



でもなんかタイミングが悪く、

しかも子供ができにくい体質だったみたいで、

その願いは流れてしまった。



でも「流れてしまった」って言葉が出てくるくらいだから、

真剣といいつつも、それほど真剣でもなかったのかも(笑)


できれば嬉しいけど

まあ、できないのならできなくてもいいか・・・・・・みたいな。




子供の代わりに(?)猫たちの面倒をたくさん見てきたけど、にゃーにゃーにゃー

やっぱり子なしは気楽なもので、

自分自身がずっと子供みたいに、好きなことをしながら生きてきた。



それも楽しかったけど、

やっぱりどこかで子供いたらよかったな


・・・・・なんて思いも正直あったよ。




とはいえ、不思議なんだけど

昔から自分には夫がいるイメージは強くあったんだけど、

子供がいるイメージってなかったんだ。


だから2度も結婚したし、
結婚していない時も自分にはたいていいつも彼氏がいたけど

子なしってことなのかな?(笑)




それと、もうひとつ思うのは

わたしって兄弟で一番上のお姉ちゃんで、

しかもすぐ下の弟にはちょっと特殊なコンディションがあったり、
一番下の弟は年が離れていたりで、

子供の頃からあまり親に甘えたりなどの経験がなく、

それが影響しているところもあるのかなあとも思う。


自分の潜在意識が子供時代を取り返そうとしている

・・・・・っていうのか?



人間って深いよね!




なにはともあれ、

人間って本当に十人十色、ひとそれぞれ。


違いは個性だと思っているので、

子供がいるかいないかも、ひとつの個性でしかないわけで、


どっちがいいとか悪いとか論議するのはバカみたいな話だし、


昔の人たちみたいに子供のいない女は完成しないとか

逆に子供を産んだ女はもう女じゃないとか、

そんなばかげたことをいう気も少しもないし、



子供がいてもいなくても、

自分らしく幸せに生きていくことだけが大切なのだと思っているよ合格グッド!



子供いる人も、いない人も劣等感などいらなーーーい!!!キラキラ







美しさへの憧れ


一つ前の記事とも大きくつながる内容だけど、

わたしって背は低いし、そんなに華やかなわけでもないし、

まあ、ごく普通の一般的日本人女児として生まれてきた人だと思うのだけど、


美しさとか華やかさにすごーく憧れたんだよね。ドキドキラブラブドキドキラブラブドキドキ



視覚的な美には理屈抜きにとてもわくわくさせられるものがあって、

自分自身もそんなエネルギーを振りまける人であったらいいなあと

うんと小さな頃から美しく華やかな女性に憧れを抱いてきたんだ。ドキドキ



けれども実状は子供の頃のわたしはチビで、どっちかといえば地味で、

「美しく華やか」というかんじでは全然なかった。



今思えば、子供の頃のわたしには
清楚な感じの美しさはあったのかもしれない。


けれどもそれはまた、わたしの求めていたものとは違ったんだ。



そして中高生の頃は清楚な美しさも失い(笑)

本当に不器用なブス子ちゃんだった。




けれども高校を卒業して、
服装でも髪型でも自由に自己表現していい状態になってから

美人のイメージを作っていくことに成功した。



わたしはセンスがよかったし、自己表現が上手だったからだと思う。

素では勝負できなくても(笑)自分をどう装えば美人に見えるのかを
結構よくわかっていたんだと思う。合格



・・・・・・・とはいえ、

自分が本当は美しくないと思っている人が

自分を美しく見せることに執着してしまうのは結構大変なこと!


わたし自身もそのために
莫大なエネルギーや時間を使ってきたなと今、改めて思う。



しかも、いくら時間やエネルギーを注ぎ込んで努力をしても、

自分が根本的に求めている
スーパーモデルのような美には決してたどり着くことはないわけで、

なんだかわびしいといえばわびしい。しょぼん




でもね、最近の若い人たちの一部を見ていてふと思ったんだ。



自分の憧れ像にこだわるよりも、

ただシンプルに自分自身を美しいと感じて

愛すればよかったのではないかってラブラブ




現代はわたしが若い頃ほどは
美のイメージも凝り固まってはいない。


バービードールにも、普通の子のほかに
太目の子、背の低い子、背の高い子などができ、

その中でも太目のバービー(Curvy)が一番人気だという話グッド!



