朴裕河パクユハ著 「帝国の慰安婦」を読む 5 | 気になる映画とドラマノート

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56.あたう限り、ごまかし、ウソをさけながらも、朴裕河は、(マルクス主義由来の)帝国主義批判を手放したくない執念でもあるかのように、日本の作家、古山高麗雄の「蟻の自由」の「兵隊と慰安婦の出会いなど、蟻と蟻の出会いほどにしか感じない」を引用して、「慰安婦が自分に意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、遠い異国の地に連れていかれた「強制連行」されたものである、という。

 


 

 わたしは、古山高麗雄の小説をかつて読んだことがあるが、そういうことではない思う。

 

 たとえば、アメリカに移民した世界中の移民、アメリカの片田舎からロスやニューヨークに働きに出た田舎者。日本の東北、九州、長野から、東京、大阪に出て仕事についた者はある種、自分の意に沿わない流れ者、根無し草を意識を心に奥底に持ってはいないか。それは、帝国主義が終わっても変わらないのではなかろうか。帝国主義がなくても、人は貧しさゆえに、他国に移住するのであり、孤独に身を噛むことはないか。この人間の孤独を帝国主義と結びつけるのは、無理があるのである。

 


 

 それにしても、朴裕河の次の言葉には、深く共鳴する。

 

 「軍人たちをかわいそうだと思った記憶は、抑圧され、うらみの慰安婦像だけが残る」と。そう言われると、ひとしお福島瑞穂の正義感は残酷だな、と思う。

 

 軍人との共感もあった人生の一面を捨て去って、うらみと政治闘争の道具として生きる道に乗せたのが、福島瑞穂たちなのだ。

 


 

 古山高麗雄は「遊郭には、通ったのに、慰安所には、抵抗を感じるのは、矛盾だろうか」というのは、わたしの考えでは、風俗業者も政府も戦地に行って死ぬ目には会うことはないのであり、戦地の慰安所とは、死地に行かねばならない兵士としての浮かない自分を社会が哀れんで慰めて、まあ、元気を出せよ、と言っているようなバカらしさがつきとうからだ。死ぬ心配のないおまえらが、慰安所なんか、用意して慰めるな、どうせ儲け仕事のくせに、ここまで来るな、といいたくなるのではないか。

 


 

 「運だよ。慰安婦なるのも運だ。兵隊さん、弾にあたるのも運だ」

 

 こういう会話をする女性が年をとって、政府を訴えるだろうか。ばかばかしくて、うったる気にもならないのではないだろうか。生まれる家が悪い、生まれる国が悪い。生まれた田舎が貧しいのが悪いという運もあるからだ。本気で政府が悪いと思えるわけがない。

 

 わたしは、この女性の世界理解はそれで正しいと思う。

 

 なぜかといえば、北朝鮮収容所ならば、こうは「運だよ」と言えないのだ。

 

 戦場の慰安所もソウルの遊郭も、吉原の遊郭も、アメリカのそういったハウスも、江戸時代から、本質的には、同じだが、全体主義国家の強制収容所や拉致はまぎれもない政府組織による国家犯罪なのだから、運とは言えない。

 

 戦争とは、かならずしも国家犯罪とは言えないのは、何故かといえば、古山高麗雄は、故郷の人々に武運長久を、と送り出されている事が重要だ。これが、戦争の大きな矛盾なのだ。

 

 ナチスのユダヤ人強制収容所は、ドイツ人一般に知らされずに行われた。ユダヤ人を嫌悪したドイツ人も、収容所を見れば、まさかそこまではやり過ぎだ、と思ったろう。拉致や強制収容所も、北朝鮮の多くの人は知らないのである。だからこそ、その被害者は運とは感じられないという側面がある。

 


 

 「日本人に抑圧はされたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だからね。わたしが間違った世に生まれたのも、私の運命。わたしをそのように扱った日本人を悪いとは言わない。」この言葉を聞いて、日本人は帝国主義を反省しよう、というのは間違いなのだ。強制収容所に入れられたユダヤ人や、北朝鮮の強制収容所に入れられた朝鮮の無実の人々が、「ナチスに抑圧されたよ。たくさんね。しかし、それもわたしの運命だからね。わたしが間違った世に生まれたのも、私の運命。わたしをそのように扱ったナチスを悪いとは言わない。」と、言えるだろうか。言えまい。だからこそ、言うのだ、帝国主義というが、いまだって、世界中の人は何事かしれない運命に耐えていきているではないか、帝国主義とは、そんなの極悪だったのか?北朝鮮の飢餓、強制収容所こそ、人類の敵ではないのか、と。

 


 

 57.「目立って幼い少女が来れば、日本軍は帰らせていた」と朴裕河は言う。だから言うのだ、わたしは。日本帝国主義とは、その程度のものだ。ナチスやスターリニズムはそんなものではない、と。また、アメリカは無慈悲に原爆を投下したではないか、日本の特攻でさえ、本人の身を犠牲にしてでも、敗戦濃い日本の将来のために尽くしたいという自己犠牲の心あって成立したが、原爆の犠牲者に自己犠牲の納得もなにもなかった。

