神の大きな愛と共に | 天使のエッセイ

神の大きな愛と共に


「神のもとに帰る」


・・・・・・ということを身近に思い始めるようになったこの頃



生きることをすっかりあきらめてしまったわけではないのだけれど、


なんとなく神のもとへ帰るということを
少しずつ意識していきたい気分になってきたというのかな




少し前までのように

自分はもうすぐ死ぬのかなと、

半分想像しているように、漠然とその状況を眺め、

頭で死についてを考える状態ではなくて、



それが実際に近づいてきていることを

感覚的に強く感じてきたというのか・・・・・・




元気になってもう一度会いたかった人たちのことを考えたり、

両親よりも先に逝くことを考えたり、

後に残される彼のことを考えたり、

後に残される猫たちのことを考えたり、



まだまだやりたかったこともたくさんある気もするし、

せめて白髪が出てくるまで生きてみたかったなとか、

素敵な60台とか、体験してみたかったよなーとか。

(美人薄命ってことかと、能天気に受け取るのもいいけど 笑)


なんでこんなに珍しく性質の悪い癌に
この自分がかからなくてはいけなかったのか?!

わたしはヘルシーなライフスタイルを
強く意識してきた人でもあったのに!

・・・・・・・とか嘆きたくなってみたり



そしてなによりも、

このユニークな
今の自分の体の中にいる私自身とのお別れっていうのも

とても悲しいのだけれど



「死」ということ自体を

もうちょっと別の方向から感じてみるってこともまた

大切なのかもしれないよね。




「死」は生きること自体と切り離せないものでもあるし、

たとえば死もただの消滅ではなくて、
そこには今生きるわたしたちには理解できないことがたくさんあるはずで、

すべてのことは、ここで生きるわたしたちが思っているよりも、

ずっとずっと限りなく大きなことだから。



こっちの世界があまりにも素敵だから

ついついこっちにしがみつきたくなっちゃうんだけどね・・・・・・あせる




そう!

こっちの世界は本当に素敵なんだよね。


失ってみなくてはそれに気づけないことも多いけど、


たとえば私自身が持っていたもの、生きてきた人生、

すべてがなんて美しく、素晴らしいものばかりだったとキラキラ

今はつくづくそう思うよ。



それなのに、ファイナンシャルの問題だとか、

自分が持っているものの代わりに持っていないもののことばかり
いつも考えていたから、

自分の人生の素晴らしさに気づけなかった。



わたしの人生は愛や美や夢やアートでいっぱいの

本当に美しくわたしらしい人生だったというのにね。



でも、まあ

今自分の人生が美しく、愛いっぱいで素晴らしかったということに
気づけただけでもよかったのかもしれない。ラブラブキラキラ




日々のごく普通の小さな幸せというのは、

実は何よりも人を幸せにするものなのだと思う。



おいしいものを食べるとか

美しい景色を見るとか

大好きな人と一緒に時間をすごすとか


・・・・・・・それに気づいて、

そういうことに感謝しながら生きられたら


それだけで人生のクオリティーは全然違ってくる!キラキラ



・・・・・・・なんか、今になって

それを言葉からだけではなく、感覚から感じられるようになったので、


もう一度それを実際に全身で感じながら
生きるという体験をしてみたかったと思っていたのだけど、


それはもうわたしにはかなわないことなのかしらね?




それならば皆さんがかなえてみて!


絶対に人生は100倍幸せで素敵になるから!




この記事、ものすごくゆっくりと

一行一行おきに休みながら書き、

何度も何度も戻ってきては、ちょっと書き足したりしながら、やっと書きあげて、


「アート・フォト・ギャラリー♥」


の翌日、4月21日に未来記事としてアップになるよう設定したけれど
(今は4月16日)

その日わたしはこっちにいるのか?あっちにいるのか?


いずれにせよ、わたしはいつも皆さんのそばにいて

これからもずっと若々しく、バカバカしいジョーク飛ばしてますよ。



みんな!愛してるラブラブ


これからもずっとねキラキラ