確かに最近は太っている人たちが

「わたしは太っているから・・・・・」と、

着たいものを着なかったり、
やりたいことをしなかったりする時代ではなくなってきて、

太目の美女たちがあらゆるところで大活躍しているのも目に付く。




わたしの若い友達たちも、

思い切り自己表現して、セクシーであることを恐れず、
また、素の自分に対してもオープンな人たちが多く

(がっちり化粧していなくても、
すっぴんで、無防備な自分に対してもオープンという意味で)


そういう彼女たちを見ていると、


ああ、自分ももっとあるがままの自分の中にある美を信じて、
のびのびと生きてくればよかったのかもしれないなあと思ったりする。



実際、彼女たちはスーパーモデルタイプではなくても

魅力的で綺麗なのだ!


逆にスーパーモデル的ではない子が
時にはセクシーな美しさの表現を上手にできるっていうところが

とっても魅力的なのだドキドキ



素のままでもいつも華やかで人の目を引くタイプではなかったとしても、

ふとした時に

「おおおー!!!この子ってこんなに綺麗だたっけ?!」

・・・・・って、
改めてじっと見つめられてしまうような美しさっていうのも素敵よね。ドキドキ




外見ばかりにこだわるのは浅はか。


けれどもそれと同時に、視覚的美に大きなパワーがあることも確か。



ただ、最近思ったのは、

太っている人も、小さな人も、大きな人も、

どんな人もみんなそれぞれに美しいんだなあっていうこと。



自分だってきっと、そんなにがんばらなくても、

わたしなりに美しかったんだろうと思うよ。



みんな誰もがそうだよね。ドキドキ




一番大切なことはきっと


自分の美しさに気づくことドキドキ



それに気づけたらきっと

他者の美しさにも気づけることだろう。ラブラブ




自分が他者より美しいことが幸せをつくるのではない。


人間がお互いの美しさに気づくことで

世界にいろんな色の花がカラフルに咲く。チューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫チューリップピンクチューリップオレンジキラキラ



今、ちょうどこの季節のように・・・・・・ラブラブ




チビの意味


実はわたしはとても背が低い。


150センチをちょっと超えるくらいしか身長がないのだ。


これは日本人としてもかなり小さいけど、

アメリカにいるとますます小ささが目立つ。



けれどもわたしは華やかさに憧れる人ドキドキ


そこにいるだけでパーッと周りが明るくなって、

人も魅了するような華のある美しさに大きな憧れがある。



背の小さな人でも

本当に小柄でかわいらしい感じのする人もいれば、

ふっくら、温かな感じのする人もいれば、

あまり背が低く感じない人もいると思うけど、


わたしの場合、結構一人だけで見ていると

そんなに背が低くは見えないタイプ。



もちろん、背が高くも見えないけれど、
たぶん158センチくらいには見えるんじゃないかな?

写真だけで見ると結構背が高い印象を持たれることもあるくらい。


顔つきが可愛らしいというよりは
大人っぽい感じだからかもしれないけど。




けれども、自分のその身長の低さには、

自分はとても縛られてきた感覚がある。



特にアメリカって、
身長は高ければ高いほどいいっていう感覚が大きいので、

なんか劣等感を感じさせられることが多かった。


NYCだと実際に身近に一流のモデルとかダンサーなどもいたりするわけで、

そういう人たちと自分を比べては、


自分は「華やかさ」とか求めるべき人種じゃないよなあ・・・・・DASH!


