畑仕事をしていると、多くの外国人(だと思う)が私の写真を撮って行く。

 

私が家族の写真をよく撮るのだが、「ジイが外国人達から写真を撮られるのが嫌なのと同じで、ジイから写真を撮られるのは嫌だ!」と家族は言う。

 

家族写真は自分たち家族の記録だと思うのだが、私の考えは残念なことに受け入れられない。

 

以前割った薪は三女に積んでくれるよう頼んである。

 

歩く人達が、要らなくなった杖代わりの枝や竹を置いて行く。

 

残飯や野菜くずをコンポストに入れているが、完熟堆肥にはなっていないものの、畑に混ぜ込んだ。

 

3時半頃から雨になり、お宮から持ってきた割れ物や電球を仕分けして不燃ガラスの日に出すつもり。

 

 

 私達の岳風会では「吟道精神」という成文化したものを朗唱して教室を始めるが、この文もそうした文と同じように朗唱したらどうかと思う。