 


 

 わたしには、正直、大日本帝国の悪は、李氏朝鮮や大韓帝国の悪よりも、ましにしか思えないし、北朝鮮よりもはるかにましだと思える。また、インドやアフリカを支配した英国やフランスよりもはるかに人間にやさしい。

 


 

 58.朴裕河は、「慰安婦を否定する人たちは民間業者が勝手に営業した」と主張する人がいる、と言っている。朴裕河の言っていることは、誤読しやすいはずだが、正確な史実では、軍は許可を出し、衛生管理に関与はしたが、運営はしていない。それは、市役所や区役所のレストランの職員が公務員ではないというのと同じ事だと言ってよい。

 


 

 民間業者には、ちがいないのだが、「勝手にやっていて、」まるで軍が関与していないわけでもない、という意味だ。

 


 

 106ページで、朴裕河は、かんじんな史実を明記している。

 

 「少女たちまで集めたのは、軍の意思ではなく、業者の意思」

 

 「多くの慰安婦を集めたのは業者が利益になるから」

 

 「集めてきた女性に性労働を強要したのは、軍人以前に業者」と。

 


 

 「軍人はたくさんお金を払い、慰安婦はお金をたいしてもらわなかった。なぜならば、業者が取ってしまったから。」

 


 

 これでは、日本帝国主義も極悪性が減じるばかりではないか。

 


 

 朴裕河は、だから、日本の慰安婦否定派が、慰安婦たちは、たくさんのお金を受け取ったというのは、間違いだ、お金は業者が取ったという。わたしは、大賛成だ、惨憺たる苦労をした女性を売春婦と罵るのは、おかしい。それは、出稼ぎ農民を、田舎者と罵るのにも等しい傲慢な態度だ。しかし、朴裕河の主張は、そのまま、日本帝国主義の極悪性を打ち消す真実の証明にもなっている。

 


 

 慰安婦の生活を地獄のようなものしたケースを、業者だ、業者が悪い、日本軍じゃない、と朴裕河は、口を極めて罵る。

 

 そして、「朝鮮人慰安婦は、下働きに中國人やインドネシア人を雇う事さえあった」と言う。(おそらく、朴裕河は、韓国の左派に向かってあんまり被害者ヅラばかりするな、みっともないと言いたいのだろう。)「順応協力が例外的なものだというのは、間違いだ。逆に、多くの人が、順応協力したのだ」と朴裕河は言う。

 


 

 59.日本の責任を免罪することを心配して、軍よりも業者のほうが悪いという事実に向き合うことを避けるのはおかしいというのが、朴裕河の立場だ。

 


 

 60.朴裕河は、かなり腹を決めてこの本を書いているらしくて、あらゆるウソをつぶして回るんだと決意しているようにも、思える。

 

 「日本軍は戦後、慰安婦を置き去りにしたり、殺した」という主張も、まるでデタラメだと言明している。

 

 戦後、「男に好きなように行け」と言われて帰るのだが、わたしでさえ、男とは、日本兵かと思ったが、朴裕河は、「男」とは、業者の事だ、と言うので、わたしは、あっそうか、そういえばそうだな、と思う。

 


 

 「日本兵よりもソ連兵がもっと耐えられなかった。それほど汚かった。」と朴裕河に慰安婦は言う。だが、人権派の女性たちが、ソ連やロシアに謝罪を求めたのは、聞いたことがない。

 


 

 朴裕河は、「日本軍体験よりもソ連軍体験のほうがひときわ恐ろしかったようである。」というが、もちろん、ソ連が社会主義の解放思想の国なのであるなら、女性をいたわらねばならぬはずだったが、そうしなかった。

 


 

 中國人もまた、共産主義の人民ならば、気の毒な朝鮮女性にやさしくするかといえば、「キーセンだと言って、つばを吐きかけた。」

 


 

 (むしろ日本軍人は彼女たちが故郷に帰れるよう努力し、業者が置き去りにした。9と朴裕河は書いている。120ページ

 


 

 朴裕河は辛辣にも、慰安婦自身が慰安所を経営する場合さえあって、日本敗北は、彼女らが財産を失う危機を意味したと書く。

 


 

 「日本兵の中には、慰安婦に対して、君たちはこの山を越えて行きなさい。ジャパンと言わず、コリアンと言えば、助かるから」と言う者もいた。

 


 

 ここで朴裕河はとてもいたましい事を言っている。

 

 <朝鮮人慰安婦の証言の中で、アメリカ軍と正面から出会った時、手をあげて出てこいと云われて、出て行った慰安婦に対して、日本兵が後ろから、「もてあそばれて、殺されるだけだから、死んだほうがいい」と言って、慰安婦を射殺したというのだが、朴裕河は、なんと、殺された慰安婦は、日本出身女性で、朝鮮人女性ではないと思う、というのだ。