などと、思ったりしたわけで・・・・・・・。




けれどもそれでいて、
わたしは自分の体を使って自己表現することが大好きだった。ドキドキ


だからダンスにあれだけ夢中になったのだと思うし、

アート・フォトグラファーのモデルの仕事も大好きだった。



完璧に美しい容姿を持っていたらきっと、
ただカメラの前でポーズを取るだけだったかもしれないけれど、

自分はそうではない分、
体のすみからすみまでをつかって表現しようとする。


それが楽しかった。



そしてできてきた写真を見るたび新しい自分が発見できた。キラキラ



強い顔をした自分って、結構迫力で魅力的だなとか、

感情を入れた時に映像も魂を持ってイキイキするんだなとか、

時には自分のセクシュアリティーに恐れ多くなったりとか(笑)



自分では普段感じることのできない自分を感じて

目からうろこ・・・・ってことがとても多かった。



そんな自分が一人で映っている写真からは

確かにわたしの身長がそんなに小さいとは全く感じさせられなかった。



そんなわたしだから、本当はもっと背が高いほうが

もっと自分らしく生きられたんじゃないのかとか思ったりするのだけれど、


その反面、この身長の低さ自体が

本当は「自分らしい」のかもとも思う。




日本のいた頃は自分の小ささが好きだったこともあった。


なんかこれだけ小さいと、

恥ずかしがらずにどっぷり人に甘えられるっていうのか(笑)

おちゃらけて、可愛い人でいてOKっていうのか・・・(笑笑笑)

いつまでもツインテールにおリボンしててもOKっていうのか(笑笑笑笑笑)


・・・・・・そんなところが楽で好きだった。ラブラブ



多分わたしはもともと、
そんなにカッコよくなくても、人から一目置かれなくても、

あまり生真面目にならず、軽快に、
子供のようにいつもスキップしながら生きたい人だったからかもね。音譜




実際に、たとえばダンスの中でも
小さいことがプラスになっていたことというのも結構あって、


たとえば眠りの森の美女の「赤ずきん」のピースを
身長のとても高いウクライナ人のダンサー、オレッグと踊った時だとか、
(二人の身長差がとてもダンスを面白くしたんだ♪)

わたしの体重の軽さのために迫力のある大技ができたりとかね。


決してわたしの身長の低さが裏目に出ることばかりではなかったんだよ。



自分の身長の低さも、欠点ではなくて

自分の個性のひとつとして、
受け止めてあげられればよかったのかもしれない。

ひたすら隠そうとするのではなくてね。




人間、十人十色

すべての人がそれぞれに違ったものを持っている。


そのすべてがそれぞれの持つ個性であって、


嫌われるべきもの、恥らわれるべきものなど

何もないのかもしれないよね。



あるがままの自分の細部まで愛せるようになりたいねドキドキラブラブドキドキラブラブドキドキ








美しい1990年代


わたしはダンスの関係などでも自分よりもずっと世代が下の
現在20台、30台の友達などが結構多いし、

普通に街の中とか、あとテレビのショーなどを見ていても思うのだけど、

最近の若者たちはやっぱりわたしの時代の人間たちとは全然違う!


日本ではどうなのかよくわからないけど、
アメリカの若者たち、

とてもさらっとしてるというのかな?


女性はさわやかで媚びてないし

男性も変に「俺は男だ!」ってやってなくて、

とっても付き合いやすいというのか、

若い世代の人たち、わたしは結構好きだね。グッド!合格



・・・・・・とはいえ、

やっぱりわたし自身の時代は

そうではなかった1990年代なんだよね!


1990年代に戻ると、

なんだかとってもワクワクするんだわ!ドキドキ



1990年代といえば30年前ってかんじ!
まあ、1990年代とはいっても、わたしの場合後半なんだけど、

それでもあの時代からもう20年以上経ってると思うと、
なんだかビックリ!


わたしの場合、1994年の9月に渡米しているのだけど、
その最初の5年間くらいに一番強烈な感覚があるの。


当時はすべてが目新しく、
いろんなことが起こったり、いろんな人と出会ったりしていた時期。

彼氏探しとかもね・・・・・・(笑)ラブラブ




当時、アメリカで大人気だった "Seinfeld" というショーは
今もわたしのお気に入りで、よく見ている。


なんか当時のニューヨークって
わたしにとってはとても大きな意味を持つ強烈な場所で、

その時代に引き戻されるからなのかもね。



ショーを見てもわかるけど、
その時代はやっぱり今とは全然違った!


