ルキアス・アセンションクラブでは、セッションを受けて頂くと、その間に見えたことをリーディングとしてお伝えしております。
最初は失敗した人生を見せられることが多いです。
それが今の人生に大きく 影響しています。
ルキアスのセッションを受ける事で書き換えが起こります。
その変化もリーディングとして、お伝えしております。
その一例をご紹介します。
(Aさん)
「肉体とライトボディに悪影響を与えている、今、この方が受け入れられる今世や過去世や未来世や多次元や天界の記憶を癒し、感情を解放し、全てのインナーチャイルドを癒し自分と統合する」
「真実の鏡」と名付けられた鏡の精のAさん。
道化師の姿の相棒と各地を巡って旅している。
鏡といっても、映し出されるのは不思議な映像。
その映像の意味を道化師が説明する。
「これが貴方の真実の姿ですよ」と。
悪いことは言わない。
相手が望んでいること、喜ぶことを大袈裟に表現する。
皆、満足し、嬉々として代金を弾んで帰っていく。
鏡の精のAさんは、何かおかしいと思っている。
自分が映し出しているのは、自分が実際に感じているものと違う気がする。
何故なら、道化師の姿の相棒の魔法がかけられていたから。
「真実の鏡」と謳われていながら、映し出しているのは幻想。
けれど人々は喜んでいる。
だからこれで良いのだろうか?
しかしそれでは自分がここに在る意味とは何だろうか?
自分の存在意義に疑問を持ってしまうが、考え出すと苦しく、答えは出ないので、自分の感覚に蓋をした。
蓋をしたが、最後は耐えきれず、鏡に一筋の亀裂が入る。
亀裂は全面に広がっていき、鏡としての役目を終えた。
エネルギーを受けての変化
変化前、道化師の姿の相棒と巡っていたのは誘われたから。
「私と一緒なら世界中を旅できるよ」
鏡は自分では動けないから旅は魅力的だったけれど、道化師に邪悪なものを感じ取り、誘いを断った。
金儲けを目論んでいた道化師は怒り、「真実の鏡」の能力を奪って去って行った。
骨董屋の壁にずっと掛ったままの鏡。
たくさんの人が鏡を覗き、身繕いをしたり、鏡を不思議そうに眺めたりしていく。
真実を映す能力は奪われたけれど、感性は奪われていない。
だから、鏡の精が受け取る情報と、鏡を覗く人が装っている姿に違いがあることも多い。
いろんな人がいるんだな、と 観察している。
変化前のようにジレンマ、矛盾に悩まされることなく、ただそこに在ることを受け入れている。
自分は自分。
自分の持つ感性や存在する意味を疑わずにいる。
スピリチュアルの世界は複雑。
例えば誰かのオーラを、自分を含めた複数人が見たら、皆それぞれ違うことを言うだろう。
それは間違っているわけではなく、一人の人の色々な面を各自が感じ取ったから。
自分の感性・能力が未熟だからと卑下したり、逆に自分の方が正しくて〇〇さんが違うと批判してもいけない。
表現方法(言葉の選び方とか)が違うことで、全然違うことを言っているように聞こえてしまうだけのこともある。
このような矛盾っぽく思えてしまうことにも柔軟な受け止めになっていくと思う。
自分の受け止め方に無理がなくなれば、人に伝えることのハードルが下がる。
<マスター伝授に向けての準備(すなわち提供する側に成り得る)を進めようとされているかたでしたので、このようなメッセージになったのだと思います>
また、「納得」に必要以上の執着や拘りがないか、振り返ってみると良いとのこと。
0(ゼロ)か100か だけの判断は、100じゃないなら0でいいと、極端な判断になるから。
100が無理なら、70や80でもOKを自分に許可できると楽。
今は70でも、いずれは100を目指そう といった感じでいきましょう。
担当:潮音