 


 

 朝鮮人女性ではないとは断言できないが、日本人女性なら、軍人と一緒に自爆する覚悟があったはず、それは、虐殺ではなく、「玉砕」ではなかったか、と言うのには、驚く。どこまで、執念を持って真実に迫ろうとしていることか。

 


 

 そして、事実、日本人女性慰安婦が、朝鮮女性慰安婦に白旗を掲げて投降するようにすすめて、自分は青酸カリを飲んで死ぬ場合もあった。

 

 朴裕河は、朝鮮人だから、殺したということはほとんど考えられない。日本人に自決の慣行があったことに巻き込まれた場合だと思う、と書く。

 


 

 朴裕河がなぜ、この事を書くかというと、韓国国内では、敗戦後、日本軍が慰安婦を虐殺したと信じられている(「戦争と女性の博物館」の説明)からで、それは間違いで、たいていの慰安婦は帰国したと言いたいからだ。なぜ、慰安婦が少ないかというと、殺されて死んだからではなく、名乗り出ないからだ、という。

 


 

 ※これが、現在、アメリカの歴史教科書では、誤解されて、敗戦後、慰安婦は殺された、と記述されている。日本人ではなく、韓国人の朴裕河が日本人の真実を語っているのだ。

 


 

 60.ここまで来て、朴裕河が、法に基づく賠償ではなく、謝罪だけでよいという真意が明らかになる。戦場で死んで行った死者への謝罪だから、お金はいらないという意味なのだ。

 


 

 61.挺身隊問題対策協議会は、当初、たしかに、挺身隊と慰安婦を混同していた。まったく別物という認識がなかった。しかし、現在、挺身隊は別物という認識を持っている。ところが、最初は勘違いしていました、とは言っていない。だからこそ、今でも、挺身隊問題という看板を取り下げない、と朴裕河。

 


 

 62.挺身隊問題対策協議会の初代会長ユン・ジョンオクは、梨花女子専門学校時代、挺身隊招集状にハンを押すことになり、その翌日、退学届けを出す。

 


 

 この事とその後、目にする千田夏光の慰安婦本を結びつけている。

 


 

 自分も慰安婦にされる寸前だった、というのだ。勘違いもいいところで、工場労働へ行くのは、だましで、慰安婦にされるところだったんだ、とユン・ジョンオクは憤ったのだ。

 


 

 朴裕河は、それにしても、調査しても、勘違いにずっと気がつかないというのは、あまりにも、粗忽ではないか、と非難する。

 


 

 朴裕河は、次第に、勘違いに気づいたのなら、その経過を公のするべきだ、というのだが、これは、現在の朝日、岩波、テレ朝、報道ステーション、NEWS23が、いつまでは、自衛隊を否定し、いつからは、どういう理由で自衛隊の存在を肯定することになったのか、を言わないと同じごまかしなのである。

 


 

 63.朴裕河が挺身隊問題対策協議会の国民への説明に重大な過誤があると考えるのは、次の点だ。

 


 

 朴裕河の見方では、朝鮮人慰安婦、台湾人慰安婦は、業者による管理売春で、他のアジア諸国の慰安婦は、敵国女性であるがゆえに、懲罰的・拉致犯罪の側面があるので、朝鮮人と東南アジア、オランダ女性とを一緒にしてはいけない、という。

 


 

 また、日本は、朝鮮人を差別して、朝鮮女性をターゲットにしたのではなく、朝鮮が貧しい地方だったから、売春の供給地になったのだ、という。

 


 

 えー?そこまで言うか、というほど、朴裕河は書く事を書ききっている。

 

「貧困」「人身売買組織が活性化しやすい社会だったこと」「朝鮮の強力な家父長制」「言えのために犠牲となる女性性ジェンダー」などが、慰安婦を作った、という。

 

 ※間違いなく、日本の左翼の理解では、漫画家やくみつるが言ったように、「貞操観念の高い朝鮮女性が自らそんな仕事をするわけがないから、強制」だという見方だが、朴裕河は朝鮮の社会慣習、風土に原因がるという。

 


 

 64.また、朴裕河は、挺身隊問題対策協議会が、一切、朝鮮人業者の責任を問わずすべてを日本軍の責めに帰しているのが、おかしいという。

 


 

 協議会は、20万人説を含む複数の推定値がある、と言いながら、20万人以外の数値を示さない。

 

 博物館やホームページでは、日本が「日韓協定で決着済み」としているという事実は書かないのに、協議会の会長の著作では、日本側の言い分を書いている。

 

村山首相時代に、総理のおわびの手紙と、補償金を渡そうとはしたことは伏せている。

 

 これは、フェアではない、日本人がいっさい何もしていないみたいではないか、と朴裕河。この協議会のウソが、韓国マスコミの誤解を生んだ、と。