宝物。 | お空に行ったちび助とお母さんのブログ。~予定帝王切開からの新生児死~

お空に行ったちび助とお母さんのブログ。~予定帝王切開からの新生児死~

2017年8月24日、私はちび助のお母さんになりました。
しかし2週間後の9月6日、ちび助はお空に行ってしまいました。
自分の想いを整理する為にも、少しずつブログに書いていけたらと思っています。

先日、注文してあった息子の手形足形タイルと、病院からはカルテが届きました爆笑

両方とも、ここで出会った天使ママさんに教えていただいたものですキラキラ

お二人ともありがとうございますお願い

息子の生きていた証が増えるのは本当に嬉しい笑い泣き笑い泣き笑い泣き




まずはタイルですニコニコ

私は3つ注文しました!!

メッセージも入れられたし、素敵に仕上がって満足していますラブ


小さな小さなおててとあんよ。

手術の後はほとんど動かすことが出来なかったけど、ぷくぷくして本当に可愛いかったな。

強く握ったら壊れてしまいそうなこの手足を、この手で包み込んだ時の感触は絶対に忘れません。

大きいタイルは息子スペースに飾って、小さな2つのタイルは将来お家を新築した時に壁に埋め込みたいなぁと思っていますニコニコ





そしてカルテですキラキラ

検査結果等も含め、紙で166枚、CDR1枚を頂きました。

『私の知らない息子が記載されているかもしれない。』

カルテ開示の申請を行う上では、そんな期待が一番大きかったです。

息子は血液検査で遺伝子異常が明らかになりましたが、もし原因が分からないままだったら、今回のカルテ開示請求をすることに対して別の見方をしていたかもしれません。





率直な感想として、申請して本当に良かったと思っています。

正直、専門的な用語ばかりで内容はほとんど分からないし、息子の闘病の記録は私にとって辛いものでしかありません。

ページをめくる度にあの日々を思いだし、胸が苦しくなります。

それでも、息子とともに生きた日々の記録であるこのカルテは、私の宝物の1つとなりました。





カルテを見て、本当に沢山の方が24時間息子の治療をしてくださっていたんだという事を改めて実感しました。

なかなか改善が見られない息子の為に、あれはどうだ、これはどうだと、色んな可能性を考えながら治療にあたってくださっていたことも分かりました。

健康に生まれていれば、当たり前のように皆で抱っこをし、沢山の触れあいを持ち、これから多くの出会いがあるはずだったのに…と考える度に辛い思いをしてきました。

でも、生後すぐこれだけ沢山の人にお世話をしてもらえる子なんてそうはいないだろうと考ええれば、息子は色んな方と出会い、色んな方と触れ合い、私達があまり与えてあげられなかった人と人との温もりを感じられていたのかもしれません。

そう思ったら、少しだけ心が軽くなりました。





看護記録からは、私達両親の事もとても気にかけてくださっていたことが伝わってきました。

絶対安静の息子への関わりが制限されてしまう事に対し、少しでも息子と関わりが持てるように配慮してくださっていることも分かりました。

そして、私達の様子や看護師さんとの会話もちょこちょこと記載されていました。

良くなっても悪くなっても泣いてばかりいる私、モニターを凝視していた私、息子との触れ合いで笑顔になった私。

息子のことだけじゃなく、私達の事も常に見ていてくださったことに心から感謝です。




当時のことを思いだして。

毎日、その日最初の面会は不安で不安でしょうがなかったです。

昨日より悪くなってたらどうしよう。

どうかどうか、昨日より良くなっていますように。

そんな祈るような気持ちで、毎日NICUのドアの前に立ったことを覚えています。

息子が生まれてからは、常に気を張り詰めていたように思います。

可愛い息子が沢山の管や針に繋がれ、全身浮腫んでしまった姿が可哀想でたまらなくなて。

状態が悪化していれば不安で不安でどうしようもなくて。

昨日より少しでも良くなっていたら喜んで。

今まで見られなかった新しい息子を発見出来れば嬉しくて涙を流して。

本当にちょっとのことで一喜一憂する毎日。

会いに行っても、声をかけることしか出来なかった日々。

こんなにも自分が無力で悔しいと思ったことはありませんでした。

そして何より、段々状態が悪くなる息子を見るのは本当に辛かったです。

自分は日に日に回復してきてるのに、何で息子ばっかり…って。

でも、何も出来なくても、この子の側にずっとずっといてあげなきゃという気持ちは時間とともに強くなっていきました。

そんな私に出来ることが1つだけありました。

おっぱいが出るようにしておくこと。

いつ飲んでくれるかも分からない母乳を毎日必死に搾乳しました。

夜中も泣きながら搾乳していた事を覚えています。

心身ともに辛かったけど、息子がいつか元気になると信じ、息子が元気になった時にたくさんおっぱい飲んでもらいたいという想いだけで自分を奮い立たせていたように思います。

お陰で、お空にいっぱい持っていってもらうことが出来ました。





ここ数日は、あの2週間を思い出して涙がとまりません。

でも一方で、辛いと分かっていてもカルテを見ようと思えるまでに心は回復したのかもしれません。

自分の命よりも大事な息子。

そんな存在がこの世にあるんだという事実を、息子のお母さんになって実感しました。

身体はこの世からなくなってしまったけど、息子という宝物がいる私は、本当に幸せ者だと今は思います。





弘士郎、お母さん弘士郎の横で泣いてばかりいたね。

弘士郎が言葉をしゃべれたらどんな事を言ってくれたかな。

『お母さん、痛いよ。苦しいよ。』

って言ってたかな。

それとも、弘士郎は強くて優しい子だから、

『お母さん、僕は大丈夫だよ。頑張るね。』

って言ったかな。

でもね、お母さんは弘士郎の

『生きたい。』

って声が聞こえたんだ。

それなのに、守ってあげられなくて本当にごめんね。

これからもずっと弘士郎の側にいるよ。

今日も明日も、弘士郎を永遠に愛してるよ。

大好きラブラブラブ