ちょっと気になった記事があるのでこっちに転載します。



記事の前に私個人の感じるところをいくつか。


「若者は内向き志向」との言説、実際のところはどうなのだろうか?と思います。


私自身、現時点で海外に留学するつもりはあまりありません。
留学したくない、というよりは、留学してまで学びたいことがない、というのが近いです。
ただ単に、「留学する」ことが目的ではない、との理由だけです。

だから何かやりたいことがあるのであれば、
海外でも宇宙でも、どこにだって言ってやろう、という魂胆であるのもまた事実です。


私自身は、いま私が所属している大学に対して強い誇りを抱いています。
好きでこの大学に居座っているのです。
別に日本が安定していていいとか、そんなくだらない理由じゃないです。


まぁ、日本の大学がスンバラシイと思ってるかと言われればそうでもなく、
やっぱりいろんな競争力の面で海外の大学には劣るだろうな、という感覚があるのは否定できませんが…



それで以下の記事。

大学や研究のフィールドに関係のない方でも、よければご一読いただきたいです。


私が思うに、内向き志向の学生は増えているのかもしれないけれど、
バイタリティのある学生もまた根強く存在していると感じるのです。

でっかいことしたろー!って学生、私の周りにもたくさんいます。

一概にひっくるめて言われるとちょっと腹が立ちます。


すみません。
今日の日記は愚痴みたいになってしまいました。

数年後、あの頃あんなこと言ってごめんなさいと言わせてみせます。
若者の力、侮っちゃダメですよ♪


*****

(Science Communication News 2011年1月10日号より引用)

【「内向き志向」の欺瞞】
榎木英介
http://d.hatena.ne.jp/scicom/20110111/p1


正直いってもうんざりだ。

何のことかというと、昨今声高に唱えられている「若者は内向き志向」のことだ。

いつごろからだろう。これが言われ始めたのが…

いろいろなデータが、外国に留学する学生や若手研究者の減少を伝えている。これに対して

「最近の若者はチャレンジをしなくなった」
「気概がない」
「上昇志向がない」

という、上の世代の嘆きが、各種メディアで語られるようになったのだ。

長年米国で研究され、ノーベル賞まで取られた根岸さんが、若い世代の「内向き志向」を批判し、盛んに「チャレンジしろ」という。その言葉は重い。なぜなら、ご自身がアメリカで挑戦された方だから。

それはいい。また、アメリカで教授までされた黒川清氏が言うのはわかる。

このほか、大前研一氏とか、ユニクロの柳井正氏とか、経済界の人たちがさかんに「外に出ろ」言っている。それは分かる。

ただ、日本人の留学者が減っているという各種データと、「内向き志向」なるものは一対一ではないはずだ。

すでに何度か紹介しているが、リクルートエージェントは、「キャリアに関するデータの真相 その1「若者は内向き」という誤解。」という記事の中で、「内向き志向」がデータでは示されていないことを明らかにしている。
http://www.r-agent.co.jp/kyujin/knowhow/tatsujin/20101118.html

最近文部科学省が公表した留学生のデータでは、留学者が減っているではないか、という意見もあるだろう。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/12/1300642.htm

リクルートエージェントで同じ調査が引用されているが、その最新版だ。たしかに07年から08年への急激な落ち込みは気になる。

しかし、それをすぐに「内向き志向」に帰することはできないはずだ。

果たしてそれが08年だけの減少なのかは長期的に見なければ分からない。その時期の経済的な状況も考慮に入れなければならないだろう。

なにより、絶対数でみたら、1980年代よりはまだはるかに留学者が多い。

本来データの解釈でさえ、慎重にならざるを得ないはずなのに、根拠となるデータを示さず「若者は内向き」と唱える人さえいることに不快感を感じるのだ。

「若者は内向き」と言っている人たちに問いたい。あなたは、あなたの世代は内向きではなかったのか。すくなくとも、人口に対する留学者数は、今の若い世代のほうが高い率ではないのか。

また、留学経験者に問いたい。あなたは「片道切符」で行ったのか。

会社や官公庁のお金で留学したのではないのか。また、戻ってくるポジションがあって留学したのではないのか。

言いたいのは、「リスクを負わない若者」ということを言っている人たちが、リスクを負って行動したのかということだ。

もう一点言いたいのは、果たして今の日本は、リスクを負って行動した人たちを尊重する社会なのか、ということだ。

リスクを負うということは、他人と違う行動をするということだ。そして、一握りの成功者の影には、多くの失敗した人がいる。

今光が当たっているのは、リスクを負って成功した人たちだけだ。そういう人がほめたたえられるのは当然だが、挑戦し、失敗した人はどうなるのか。

「無謀なことして」
「親が泣いている」
「無駄な時間を過ごした」

などとけなすだけではないのか。

リスクを負って挑戦し、研究に青春を費やした博士たちは、今社会で「無能」の烙印を押されて漂っている。挑戦を是としない社会で暮らし、自分が安全なところにいながら、若者だけに「挑戦せよ」という人たちに、欺瞞を感じる。

ただ、私は何も挑戦するな、留学するなと言っているわけではない。

日本の世代の軸で比較するという無意味なことをするな、と言っているだけだ。

どの人も「なぜ挑戦しないんだ」と最初から否定形で語る。「若者は内向き」が脳裏にインプットされているからだ。「もっと挑戦しようよ」と言えばいいのに。若者叩きに「内向き志向」が使われることに不快感を感じるのだ。

諸外国と比べれば率は低いのだから、諸外国並みにしろ、という比較なら分かる。

ただ、その場合は、日本は高等教育を自国で賄えない国であるということを十分自覚しなければならないかもしれない。

諸外国で必死に留学する人たちがいるのは、自国にいても教育の機会がなく、成功できないから、あるいは、留学者が自国で評価されるからだ。留学が自分にとってプラスになると分かれば、留学者は増える。それだけだ。大学を何個か廃校にして、その分のお金を留学者に使ったらいい。企業や大学は留学者しか採用しなければいい(あるいは優遇する)。

ただ、まだそうなってはいない。東大や京大は世界で有数の大学だし、国内の優秀な学生をまだ惹きつけるだけの魅力があるということだろう。ただ、諸外国の優秀な学生を惹きつけられていないという点でローカル大学かもしれない。

うかうかしていると、国内の優秀な人材は外国に流れる。すでに進学校の一部では、東大に入学するような優秀な生徒が外国の大学に入学しているという。

大学関係者は、自国の若者に留学を期待するということと、他国の若者を引きつけるということが表裏一体であることを自覚しないといけないだろう。

留学者の問題が、意味のない「内向き志向」のレッテルに逃げるのではなく、知的人財が生かされる社会をどうすれば作れるのか、ということを考えるきっかけになることを願う。

その他参考
「ハーバード大学の日本人数激減」の意外な真相 (1)
http://money.jp.msn.com/banking/yucasee/82/index.aspx

「ハーバード大学の日本人数激減」の意外な真相 (2)
http://money.jp.msn.com/banking/yucasee/84/index.aspx