育つということ | 呼吸大学過去ブログ

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存在の意義が変わったために、
このブログを続ける意味が失われました。
ですので、今後は形をかえて発信していきます。

ニュー・アース 
今日明日と、
フィットネスサロンのリーダーのための、
リーダーキャンプです。

今回、初参加であるT店のI 副店長と一緒に
参加させていただきます。

思えば、
私がこのお仕事をさせていただいてから
3年半がすぎました。

はじまりから今日に至るまで、
実にいろいろなことがあり、
振り返れば、いろいろな意味で
成長させていただいたと思います。

今日明日一緒のI さんは、
まだ23歳。

彼女が働き始めてから
2年半が過ぎました。

大学を卒業し、
チェーンの餃子屋さんで
少しだけアルバイトをしたことがある、
という社会経験をしただけだったI さんは、
実は、採用テストの漢字の読み書きと
簡単な算数の点が、あっ!と驚くほど
低かったのですが、明るい笑顔とはきはきと
返事をするところがすばらしく、
採用になりました。

ところが、
採用後の社内研修での自己紹介のとき、
からだを横にふりながら、
「あたしばかだから~~」という姿に
唖然とさせられ、
サロンのオープン準備の段階で、
仕事中に平気でipodから音楽を
流したり、なにか言うと、
え~やだ~~と言ったり、
する様子に、

こりゃ先行き大変だ!

と、ひそかにぞっと
させられ・・・


今思えば懐かしく、
お互いによい思いでです。


その後2年半で、
その彼女がどうなったかというと、

端的にいえば、
賢く、たくましく、強く、優しく
なったと思います。


いや、もともとそういう人だったんですね。


いろんなものが、
ほんとうの彼女らしさを、
彼女をして遠ざけていた。

今の彼女を見ていると、
私ってもともと・・・というのを
思い出し、
表出させている、
という感じがします。


そもそも
きゅうりがトマトになれないように、
人も、もともとのものと
違うものにはなれないと思います。



育つって、
もともとの自分になるってこと
じゃないか?と
ふと思いました。


その意味では、
私は、
生まれ落とされてから
半世紀がたとうとしている今、
ようやく、
少し、私になってきたと
言えるのではないかと思います。

その私は、
エゴイスティックな私とは
少し距離を置いた、
いのちの部分で、
すべてのものとつながっている
私の方。

この「私」の見方は、
行動科学研究所所長の
岩田静治先生、洋治先生、
から、
そして、両先生から教えていただいた、
エックハルト・トールの、
「ニュー・アース」や、
身の回りに起こったことから
学ばせていただきました。


育つ、というのは、
植物が育つような
自発性、自動性が主体になって
働く神秘のしくみだと思うので、
まちがっても、
私が育てました、
というものは、この世に
ひとつもないなと思うのです・・・。


(#^.^#)

と言いながらも、
やっぱり親からは育てていただき、
先輩や先生や友人や恩人に、
育てていただいたなぁと
思いめぐらします。


人間て、いや、宇宙って、
カオスです。


もともと矛盾したものなんだと
思います。


きっと、あらゆるエネルギーは、
あらゆる矛盾から
発生しているのではないかとさえ
思えてきます。


(~o~)





まみこが違うモノ食べてるよ!

 

 

 



 
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