朴裕河パクユハ著 「帝国の慰安婦」を読む 8 | 気になる映画とドラマノート

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89.朴裕河に社会党の清水澄子は、「村山内閣は、実際には、議席数では、自民党は社会党の3倍だったから、議院立法はできなかった。(「慰安婦賠償特別立法」)と言ったという。


 アジア女性基金は、自民党の政務調査会のぎりぎりの妥協(日韓協定で解決済みのため)の末、政務調査会の全会一致をとりつけたうえで、閣僚の署名のみを行なって「閣議了解」という形で設立が決定されて、村山首相の「首相からの手紙」と「200万円」が渡されることになっていた。朝日新聞の下村満子らが、参加して、基金がすすめられた。


 内閣の決定で設立された財団法人というのが、アジア女性基金の性格だった。

 この時の朝日新聞の記事が実に馬鹿げた内容で、(1994年8月19日9

 「日本政府は従来朝鮮半島出身者を中心とする元慰安婦に対しては個人補償はしない」との方針を取っており、韓国の金泳三大統領も補償は求めないとの方針をとっており」と書いた。


 だが、この金泳三の言い草は、外交上のリップ・サービスそのもので、元来、個人補償の問題を韓国政府が「補償を求めない」と言っても、意味がない。大統領が、市民団体に、日本に補償を求めるのは、やめなさい、などと言えるわけがない。


 わたしのような反対論者などは、やりたかったら、やればいいじゃないか、と思うが、支援者たちは、慰安婦のおばあさんに受け取らぬように指示した。


 わたしの考えでは、支援者たちは、日本政府、国会が特別立法の上、謝罪することを願っているのではなく、そこまでするはずがないと見越した上で、謝罪しない日本は、「北朝鮮を非難するという無反省な態度に終止している」と批難していたいのが、目的なのである。この観点は朴裕河にはまったくない。


 90.おもしろいのは、このアジア女性基金ではダメだという支援者のうち、韓国側は、北朝鮮擁護のツールとして解決を拒んだに過ぎなかったが、日本側の支援者たちは、「民主党政権になれば、特別立法するはず」と思い込んでいた。

 しかし、実際は、民主党政権は、「日韓協定で解決済み」を乗り越えて大英断措置に出る大胆さをもちあわせなかった。


 91.2012年、李明博は大統領任期終了前に大きな仕事を残そうと考えて、民主党の野田首相に、人道的解決をしてくれ、と打診する。野田政権は、できると応じるが、韓国側では、北朝鮮と価値観を共有する左派支援団体に、おまえは、親日派そのものだ、と李明博を糾弾して、李明博は、あわてふためいて、野田首相サイドに、慰安婦問題は動かなくていいと依頼。その上で、親日派疑惑を打ち消すために、必死で、竹島上陸パフォーマンス、天皇は土下座せよ、と過激なパフォーマンスに走る。


 92.正確にいうと、日韓協定は、「独立祝賀金」「開発途上国に対する経済協力金」「徴用者とその遺族への未払い賃金と未払いがあったことへの慰謝料」「朝鮮人の軍人軍属の恩給、未払い給与」そして、この時申し出なかった分は、すべて第三者機関に訴えないかぎり、すべて済んだものとする。日本側の個人、企業を含むすべての財産は、韓国に差し上げる。請求はしない。・・・「謝罪」の意味での補償はない、というものだった。

この時の担当官僚、政治家は非常に立派だった。譲るところは譲り、引くべきでないところは引かなかった。これが、社会党政権なら、韓国の言うなりになって

いただろう。


 また、日韓協定の交渉では、韓国の文化財を返還するように要求があった。

 返還に応じる代わりに、旧京城帝国大学の購入した日本語の学術書、科学技術の和訳翻訳書のすべてを返還してもらうべきだった。


 そして、韓国側は、これを国民に勝ち取ったものだと説明し、韓国国民は、謝罪の意味なら、不足だと激怒した。

 ※政府間の妥協であって、この時、韓国国民に和解の意識は毛ほどもうまれなかった。朴正煕は、金日成よりも、はるかにまじめに、韓国国民の将来を案じてはいたが、選挙で就任した大統領ではなかった。


