美しさへの憧れ
一つ前の記事とも大きくつながる内容だけど、
わたしって背は低いし、そんなに華やかなわけでもないし、
まあ、ごく普通の一般的日本人女児として生まれてきた人だと思うのだけど、
美しさとか華やかさにすごーく憧れたんだよね。
視覚的な美には理屈抜きにとてもわくわくさせられるものがあって、
自分自身もそんなエネルギーを振りまける人であったらいいなあと
うんと小さな頃から美しく華やかな女性に憧れを抱いてきたんだ。
けれども実状は子供の頃のわたしはチビで、どっちかといえば地味で、
「美しく華やか」というかんじでは全然なかった。
今思えば、子供の頃のわたしには
清楚な感じの美しさはあったのかもしれない。
けれどもそれはまた、わたしの求めていたものとは違ったんだ。
そして中高生の頃は清楚な美しさも失い(笑)
本当に不器用なブス子ちゃんだった。
けれども高校を卒業して、
服装でも髪型でも自由に自己表現していい状態になってから
美人のイメージを作っていくことに成功した。
わたしはセンスがよかったし、自己表現が上手だったからだと思う。
素では勝負できなくても(笑)自分をどう装えば美人に見えるのかを
結構よくわかっていたんだと思う。
・・・・・・・とはいえ、
自分が本当は美しくないと思っている人が
自分を美しく見せることに執着してしまうのは結構大変なこと!
わたし自身もそのために
莫大なエネルギーや時間を使ってきたなと今、改めて思う。
しかも、いくら時間やエネルギーを注ぎ込んで努力をしても、
自分が根本的に求めている
スーパーモデルのような美には決してたどり着くことはないわけで、
なんだかわびしいといえばわびしい。
でもね、最近の若い人たちの一部を見ていてふと思ったんだ。
自分の憧れ像にこだわるよりも、
ただシンプルに自分自身を美しいと感じて
愛すればよかったのではないかって
現代はわたしが若い頃ほどは
美のイメージも凝り固まってはいない。
バービードールにも、普通の子のほかに
太目の子、背の低い子、背の高い子などができ、
その中でも太目のバービー(Curvy)が一番人気だという話
確かに最近は太っている人たちが
「わたしは太っているから・・・・・」と、
着たいものを着なかったり、
やりたいことをしなかったりする時代ではなくなってきて、
太目の美女たちがあらゆるところで大活躍しているのも目に付く。
わたしの若い友達たちも、
思い切り自己表現して、セクシーであることを恐れず、
また、素の自分に対してもオープンな人たちが多く
(がっちり化粧していなくても、
すっぴんで、無防備な自分に対してもオープンという意味で)
そういう彼女たちを見ていると、
ああ、自分ももっとあるがままの自分の中にある美を信じて、
のびのびと生きてくればよかったのかもしれないなあと思ったりする。
実際、彼女たちはスーパーモデルタイプではなくても
魅力的で綺麗なのだ!
逆にスーパーモデル的ではない子が
時にはセクシーな美しさの表現を上手にできるっていうところが
とっても魅力的なのだ
素のままでもいつも華やかで人の目を引くタイプではなかったとしても、
ふとした時に
「おおおー!!!この子ってこんなに綺麗だたっけ?!」
・・・・・って、
改めてじっと見つめられてしまうような美しさっていうのも素敵よね。
外見ばかりにこだわるのは浅はか。
けれどもそれと同時に、視覚的美に大きなパワーがあることも確か。
ただ、最近思ったのは、
太っている人も、小さな人も、大きな人も、
どんな人もみんなそれぞれに美しいんだなあっていうこと。
自分だってきっと、そんなにがんばらなくても、
わたしなりに美しかったんだろうと思うよ。
みんな誰もがそうだよね。
一番大切なことはきっと
自分の美しさに気づくこと
それに気づけたらきっと
他者の美しさにも気づけることだろう。
自分が他者より美しいことが幸せをつくるのではない。
人間がお互いの美しさに気づくことで
世界にいろんな色の花がカラフルに咲く。
今、ちょうどこの季節のように・・・・・・