昨年から継続している建仁二年(1202)開創の臨済宗建仁寺派の大本山、建仁寺をレポートするシリーズ、その4回目です。
この建物は、茶席「東陽坊」です。
東陽坊は、1587年に豊臣秀吉が催した北野大茶会で利休の高弟、真如堂東陽坊長盛が担当した副席と伝えられています。
草庵式二帖台目席で、大正時代に現在の地に移築されました。 二帖台目席とは、1帖の合いの間と2帖の台目向板の控室、そして板の間の水屋からなる茶室のことです。
昭和15年に建立された「清凉軒」です。
茶席の近くには建仁寺垣が設けられています。
写経体験はこちらで行われます。
法堂(はっとう)へと向かう渡り廊下です。
一般的に法堂は、寺院で僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。
法堂天井画「双龍図」です。
双龍図は、2002年(平成14年)、建仁寺創建800年を記念して日本画家の小泉淳作氏により法堂の天井に双龍図が描かれたもので、縦11.4m、横15.7mと壮大なスケールで描かれた迫力ある水墨画となっています。
法堂は、江戸時代中記の明和二年(1765年)建立です。
仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれ五間四間・一重・裳階(もこし)付の禅宗様仏殿建設です。
法堂内の正面須弥壇には本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。
建仁寺楽神廟です。
楽神廟は栄西禅師(明菴栄西)の母が岡山・吉備津神社(きびつじんじゃ)の末社・楽の社に参詣した後、夢に明星が現れて栄西禅師を懐妊したことから楽大明神が祀られています。
楽大明神は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の化身とされ、宇宙のように無限の知恵と慈悲を持ち、学徳増進・記憶力増進のご利益があるとも言われています。
建仁寺開山堂です。
開山堂はかつて護国院(ごこくいん)・興禅護国院(こうぜんごこくいん)とも言われていました。
開山堂は建仁寺開山・栄西禅師(明菴栄西(みょうあんえいさい))の入定塔(墓所)で、苔むした庭に栄西禅師が宋(中国)から持ち帰り、お手植えしたとも言われる菩提樹(ぼだいじゅ)が植えられています。
開山堂(開山塔)は礼堂(らいどう)・相の間(あいのま)・祠堂(しどう)からなり、相の間に栄西禅師の坐棺(ざかん)が埋葬された石壇があり、祠堂に栄西禅師の木像が安置されています。
茶碑(ちゃひ)です。
栄西は27歳の時、禅を学ぶため宋にわたり、19年後、再度宋にわたった時、茶の種を持ち帰りました。
その後、茶の栽培と喫茶の普及に務めたため「茶祖」と呼ばれています。
茶碑はこの功績を讃えて建立されたものです。
建仁寺からのレポートは、今回で終わりです。
次回は、建仁寺の周辺を取りあげてみたいと思います。
それでは、また・・・。
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