 93.植民地支配がなぜ、賠償請求問題にならないか、というと、植民地支配というのは、独立運動で支配勢力を追い出せばそれまでの事で、賠償を請求する独立戦争なんてのはないのである。

 朴裕河は、アメリカ、イギリス、フランスも植民地支配国だったから、日本の植民地支配を追及しなかっただけだ、というが、内戦に賠償もへちまもなく、毛沢東が蒋介石国民党に賠償を求める発想がなかったように、植民地解放に賠償請求があるものだと考えるほうが思い込みに過ぎない。なんでも、賠償、賠償と考えるのは、思い込みにすぎない。


 朴裕河は、これを「帝国後補償」というが、本来、帝国が帝国でなくなるのは、大英帝国、フランスが衰退して、世界の数々の植民地を失ったまでの事で、「帝国後補償」(つまり、戦後賠償ではなく、植民地賠償)なんてものはない。


 朴裕河は、ある国が、あんな事はしないほうが良かったな、と思うことは、皆、賠償して終了するものだと思っているようなのだ。


 94.朴裕河はそんなふうに思っているんだな、と確認しておきたい文章がいくつかある。


 「関東大震災の時、朝鮮人であるという理由だけで殺された人々」


 「帝国日本の方針に従わないという理由だけで投獄された人々」


 これに比べて「韓国は、過去において国家がなした不当な人権弾圧に対して「真相究明」を行う作業を行なった。


 ひどい言い草だ。まず、韓国が過去においてなした人権弾圧とは、2万人におよぶ左翼親北朝鮮派とそういう思想を疑われた無実の人々が殺された事件の事で、もともと、日本人は敗戦後、そんな愚劣な事はしてもいないし、戦争犯罪については、朝日新聞、岩波書店がウソもまじえてやるだけやっている。


 また、関東大震災で殺されたのは、チンピラや火事場泥棒がたまたま朝鮮人だっただけで、朝鮮人だから、こぜりあいになったわけではない。

 帝国日本の方針だから、ではなく、共産主義だから、逮捕しなければ、今頃日本も北朝鮮みたいになっていたではないか。


 朴裕河は、国家がやった事に対して責任を取ることは不可能ではないという。

 当然、その通り日本も、ハンセン氏病患者などの処遇やウィルス性肝炎の対応について謝罪し対策をとっている。なにもしていないわけではない。


 朴裕河自身、「日本は植民地支配に対する天皇や首相の謝罪はあった。」と書き、

「イタリアはリビアに「苦しい思いをさせた」と言い、「イギリスもアイルランドに対して、女王が謝罪した」と書く。そう書きながら、「植民地支配後処理」と明確にしていない、あいまいかつ非公式な謝罪だと朴裕河はなんともしつこい。

253ページ


 95.わたしは、朴裕河の慰安婦の実像を追究する姿勢は、買うものの、やはり朴裕河も、韓国人特有の幻想から覚めてないな、とおもう。


 日本には、歴史観が大きくわけてふたつある。大韓帝国がもっと自助努力とその能力のある国だったなら、協力して、ロシアの南下をおさえられたのに、無能な韓国のおかげで、日本はいい迷惑を被った、と言う考えと、まったく、逆に、韓国の人々を強圧で可能性のずべてを奪ってもうしわけなかった、するこのふたつだ。


 前者の考えからすれば、しかたがなくて背負わされて、日本国民の税金を持ち出しで韓国国民のために、逆恨みされて、なんで謝らなければならないのか、とんでもない、ということになる。植民地後謝罪の公式表明は、こういう考えが日本人の3割か4割にあうのだから、あるわけがない。


