広島県福山市にある「みろくの里」からのレポートの続きです。
前回から、昭和三十年代の街並みを忠実に再現した「いつか来た道」のエリアを紹介しています。
前回に引き続き「弥勒村立中山南小学校」からスタートです。
木造校舎の廊下の様子は、このようなんですね。
教室の中の様子です。
モニターなどの電子機器は一切ありません。
昭和のこの時代は、バケツを持って廊下に立たされるなんて、当たり前の光景でした。
現在、65歳以上の方は、これに似た経験を持つのではないでしょうか。
背面に映っているのは、レコードのジャケットです。
音楽媒体は、レコードというのが常識でしたが、CDを用いた最初の商用音楽ソフトは1982年に発売されています。
CDが紹介された頃には、レコードがCDに変わるなんて想像することができませんでしたが、1986年にはCDの音楽ソフトの年間販売枚数が約4500万枚となり、LPレコードの販売枚数を抜いています。
こちらに展示されているのは、ミゼットです。
ミゼット(Midget)とは、ダイハツ工業が1957年(昭和32年)から1972年(昭和47年)まで生産・販売していた軽自動車規格の三輪自動車です。
Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型な車という想いを込めて名付けられています。
今は、その存在をみることをできなくなったキャバレーもありました。
キャバレーでは、綺麗な衣装を着た女性が接客してくれます。
バンドの生演奏やレビュー、チークタイムなど日常と違う空間も提供してくれていたと思います。
今もあるキャバクラは、キャバレーの華やかさと、クラブの落ち着きの中間に位置するお店ともいえるでしょう。
こちらは、「曙町派出所」です。
先ほどのお寿司の土産を持った酔っ払いを派出所前に立つお巡りさんが、そっと見つめるそんな心温まる雰囲気を感じることができるスポットになっています。
映画博物館の入口です。
中に入ると、みろくの里映画村で撮影された映画やドラマの撮影資料、当時の映画ポスター、撮影機材などを展示。映画の歴史を垣間見る事ができます。
「いつか来た道」からのレポートは、まだ続きます。
次回は、食堂や一般商店など、昭和30年代の臭いを色濃く残すお店を紹介する予定です。
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