五人のお客さんは7時半の朝食。

 

昨夜と今朝、五人の靴を乾かしている。

 

シンガポール人の六十代の二夫婦と、四十代のオーストラリア人女性という、国も年代も違うが同じ中国系という共通点なのか、すっかり仲良くなって、女性が出発するときはサヨナラの挨拶をして、談笑しながら別れを惜しんでいた。

 

四人も9時前に出発して行ったが、玄関前で私達夫婦を交え六人で自撮りしてから出発されるのをお見送り。

 

 

 吟友が亡くなり、葬式へ行ってきた。


新聞のお悔やみ欄では家族葬とあったので、11時からの葬儀の前に香典を置いて、故人の顔を見て帰ってくるつもりだった

 

長いお付き合いだったので、故人の名前を入れて、弔吟用のプリントしたものを作り持って行っていた。

 

喪主の長男さんに挨拶してプリントを渡し、棺に入れてくれるよう頼んだら、是非葬儀に参列して詩吟をして欲しいと言われたので、甘えさせて頂くことにした。

 

私は昭和47年入会で、大桑に教室が出来たのは48年だと思う。

 

その後、私が教室の代範を二十年程務めさせてもらい、飲み会の後に泊めてもらったことも二度ほどある。

 

様々な場面が思い出され、弔吟を紹介されてマイクの前に立ち、遺影を見ると溢れるものを押さえきれない。

 

「○○先生!」「好い戒名を付けてもらったね!」

戒名の頭に、詩吟の号をそのまま付けてもらっている。

そしてご自分の名前の一字と「僊」の字が使われていた。

 

「僊」は「仙」の旧字体で、仙人という言葉があるように、僊は「世俗を離れた高尚な人」という意味らしい。

 

御導師様に吟の号を使って頂いたことにまず礼を言って始めたが、御導師もこの場面で礼を言われ戸惑っていたかもしれない。

 

声は震え、不安定な朗詠だったが勘弁してもらおう。

 

出棺を見送った後の、山々と空がきれいだった。

 

12時半に斎場を後にし、故人と同期の会員さんの家に寄ってみたが、誰も居ないようだったので、どうしたかとこれも心配‥。

 

 

 一昨日の写真。

家の中に迷い込んで、出られなくなっていたようだ。

 

小さな鳥で、詳しくないがミソサザイというのかな?

 

スマホを15センチくらいに近づけて撮っても逃げない。

 

身体を低くしていたが、スマホに気を取られているうちに、左手で捕まえたら「ピーピー」と泣き続けていたが、すぐ外に向けて放してやったら3mほどヨタヨタ飛んで行って、窓の桟に停まっていた。

 

どれくらいの時間出られなくなっていたか分からないが、大丈夫だろう。

 

家の中に、何が目的で入ってきたのか訊いてみたい。