朴裕河パクユハ著 「帝国の慰安婦」を読む 4 | 気になる映画とドラマノート

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ドイツと日本の戦後補償のちがい

 


 

 ドイツと日本を比べて、日本は反省が足りないという言い方は<韓国、中国、在日左翼の姜尚中や辛淑玉とその仲間たち、総連、朝日、毎日、岩波書店系、マルクス主義、フェミニスト、新左翼>の人々が繰り返し言う言葉である。

 


 

 この言説は、勘違いの本気で言っている場合と、確信犯でウソを承知で言っている場合がある。

 


 

 東京大学法学部の橋爪大三郎教授も言っているが、

 

 ① 日本と戦争をしたのは、毛沢東共産党ではなく、実際には、蒋介石国民党なのである。そして、蒋介石は軍人独裁者だった。日本人は軍人独裁者と戦争をしたことについて、ものすごく、申し訳ないと言って、毛沢東共産党に謝罪し、友好しましょうと言っているが、その共産党は、中國人民を過酷な境遇に陥れているため、富裕層にしても、居ても未来が無い感に陥り、海外移住が増加し続けている。

 


 

 ② 以上の思い違いが日本人に固定化したのは、朝日、毎日、岩波書店系メディア文化人、NHKが、日中国交交渉の時の「賠償を求めない」というたてまえの言葉を鵜呑みにしたために、多くの国民があまりにも何度も同じ言葉を聞かされ、中國人てなんていい人たちと、錯覚した側面がある。


 私自身、残留孤児の問題で、「中國人」ってものすごいいい人の面もあるんだな、と思った事があるが、よく考えると、あの地域は、元々、万里の長城の外の地域で、あの地域の人々は、日本人の開拓者たちと、仲良く交流していた側面のあり、日本人にそんな嫌悪感があった人たちではない。

 


 

 ③ 戦時中、ソ連を含む英米ソなど連合軍の陣営に属して、カイロ会談に加わっていたのは、蒋介石国民党で、毛沢東共産党ではなかった。そして、この国民党、共産党というのは、現在の自民党、共産党の関係ではなく、まさに殺すか殺されるかの交戦関係だった。

 

 というのも、日本の自民党も、日本共産党も一応、ひとつの選挙制度下で議会に集まっているが、中国の国民党、共産党の起源は、国内武力統一目的で、武器を持って発生したものであり、元来、日本からの抵抗を目的としたものでさえない。そもそもが、シリアのアイスルのような集団だったのだ。それを応援したのが、アメリカの富豪、宋ファミリーだった。

 


 

 ④ また、日本は韓国・朝鮮と戦争をしていない。

 

 そして、植民地については、国際慣行上、賠償や補償をする事になっておらず、これは、日本が植民地を正当化するしないという問題以前の事なのである。

 

 だからこそ、日韓協定に関わる金銭授受にいっさい謝罪と賠償の意味はない。

 

 金慶珠はこの点を正確に理解して、韓日協定は、慰謝料ではなく、財産分与だと言っている。一応、この解釈は正確なのだ。

 


 

 日本がすべて「協定」で解決済みと言っているのは、慰謝料的に支払う法的理由はなく、財産分与は終了した、と言っているのであって、外交的に不和を終わらせるために、口頭で、首相レベルで「腰低く、謝っている事実」とは、また、別次元の問題なのである。

 

 たしかに、かんちがいしやすい。よくマスコミは、「国民の理解が進んでいない」とか、「説明責任」と簡単にいうが、こうした事を口頭で説明するのは、池上彰でもむずかしいだろう。

 


 

 ⑤ ワイツゼッカーやブラントは深く、誠実に謝罪し、そして、補償もしている、というが、これも大きな誤解がある。

 


 

 ドイツのナチスの戦時下犯罪である、ユダヤ人強制収容所の実態は、完全明白に、証拠のあるもので、日本の南京大虐殺、従軍慰安婦強制連行20万人、三光作戦、万人坑・・などは、どれも、「UFOの写真は見る人が見れば皆、トリック」というのと同じくくらい、不明確で論争の絶えない事柄なのである。

 

 正確に言うと、ニュールンベルグ裁判は、「人道に対する罪」で、東京裁判は、「開戦に対する謀議」が問われたものだという事もこの事考える点で重要だ。

 


 