物事に対する人のリアクションも違ったし、

常識の感覚も違ったし、

恋の仕方も違ったし、


なんか、今見ると別の星の宇宙人たちのようにも見える(笑)


若い人たちはこういうのを見て、
「やっぱりお父さんやお母さんの年代は違う!」って思っているのかもね。(笑)



けれどもわたし自身もそっちに近い年代。


若い頃は「女」を意識した
振舞い方、話し方、装い方など意識しまくっていたし、

あと、あの時代はインターネットや携帯電話などもマイナーだった時代で

すべでデジタルというのか、


ナンパは紙切れに書いた電話番号が交換されたり、

待ち合わせ場所でお互いに会えなかったり、

数日かかってこない電話にやきもきしたり、


・・・・・・そんな時代だった。


不便だったけど、
その不便さがつくりだす情緒とかもあったよなあって思う。


そしてわたしはそんな時代に若い自分を味わった世代。




その "Seinfeld" の後で2000年くらいに出てきたのが

"Sex and the city" で、

2000年になると
(2000年に結婚したせいかな? 笑)結構さめてきたわたしは、

当時その番組はそんなに好きではなかったのだけど、

登場人物たちの年代はそっちが自分と同じくらいで、

そのせいなのか、後になってから好きで何度も見た。


あの頃というのもまだそれ以前の90年代の状態を引きずっていた時代なので

自分にとってはとてもコネクトしやすい。


人がまだだいぶセクシスト(性差別者)的で、

でもそれだからこそ感じる情緒があったような時代。




面白いよね。


時代ってどんどん移り変わり、

人も社会もすべてがどんどん進化していくのだけれど、


進化したことによって消えていく情緒のようなものもある。



昔、自分が若かった頃には、親たちの時代の状況を見て、

どうしてそんな不便な時代に人同士がつながったり、
ましてや恋愛したりできたんだろうとか思ったけれど、


きっと今の若者たちはわたしたちの年代に対して
同じように感じているだろうし、


また、親の時代にはあったけど、
わたしたちの若い時代にはもうなかった情緒というのもあったんだろうなあ。


特にきっと、不便であればあるだけ、

実際に人同士が目と目を見詰め合って
会話することが大切だったような気がするから、

人同士のつながりは逆に密度が濃かったのかもしれないよね。



そしてその中間地点のフェイスブックとかなかった90年代もまた、

人と人とが実際にコンタクトすることの大切だった時代だ!


今の若い人が羨ましいと時々感じる反面、

そんな時代を生きられたこともまた

結構貴重なことかもと思ったりする。ラブラブ




たとえば、昔ハワイに旅行したときにこんなことがあった・・・・・・



すごく気になる素敵な人と夜、ビーチ沿いのバーで待ち合わせして、

でも両親との食事が長くなって遅れすぎたので、
これはまあ、縁がなかったのかもと、そのまま行かずにいようと一度思った。


けれどもどうしても胸が高鳴って我慢ができず、
もう2時間近くも遅れていたのに、

待ち合わせのバーへ向かって走った。


そしてバーに着くと、なんと、彼はいた!


嬉しさに涙をためて

「馬鹿ね。なんでこんなに長く待っていたの?」


・・・・・・そう彼に聞くと、彼は、

「きみはいい子に見えたから、きっと来るだろうと思ってた」

・・・・・・そう言った。


わたしたちはその後、甘く切ない夜をそのバーと夜のビーチで過ごした。



・・・・・・たとえばそんなこと、今だったらまずないだろうね。


待ち合わせに遅れそうな時点で電話連絡。


「行けません。ごめんなさい」とか、

「遅れるのでこの時間にできる?」とか、


そうすると、そのすべての経験が全然違うものになってくる。



現在、便利ですべてがよくなっていることは確か。



けれどもそれによってなくなっている情緒って

そういうことかなドキドキ





ダンス批評家をしていた時


今日はあるアメリカ人の知り合い(夫の従姉妹)と
フェイスブックでNYCのリンカーンセンターのことを話していて、

思い出したことがあったので、それを書こうと思う。




実はわたしは昔、ニューヨークで

ダンスの批評家をしていたことがある。



・・・・・・とはいえ、当時はまだ20台後半

まだ若くて何もわかっていず、

上司にこてんぱんにやられながら
やっとの思いで仕事をしていたんだけどね・・・・・(笑)