 朴裕河はそこまでは、気づいていないらしい。


 そして、韓国メディアにいわせれば、こういう考え方は、日本の極右なのだ。

 なぜそうなるかといえば、韓国の知識人の多くが、李氏朝鮮、大韓帝国に「西郷隆盛、島津斉彬、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作、福沢諭吉、江藤新平、夏目漱石のような人物、他にも無数の優れた人物が輩出したかどうか、を検証してみないから、かんちがいが解けないのだと思える。


 95.朴裕河がなぜ、「帝国の慰安婦」というかというと、フィリピン(アメリカの植民地としての)、オランダは敵国の女性であり、当時、朝鮮人慰安婦は、被害者であるばかりではなく、敵国人女性を雇い、帝国臣民であることを誇りとする女性だった、という意味である。


 したがって、「誇り」を強くもったり、「誇り」を傷つけられて幻滅することを繰り返す存在だった、と朴裕河は考えている。


 ※しかし、それを言うならオランダ人女性将校は、「傲慢と誇り」の権化で、アジア人を見下して、裸で着替えをしても平気だったと、会田雄次は言っている。


 朴裕河は、「現在の日本は本当に韓国をはじめアジア諸国と「深い理解と信頼に基づいた関係」を作りたいと考えているのだろうか。というが、日本人は、民間企業の交流、個々人の「なぜそこに日本人」みたいな形ででは、世界中で信頼されていると思う。一方、世界のどんな政府も、善意にあふれて、「深い理解と信頼に基づいた関係」を作りたいとも、作れるとも考えないし、考えたらいいようにだまされるだけなのだ。そのいい例が、世界遺産登録の韓国のだましうちだ。


 96.朴裕河は、鈴木裕子、西野瑠美子ら(おそらくは、親北朝鮮・新左翼)が、民主党、自民党を同じ穴のムジナとする特別法実現の徹底糾弾派、天皇制糾弾派、慰安婦問題を契機に日本国民を戦争犯罪徹底糾弾意識に糾合する機会とみなし、和田春樹や朝日新聞の下村満子らの自民党の穏健派と協力して、謝罪の態度を取る人々を是とする。


 つまり、①徹底謝罪させることによって、天皇制糾弾に繋げたい派、②天皇制に手をいれるところまでは考えておらず、じわじわとゆるやかに、謝罪姿勢を継続することによって、日本社会全般に親中国、親北、親韓国の近隣仲良く路線を築きたい派③頑強に、慰安婦娼婦観に立って、断固として、韓国、北朝鮮、中国の歴史プロパガンダを拒絶する派④いわば、文学的に、真相に近づく事をすべての判断の前提価値とする派

だいたい以上の四派が存在することになる。

朴裕河は、③により近く、③に属する人々の極端な自虐を史実を示して解くとともに、④の人々に反発しており、朴裕河自身は李氏朝鮮、大韓帝国の過去について、あまり強烈な不信感を持ってはいないし、国際関係について、善意で解釈している傾向がある。つまり、先進国の後進国への謝罪が和解の道筋につながるときわめて、善良に、完全に思い込んでいるのだ。


 97.わたしは、朴裕河が非常な執念で韓国の戦時中の新聞や日本の文學、韓国んも文學を検証して、歴史のウソと誇張を打ち消すことは、敬服するが、韓国のさまざなドラマを見るにつけ、歴史書を読めば読むほど、李氏朝鮮、大韓帝国は、西欧の脅威に鈍感、また西欧にまなぼうともせず、奴婢をこきつかってのうのうとしていただけの能なしで、家族を日本という他人に押し付けて、失敗をすべて、日本のせいにする、卑劣漢としか思えないのである。呉善花さんなどは、ある程度それがわかっていらっしゃる。


 朴裕河がこれに気づけば、どのツラさげて韓国が日本に謝罪しろ、(韓国の支援団体は、ゆるい謝罪でも、受け入れろと朴裕河。)と言えるのか、韓国国民を見捨てて、運命をまかせたのは、韓国の指導者自身ではないか。とわかるだろう。