 そして、ふたつとも、異例の「事後立法」で、裁くために、急きょ作り上げた法律だが、「人道に対する罪」は、ある程度理解できないことはないにしても、「開戦」が犯罪になるという考え方は、裁く側の弁護人がしきりに、おかしい、と主張し、また、ウエブ裁判長は、何年もして、あれは、間違っていた、と回想した。

 


 

 この時、なぜ、ドイツも日本も、「人道に対する罪」で裁かず、ドイツだけに「人道の罪」としたかというと、日本に「人道の罪」を問うと、アメリカの原爆使用にはね返ってしまうからでもあった。

 


 

 ⑥もうひとつ、重要なわかっておくべき点は、ブラントもワイツゼッカーも、西欧のキリスト教の長い伝統から発して、「罪」は個人が負うべきもの、と言う発想が強く、けっして、「ドイツ国民全員が罪と謝罪の意識を持っております」という発想で謝罪しているのではなく、外交上の政治責任者として、謝罪している事だ。

 


 

 ところが、この理解が不明瞭であり、日本、韓国、中国には、「親の罪は子の罪。子の罪は親の責任」という観念があるためなのか、きわめて頻繁に「わたしは、申し訳ないし、自分の孫子の代まで、謝罪し続けてほしいと願っている」と言う人まで、現実におり、「日本国民全員が謝罪して、謝罪し続けるべきだ」という声も雨後のたけのこのように湧いてくる。


上坂冬子は、「えーっ?本気?自分の謝罪意識を孫にまで負わせる気なの?」と呆れていた。


 


 

 以下はほんの一例に過ぎず、集めれば無数にあるだろうが、日本人も韓国人も、孫子の代まで、追及する、謝罪すべき論の実例に事欠かない。

 


 

 ※ 1999年12月10日「戦争犯罪と戦後補償を考える会」で元日本弁護士連合会会長の土屋公献氏は、「日本と日本民族の責任は世代が代わっても引き継がれる」と、こういった。

 


 

 もっとも、世代が代わっても引き継がれれば、日本の平和運動は、「戦争犯罪糾弾」という形で永遠に「生きがい」に事欠かないわけである。

 


 

 ⑦次の事も知っておくべきことだろう。

 

 アメリカの「リベラル」の考え方の特徴である。

 

 アメリカのリベラルというのは、マルクス主義ではなく、基本的に普遍正義、ヒューマニズムの観点からの告発者であることが基本で、これが時に日本、韓国のフェミニズム、マルクス主義者の日本批判と結論だけが一致してしまうので、同じ思想かという錯覚に陥りやすい。

 


 

 日本、韓国、中国の日本批判者は、日本が世界最悪だと言いたがるが、アメリカのリベラルが、日本の「歴史修正主義リ・ビジョニスト」を批難する場合、「日本が世界最悪」だとは考えているわけではない。日本も、率直に過ちを認めよ、というのがその主張だ。

 


 

 その点、韓国が「世界史に例のない悪逆非道の帝国主義、植民地主義の最悪日本」と、言っているのとは、アメリカのリベラル派の日本批判者はちがう。

 


 

 アメリカのリベラル派というのは、「アメリカ自身の歴史上のさまざまな過ちへの公式の謝罪は済んでいない。イギリスのインド支配、フランスのアフリカ、アジア支配もひどい。日本の過ちはかなり小さい。しかし、日本は、過ちの歴史を否定するな。」と、こういう主張なのである。

 


 

 ※これがまた、その日本の過ちは、放置すれば、中国、韓国の言い分通りに、巨大な所業として定着してまうではないか、という日本側の反論とアメリカのリベラルの否定するな論がぶつかるために、話はややこしくなる。

 


 

 ⑧ 埼玉県在住の劉彩品氏(元中国科学院教授)は、「中國人が個人補償を求めはじめたのは、1980年末からで、その理由は、日本人旅行者が中国各地を観光する際、基本的には、リッチに見えたので、リッチな日本に対して、賠償請求をするべきではないか、なんで、中国政府の馬鹿野郎は、賠償を放棄したのか、という不満があるのだという。

 


 

 ⑨ 1951年9月のサンフランシスコ講和会議には、49カ国が署名した。

 

 その内容に、「日本に対して賠償請求ができるのは、蒋介石政権、および、日本国軍隊に占領され、損害を与えられた連合国」とされた。

 


 