自分ではわかっているつもりでいたんだけど、

やっぱりその若さで、
しかも、ニューヨーク生活も数年の浅さでは

プロとしてダンスの批評家をするなど10年早かった。



上司はとてもプロ根性の高い、
特に仕事に関しては厳しくシビアな人で、

自分自身もものすごくがんばるし、

雇った人も、今一使えないと感じるとバシバシと切っていく人だった。



わたしは当時のライターの雇用人の中では
年も若くて、経験もなくて、ミスばかりしている人だった。


ダンスの評論文に関しても、勝手に自己流に解釈して書いて

「これは全然見当違いなことを書いているわよ!全部やり直し!」

・・・・・と、強く叩かれたこともあった。(笑)


上司が日本へ行っている間にオフィスを任された時には、

ニュースフィードのために必要だった新聞を何日分も捨ててしまって、
帰ってきたボスにこてんぱんに怒られたこともあった。


あと、わたしは当時はすごく子供っぽく見える人だったので、
そのことを注意されたこともあったな。

ダンス批評家なのだから大人に見えなくては困るって。

オフィスにいた時に、デリバリーの人に
ボスの娘と思われたりしたことなどもあって・・・・・汗



けれどもわたしは
「自分はできる!」という姿勢でものすごくがんばる人だったことと、

それから素直に話を聞く人だったこと、

文章を書くのがとても好きで、これでもか!というほど書く人だったことなどから、

上司は時にはわたしの馬鹿げたミスに切れそうになっても、
わたしを解雇せず、使い続けようとしてくれたのだと思う。



上司はそんなわたしを育てようとしてくれていたから、

当時はずいぶんとたくさんの
ダンス・パフォーマンスを見させてもらっていた。



通常、ひとつのショーにプレスチケットが2枚来ることが多いので、
ライター一人でも、

「勉強に見てきなさい」と
もう一枚のチケットをわたしに回してくれることが多かった。


そのため、いつも劇場の中でも一番いいプレスチケットの席で
ずいぶんとたくさんのダンスパフォーマンスを観させてもらえた。



主にはABT(アメリカン・バレエ・シアター)

ニューヨーク・シティー・バレエ

ジョイスシアターなどに多く来る
ニューヨークの多くのコンテンポラリーのダンスカンパニー


季節的にはツアーにきた外国のバレエやコンテンポラリーのカンパニー
時にはフラメンコ、その他のダンスカンパニーなども

幅広くショーを観させていただいた。


映画の紹介文を書いたことも一度あった
(Time to kill っていう映画だった)

あと、ジャパンソサエティーに
岸田今日子さんが一人芝居のパフォーマンスに来たときには

その後のパーティーにも参加させてもらったこともあったな。



ボスは厳しいとはいえ、
その会社は小さな会社だったので

わたしの書いたダンス批評文は
毎月必ず1つから3つくらいは雑誌に掲載された。


特にわたしの父はそれをとても喜んでくれた。




その短いダンス批評家時代は
ニューヨーク大学の大学院をドロップアウトして、

「さあ、これからどうしようかなあ?」と思いながら
自分の道を探していた時期に起こったことだったのだけど、

結局、再びニューヨーク大学に戻って、
Continuing Education でフィットネスの勉強をすることに決めて、

ライターの仕事はそこで打ち切ることにした。



ダンスを観にいって批評文を書くというのは

自分にはわりと合っている仕事だったけど、

やっぱり当時はまだ
自分自身ががっつり踊ることのほうに興味があったかな。



ただ、今思い返してみても、

あれは自分にとっては素晴らしい経験、かつ思い出だったなと思う。



ニューヨークのシアターでたくさんのダンスを観たこと。

上司に叩かれながらすご~くがんばったこと。

自分のダンス批評文が雑誌に毎月掲載されたこと。


そのすべてがユニークで興味深いわたしの経験、かつ思い出になっている。ドキドキ



あまりにもいろいろありすぎたわたしの人生の中では
忘れられていることが多いその出来事は

実は忘れるには惜しいようなユニークで素晴らしい出来事!



ふと、ひょんなことから思い出すことができて本当によかったわラブラブ



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