 98.朴裕河が、なぜ、執念を持って、慰安婦性奴隷のウソと誇張を否定しているかというと、もっとゆるい被害だったのだから、ゆるい謝罪を受け入れろ、という意図もある。


 しかし、そこが左翼特有の異常心理で、大江健三郎のように、原発事故の映像をテレビでみれば、きたるべきアジアの核戦争を想起したと言ったり、安倍首相は、戦争をしようとしている、徴兵をしようとしていると言い、韓国の歴史学者、新聞記者の決まり言葉は、「歴史に例のない極悪の日本帝国主義」で、日本はナチスやアメリカ、英国よりも巨大な帝国に見えてしまうというのだから、まさしく、妄想病者。これでは、いくら朴裕河が、ゆるい謝罪でも、受け入れろと言っても受け入れるわけがない。受け入れるかもしれないと考える朴裕河は子どもすぎる。


 99.朴裕河は、業者の悪に注目せよ、業者の悪に。日本はそんなに極悪ではないぞ。だから、ゆるい謝罪でいいじゃないか。と言い、日本の全面否定派、あの人達は単なる売春婦という者には、「業者が悪くても、その原因をつくったのは日本」だ、と返す刀で斬る。


 100.「本来フェミニズムとポストコロニアリズム(植民地克服主義)の運動だったはず」と朴裕河。

 

「本来フェミニズムとポストコロニアリズム(植民地克服主義)の運動だったはず」なのに、「日本」民族をターゲットとして名指ししたために、男性糾弾が、日本糾弾とごちゃまぜになってしまった。

これは、マルクス主義的にも、矛盾で、貧困層女性の受難という階級支配批判が、日本民族批判に変わってしまっているのだ。(天皇制ファシズムと男性優位社会がもたらした日本特有の問題、という解釈をした朝日新聞の松井やより)


 朴裕河自身が正真正銘のフェミニズムとポストコロリアニズムの信奉者であることが、明かされる。

274ページ「男性と国家による女性搾取を隠蔽するレトリックによって、朝鮮人慰安婦は、日本帝国を支える愛国精神のもと、「慰安」の役割を担った。」


 要するに、マルクス主義は、ソ連の全体主義、毛沢東の全体主義が明るみになるに連れて後退し、代わりに全面に出てきたのが、女性による男性への逆襲がイコール社会の進歩革命の契機になる、という考えが出現したことを示している。


 救うべきは、貧困者、労働者、ではなく、まず、妻、独身女性、職業女性、娼婦すべての女性の人権こそ、もっとも人類の社会革命の契機になり、平和と反戦の契機、個人の自由の確立の契機にもなる。


 そして、世界革命においては、共産主義革命を諦めるかわりに、第3世界、第4世界の人々とのNGOによる連帯を求め、植民地主義批判をすることに、先進国批判の基準を置く。


 このように、マルクス主義は変態を遂げたと思われる。

だからこそ、朴裕河は、「植民地」と「女性の人権」にこだわる。


 101.朴裕河本人が、はっきりと、国民動員を可能にしたのは、ファシズムや帝国主義である、と左翼公式を信じている。

 しかし、それなら、北朝鮮は、帝国主義なのか、ファシズムなのか。また、フィリピン、韓国は、1990年頃まで国内にとんでもない数の売春風俗があったわけだが、それらは、ファシズムとか、帝国主義なのか。


 というのも、ファシズムや帝国主義でなくとも、貧困と都市化の進む地域では、売春が猖獗をきわめるので、ファシズムも帝国主義も関係ないと思う。


 102.チョン・ヨオクは「日本はない」1993年日本語版「悲しい日本人」(価値ある日本というのは無い。カスのようなガラクタの集積が日本だ、という意味)という評論を書いて、有名になり、国会議院になった。