 正しいかどうかはともかく、少なくとも、国際合意上、中国も南北朝鮮もこの概念に含まれなかったし、また、49カ国の合意は、中国も南北朝鮮も含めないと決めた。

 


 

 韓国は、含めてほしい、と主張したが、却けられた。韓国人はどこかの地域にイスラエルみたいに、もっとはっきりした形で日本に挑んでいれば、話は別だったかもしれないが、それほど明確な抵抗をしたわけでもなく、戦後、抵抗心はあった、とあとづけを主張したが、結局、国際社会は韓国の主張を認めなかった。

 


 

 韓国人の主張がつねにアメリカ、ヨーロッパが韓国に見方してくれるかどうか、必死に気にかけるのも、この出発点のもたらす、よるべ無さ、悔しさに起源があると見てもよいかもしれない。

 


 

 ドイツとフランスの関係を日本と韓国の関係の見本にしようとするのは、もはや2000年以降の韓国に定着した発想だが、フランスのような超先進国と韓国を並べてみたい欲求は、ほとんどいたましく、いたわしく思わざるをえまい。

 


 

 ヨーロッパや中東からすれば、日露戦争に勝利した日本は、別格の国であり、ドイツの工業生産の品質と対抗できる日本、フランス、オランダの美術に影響を与えた江戸の美術の重要性をおもえば、韓国はなにを勘違いしているのか、と笑われる事になってしまうのだが、まったく、気付かずに、フランスも韓国と同じ立場、とフランスに握手を求めて、ギョっとされているのが、実態なのである。

 


 

10.次の点も見逃せないと思う。

 

 ①日本には、親の汚名を晴らす事は子としての個人的倫理として善だと考えられ、同じように親が犯した隠すべからざる悪徳を子が謝罪し、負う事も殊勝な善だと考えられている。

 


 

 ②中国、韓国の場合も日本と類似の同族連帯責任の古俗はあるのだが、現代では、これを機会主義的に、親の罪は子にも責任がるはずだから、責任を取れ、と言う形で現在の自己の経済的利得に転じる個人主義・現世主義の側面を持つ無倫理性も合わせ持つのが、韓国・中国。これが中国、韓国の時にしたたかな手のひら返しの原因でもある。

 この点、日本人のほうが、過ちに直面した場合、潔癖で、幼稚な対応に陥りやすいとも言える。むしろ、「くどく」、物事を真に受けるのは、日本人のほうかも知れない。


 もっとも、日本も、吉田首相、田中角栄時代と、どんどん、お金のためなら、どんな歴史歪曲も丸呑みするというように変わって行った。

 


 

 ③ 米国の知識人のリベラルな観点からの戦争犯罪の批判は、日本、「中国・韓国」の観点とは、根本的にちがう。米国の知識人が国家犯罪の事実を直視せよ、と言っている名あて人は、国家の指導者に対して言っている事で、米国のリベラルに「国民すべてが罪を背負う」という観念は一切ない。

 


 

 なぜ、アメリカのリベラルが指導者に対してだけ、反省を要求するかというと、近代国民国家の最も進歩した形態がアメリカだ、という進歩主義観念を含む「国家とその指導者」の優劣の判定という観念があるからだ。

 

 日本の知識人には、日本が国家の発展段階の最も進歩した形態が日本だという意識は、明治開国以来、生まれようがなかった。日本には、ソ連をお手本とするか、アメリカにあこがれるか、日本の伝統を誇りとするかの選択があったが、自己の属する国が世界史の最高の進歩形態だという観点は生じる要因はなかった。

 


 

 「国家運営に参画する人民」、「人民の人民による人民のための」と言う事と、「過去に父祖の犯した罪責を子どもが負うとは、まったく別の話なのだ。

 


 

 ④基本的にアメリカおよびヨーロッパの罪観念は、最も、深刻な罪に直面する場面では、親と子はまったく独立していて、親の罪は親の罪以外のなにものでもなく、子の罪は子の罪以外の何物でもない。神への信仰は個人の心の問題で、戦時に悪徳を犯したとすれば、個人の、神への信仰がなかった証拠だからであり、その事は、親または子の神への信仰があるかどうかとは、関係ない。


 神との関係に関わる「罪」において、子と親はまったく関係ない。

 


 

