閑話休題 死骸化された菜の花が不死鳥として蘇った田舎料理 | 呼吸大学過去ブログ

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存在の意義が変わったために、
このブログを続ける意味が失われました。
ですので、今後は形をかえて発信していきます。

菜の花の死骸 
菜の花の死骸化。

なんて恐ろしい言葉でしょう。


でも浮かんでしまった・・・
このフレーズが。


実はある八百屋さんから
届けていたただいた、
3種の菜の花のうち、
2種類は、
菜の花のアンチョビクリーム煮や
ブレイズになって大活躍し、
まみこさんと間見男さんを喜ばせ、
ふたりのおなかの中でその短い一生を
終えました。

菜の花さんたちを偲んでみると、
あながち、悪い生き方では
なかったはずだと思います。

なぜならば、
ふたりを幸せにし、
ふたりの肉体の礎となったから。

菜の花さんたちのおかげで、
ふたりの今があると言っても
過言ではありません。


ふたりのDNAには、
菜の花さんたちの歴史が、
ちゃんと刻印されているはずです。


さて、実は、
最後の1種類であったべか菜の菜の花さんが
行方不明になっていたのですが、
本日、ざるの上で白骨化されてしまっているところを、
まみこさんから発見されました。


m(__)m



っていうか、
ほんとうは、まみこさんが
伊賀に行く前に
ざるの上に置き去りにしたために、
こんな姿になってしまったのでした。


菜の花さん、
ごめんね。涙。


はい、カット。




この状態の菜の花を、
母の田舎(山形)では、
「くきたち(茎立ち)干し」と呼び、
冬の間の野菜がないときに
水で戻して煮物などにして食べるための
貴重な食料になっていたようです。

私がこれを知ったのは、
10年ほど前だったでしょうか。

叔母(母の妹)が、
突然思い出したように、
くきたち干しを山形から送ってくれ、
母が「懐かしい!」と言って、
私に、それを炒り煮にして
食べさせてくれたのです。


ちょっとほろ苦く、
ほろ甘いくきたち干しは、
はじめていただくのに、
どこか懐かしい、ほっとする
そしてじーんと胸にしみる味でした。


私にしてみれば、
DNAが知っている、
「母の味」だったのでしょう。


でもその当時の私には、
クキタチボシという響きが
音だけで一人歩きしている状態で、
クキタチボシのことを深く思うこともなく、
日常の母の思い出として
その存在は、
いつしか記憶の底に埋没されていきました。


それで、10年たって、
クキタチ(菜の花)が
人生において、
今までにない、
圧倒的な量をもって
私に向かってきたときに、
「それ」が
記憶の底から自動的に
脳裏へとダウンロードされたようです。


ままともやさんの店長の
長谷部敏子さんや、
生産者さんたちの
思いや労力を無駄にしたくない!
という気持ちから、
伊賀にあと3分で行っちゃうよ!
という土壇場に、
クキタチ干しの風景が
立ち上がりました。

そうか!

干せば無駄にしなくて済む!


まさに、青天の霹靂でした。


1週間も留守にするのですから、
冷蔵庫にしれておいたら、
間違いなく、
カビさんや腐敗菌さんたちの
ご飯になってしまうでしょう。

それは、本来的な地球的意味からすると、
けっして悪いことではないのですが、
土にそのまま還してあげられる
環境に、今の私は住んでいないので、
結局「ごみ」にすることになってしまう。
それは、地球さんにも申し訳ないですね。

ってことで、
瞬間的に、
ざるの上に菜の花さんを広げ、
無事に伊賀への往路に就きました。


昔の人の知恵は
すごいですね。


私たちが今日、
生き永らえることができているのは、
ご先祖さまたちの、こうした
知恵に支えられているからだと
しみじみ、ありがたく思います。




まみこが違うモノ食べてるよ!

 

 

 



 
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