 その中には「性モラルの希薄な日本人」とい書いてある。

 これもまた、女性の立場に立つフェミニズムが、日本女性批判という形で瓦解している。


 「朝鮮人慰安婦はいたいけな乙女」「日本人慰安婦は娼婦」という考え方が、韓国にはあり、これが、フェミニズムの理念を毀損していると嘆く朴裕河。


 103.再度まとめてみる。

慰安婦否定論者で拉致問題被害者支援の西岡力は、「植民地支配の罪を軽視している」と朴裕河は考え、同じ西岡力について、韓国の左派は、「西岡力の共鳴者たちは、帝国主義を反省していない現代日本の問題児だと考える。


韓国の左派は、現代日本の問題児が、植民地主義と帝国主義を反省していないという批判において、朝鮮の業者の悪を忘却する。


 これが、朴裕河の言い分だ。

 朴裕河の大きな欠点は、日本天皇制ファシズム観肯定、帝国主義観肯定、フェミニズムに共鳴。ポストコロリアニズム(植民地批判)肯定。史実の慎重な探究という価値。そして、ゆるい謝罪受け入れ。以上の複数の視座を行ったり来たり、繰り返すので、結局のところ、何が一番大事なことだと主張しているのか、混乱してくるような論旨になっていることだ。

 

 史実の慎重な探究という価値を死守するために、どのような党派とも決別するというふうに、すればいいのに、日本天皇制ファシズム観肯定、帝国主義観肯定、フェミニズムに共鳴。ポストコロリアニズム(植民地批判)肯定。謝罪という政治決着という5つの通俗概念すべてを肯定的に使っているのだ。

 なんと、朴裕河は、ごていねいにも、「公式的資本主義批判」も援用している。

「その本質は、そのような帝国主義と、人間を搾取して利潤を残そうとする資本主義にある」と。

 福沢諭吉は、「日本の娼婦の海外出稼ぎは、経世上必要なるべし」と言ったのは、福沢諭吉が人間を搾取して利潤を残そうとする資本主義の推進者だったからだ、と。


 そんなに慰安婦の根源が根深い問題によっておきたというなら、ゆるい謝罪で済ませるのは、まずいんではないの?朴裕河さんや、と言いたくなる。


104.朴裕河は次のような記述をしておいて、なにを根拠にゆるい謝罪でもいいから、日本はして、そして、日本の左派も韓国の左派もゆるい謝罪を受け入れるべきだというのだろうか。

 287ページに驚くべきことを書いている。

 まったくこういう事を書く意図がわからない。

以下に引用する事を朴裕河が言うなら、当然、朴裕河は、アメリカ、ソ連(ロシア)に謝罪を求めるべきのだが、朴裕河はそうは思わないのである。

 これは、完全に朴裕河が、日本に甘えて、関わりたがっているという事になる。

 「米軍基地周辺の基地村では、国家が主催する「教養講座」を受講することが義務つけられていた。この教養講座を受けなければ、国家発行の健康診断書を没収され、没収されれば、風俗業にいる資格を失い、食べていけなくなる。」


 「教養講座の教室には、左右に郡守、保安課長、平沢郡福祉課長が腰掛けていて、あからさまに、米軍相手の売春許可証を持っていた。」


 「米軍はアジアの女性を無差別強姦したから、韓国はこれをふせぐために、国家売春制度を設置した。」


 呆れたものである。それなら、韓国は、ファシズムなのか、帝国主義なのか、と朴裕河に聞きたくなる。韓国のやっていることと日本のやったこととどっちが悪質なのか。その面の皮の厚さからすれば、韓国のほうが一枚上手なのじゃないのか。


 たしかに、こういう史実を聞かせてくれてありがたいが、この事実の強調と朴裕河の日本へのゆるい謝罪要求とどう関係があるか、さっぱりわからない。


 まず、アメリカと韓国両政府に謝罪してもらうべきじゃないのか。

 また、以下のような事実がるなら、なんで、日本が謝罪するのか。謝罪するべきは、アメリカだろう。朴裕河は頭がおかしいのじゃないか。

 「敗戦後沖縄に上陸したアメリカ軍は、沖縄の日本女性に対して次のように非道を尽くした。守ってくれる人もない未亡人やか弱き女子、老いたひよわな女、ひと妻の誰彼となく、昼夜、肩にかついで連れ去り、暴行するのです。」