 ⑤ アメリカの政治家にとって、「人民の人民による人民のための」国家と、その指導者がいるのであり、共産主義国家においても、「労働者・人民主権の国家」とその指導者と言う対があるのだが、日本の市民主義者は純情であるため、「指導者」のない、「国民主権」「人民主権」を真に受けているために、かぎりなく「無政府主義」に近接した論理が噴出するのは、そのためである。日本人は心の奥底で、指導者のいない平等でおだやかなおもいやりと謙譲に支えられた郷土を恋こがれているのかもしれない。

 


 

 日本人が学校生活や職業生活の軋轢の中で、自殺したり、精神疾患に陥るのは、指導者のいない平等でおだやかな、おもいやりと謙譲に支えられた郷土を恋こがれて得られない苦悶に直面したのだともいえる。

 


 

建国の神話・物語は、共同体の同族意識の根拠になり、「本来、われわれは仲間であって、傷つけあう異族ではない」という紐帯の役割を果たす。それは、同じ神話を共有しない者は敵だという観念につながるゆえに、戦後日本の左翼は、神話・国旗・国歌を否定してきた。

 


 

 だが、大事なのは、アメリカに「マニフェスト・デスティニー」観念があり、「偉大なる共和制の民主主義国家という観念」があり、それらの神話が、共同体の同一性を保証する神話であるように、中国・韓国にも、抗日という神話・古朝鮮建国5000年という神話・「中華民族」4000年という神話がある。これらの神話は、放棄すれば、内戦の要因になり、強化すれば、対外紛争の要因になるので、否定すれば、平和になるわけではない。日本人は、対外戦争ばかりが、戦争だと思い込むようになった。

 


 

 はるか未来にたどりつくまでは、綱渡りし続けるしかないもので、神話・国旗・国歌・権力を否定すれば、国外戦争に打って出る可能性ははかぎりなく減少するが、国内の反目・紛争という平和の中の戦争は増加する。その自覚のもとに、綱渡りし続ける事がこどもたちへの責任なのだ。

 


 

 おそらく、韓国人が古朝鮮神話5000年に固執するのは、民族の誇りだけの問題ではなく、これを手放せば、親族離散の北の政府と南の政府が、本来は「同族・仲間」だという観念の根拠が無くなり、(王がいない事・宗教がキリスト教優勢になっている事)紐帯の根拠が「抗日」ひとつしかなくなってしまうからだ。

 


 

ドイツのワイツゼッカーは、「過去に目を閉ざす者は現在においても盲目だ」と、そこまで引用して、池上彰は褒める。が、その後にワイツゼッカーはなんと言っているかというと、「ドイツ人は被害者だ」だ。つまり、罪のないドイツ人とともに、被害者の皆さん、忘れないようにしましょう。ナチスの連中には、責任を取ってもらわないと、とこういう意味なのである。

 


 

 これと同じ事を日本が言ったら、さぞ中国、韓国は被害者ツラするな、と怒るだろうが、日本国民は日本軍国主義の被害者だと教えたのは、アメリカのマッカーサーたちだったのである。

 


 

 そして、韓国も日本の左翼も、ワイツゼッカーを見習えというのだから、いつも、わたしは、気の利いた落語の小話みたいに、ゲラゲラ笑う。

 


 

 第一次世界大戦でドイツは敗戦国、フランスは勝戦国の側で、この時の賠償が、過重だったことがドイツの暴走につながったとも言われる。

 


 

 ドイツは独立国でかつての勝戦国フランスに攻め込んだので、フランスは被植民地国でもなんでもないし、それどころか、フランスは東南アジア、アフリカに多数の植民地を持ち、搾取していた、

 


 

 にもかかわらず、韓国のマスコミは、いま盛んに、韓国はドイツの被害者フランスの立場によく似ている。と言い続ける。ドイツは、オランダ、イギリス、ポーランド、ソ連に侵攻したが、どこも、独立国だった。

 そして、ソ連はフインランドに侵攻してから、まもなく、ドイツに侵入された。


 

 日本がフィリピンに行ったのは、独立国フィリピンを侵略したというよりも、アメリカに強引に支配され、そのうち、アメリカナイズしてしまったフィリピンの島にアメリカ軍基地があるから、そこから、爆撃機がこないように行った。

 


 

 それが、日本の「なぜそこに日本人」などの番組などでナレーションで説明すると、日本は、フィリピンに侵攻した、となる。フィリピンに侵攻したのではなく、アメリカの植民地にされ、アメリカにいいように利用されているフィリピンに行った。(フィリピンを救いに行ったわけではないが、少なくとも、ドイツとポーランドの関係とは、まったくちがう)