 唖然とするではないか。こういう事を書いておきながら、結論は、日本人がゆるくてもいいから、謝罪を期待する、韓国人には、ゆるくてもいいから受け入れてほしいという、その矛盾。(帝国主義を糾弾しているつもりらしい。)


 しかし、これで、なんで日本が謝罪しなければならないのか、謝るなら、アメリカ、韓国、と並んでだろう、と思うのではないか。


 この本には、以上のような米軍兵士の悪逆非道な行為がやまほど書いてある。

 引用するときりがないので、省略する..。興味のある人は、289ページ前後を読んでほしい。


 105.朴裕河の記述は、挺身隊協議会と日本の慰安婦娼婦決めつけ論に対してもっとも厳しく、中国、北朝鮮の国内の人権弾圧には、いっさい触れない。

 そして、アメリカに対しても激しく罵る。

 韓国と日本の宥和を強く志向する。


 これは、日韓の双方を見渡して、自民党左派と朝日新聞のスタンスに最も親近性のある思想であるといえる。


 朝日新聞が、案外、新左翼を嫌って、資本主義で豊かな暮らしを享受しつつ、良心的でありたがるという意味でも、朴裕河は朝日新聞に都合のいい世界観を持っている。


 ゆるく謝罪し、ゆるく受け入れてもらって、仲良く仲良くという、朝日新聞にぴったりであり、行き過ぎた自虐を解いてなお、日本が謝罪する立場であれるよう、理論的根拠を与えてくれる強力な典型的なリベラルだと言える。


 彼女は、日本の親「北朝鮮」派の歴史学者を「自民党左派、朝日新聞的な穏健左翼」に引き寄せる事になる思想を展開している。


 植民地支配は認めて、そのことで、軍国主義を阻止し、慰安婦には、謝罪してしまわないと、日韓友好ができないから、ゆるい謝罪で勘弁してもらって仲良くしてもらいたいという、朝日新聞の意向にピッタリだ。


106.ソウルの日本大使館前に韓国の支援団体が、「いたいけな乙女像」を建てたのは、2011年冬である。その前に、まず2007年、アメリカ下院非難決議がなされ、次に、国際人権救済機構に働き掛けたことが影響力を及ぼして、2009年、EU議会が「人身売買」として非難した。

 つまり、「朴槿恵の告げ口外交」という表現は、日本のマスコミの話題追随姿勢の報道以外の何物でもなく、すでに、2009年には、事態は極めて悪化していた。


 2013年には、ニューヨーク州で議会決議される。


 1993年の河野談話を継承するかどうかではなく、河野談話はこのような流れを止めることはできなかった、という事なのである。


 ※フィリピン、オランダについては、支援団体が日本側の謝罪姿勢を受け入れて首相の手紙と補償金が渡されて、和解にいたった。2007年。


 ただ、台湾の支援団体は、たぶん、新左翼思想が入り込んでいるらしく、ポストコロリアニズムの執着によって、和解を拒み、おばあさんに慰謝料を受け取らせまいとしている。というのは、台湾、韓国の新左翼にとって、台湾、韓国は被植民地だが、フィリピン、オランダは日本の植民地ではなく、オランダがインドネシアの加害者として進出していたから、起きた事であり、フィリピンの場合、もともと、日本以前にスペイン、アメリカの植民地だったので、根本的には、日本だけを責めるのは、矛盾しているからだ。


 もともと、フィリピンは、アメリカの植民地拒絶の闘争の際に、ゲリラ5万人が殺され、掃討作戦のとばっちりで、住民20万人が餓死している。


 そのことは、アメリカ自身の調査で明白なのだが、アメリカに植民地にされたあとの、フィリピン支配層は、寄らば大樹の陰と、このアメリカからの被害を不問にふして、もっぱら、敗戦日本から賠償金をとろうと言う態度に出た。