 


 

 フィリピンは、まず、スペインに征服され、次にアメリカのアジア・太平洋戦略のために、アメリカがスペインから奪い取り、アメリカよ帰れと言ったフィリピンの抵抗ゲリラ5万人を殺し、巻き添えで住民20万人が餓死した、とアメリカ議会が認めている。

 


 

 そういうフィリピンに日本は行ったのだが、今でも、韓国人の多くは、日本は、アジアに侵略に行った、と思い込んでいる。

 


 

 アメリカの原爆投下や無差別爆撃は非道で戦争犯罪の類だと言えるにしても、それは交戦国への攻撃の一つだった。

 


 

 だが、ドイツの場合、ユダヤ人収容所虐殺は、まるで戦争相手の國民ではなく、多くは、ドイツ國民の中の、ユダヤ民族だった。交戦国への攻撃でもなんでもない。交戦国への攻撃でもないのに、あれだけの殺人をするのは、もっと悪い。

 


 

 この意味でも、日本とドイツと比べるのは、まったく別物を同じように見る浅はかな態度なのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・以下、朴裕河「帝国の慰安婦」の続き

上の問題とも関連するが、朴裕河は、欧米や日本・韓国の左翼の見方は、「朝鮮人業者の犯罪」と「当時、朝鮮人は日本人として、他のアジア人に優越意識を持っていて、慰安婦でさえ、少しばかりの日本の一員としての誇りを持ったり、その誇りを職業差別によって、否定されて幻滅していた事」の認識を欠落している点で、不備だ、という。
 

 51.歴史の皮肉にいたましい思いをするのは、朴裕河によると、朝鮮女性は、敵国女性ではなかったからこそ、慰安婦は軍人にとって、部隊の一員であり、女房のように、親しまれていたという見方である。これでは、現在の韓国人も唖然とするだろう。

 


 

 彼女たちは、「看護の仕事も習えば、銃の組み立てかたを習ったり、包帯の巻き方を習ったりしていた。また、兵隊たちが、前線から帰ってくるとエプロンをして迎えて、「ご苦労様でした」と迎えたりした。エンゲイカイをやるから、都会へ行って冬物、夏物、春物、の着物を買って帰る、と慰安婦のおばあさんたちは証言する。

 


 

 52.「戦場についた当初は、こんなからだのわたしでも、お国のために働けるのか、と思って、将校たちも、顔を見ると、ご苦労、と言ってくれたが、後方地域に行くと、共同便所扱いなの」という証言は胸がかきむしられるような気分になる。

 


 

 53.朴裕河は、なぜ「従軍」慰安婦という架空の形容を千田夏光が考え出したかについて、慰安所という風俗業の女性たちは、「部隊移動について、移動する時、ワンピースを着て、晴れ着や下着を入れたカバンを持って歩き、湿地帯を歩くときは、裾をからげて、歩いた」ので、これを「従軍」と言ったのではないか、と推測している。

 


 

 54.以上のように、朴裕河は、日本帝国主義による植民地支配、搾取という表現はしていても、韓国社会に生活基盤を置く歴史学者としては、限界に近いのではないかと思えるほど、学問的誠実を貫いていると言っていいと思える。

 


 

 55.朴裕河は泣いたのではなかろうか。

 

 日本兵と馬に乗って遊んだ思い出を話すオモニ。

 

 「写真もたくさん撮ってもらったけれど、韓国に帰ってくるとき、全部捨てちゃった。

 

 持ってると、問題になるかもしれないから。日本人だって、悪く言うと、キリがないし、日本人に恩を受けたと言えば、そうとも言えるし、負ける人が問題だよ。力がなかったんだから、仕方ないじゃないか。わたしたちが負けたんだから。

 


 

 日本人もいい人もいたりするじゃないか。」

 

 このような記憶を抑圧させるのは、韓国社会の抑圧であり、「帝国」がそうさせた、と朴裕河はいうが、それを言うなら、現在の世界の先進国も、後進国も一面においては、韓国とおう国家は韓国人を抑圧しているのだし、フィリピンはフィリピンの貧困層を救い得てはいない。この人類は、人類のためにこしらえたわけでもない世界に生まれて、つねに迷い、傷つけ合いながら、生き続けていることでは、世界に理想の社会は存在しない。