安宅の関 | ゆめ日記

ゆめ日記

結婚以来、ずっと姑との同居。いろいろありました。でも・・・
姑が亡くなってみると、いい思い出かな?なので、タイトルも変えました♪

11月の最初の日曜日。
前日とは打って変わってとてもいい天気。

10月末頃から風邪を引いて、少し良くなったかな~と思ってたけど
まだまだ咳は残っていた。

このころ夫も風邪を引き(うつったと言う 笑)
前日の土曜日は一日中テレビと炬燵の番人を決め込み
とりあえず最悪な症状は脱した???

そんな11月の最初の日曜日。

元気だった頃に計画してた、石川県小松市へ行くことにした。
風邪引いてたけど(笑)

この計画は夫におんぶに抱っこ。
なので、何を見に行くのか皆目見当もつかず
行き先を告げられても予備知識すらない(ははは)

向かった先は、安宅の関(あたかのせき)

歌舞伎の勧進帳の舞台となった・・・とか。

その安宅の関の安宅住吉神社。
境内のあちこちに、こんな実をつけた「とべら」と呼ばれる木がたくさんありました。
どうやらこの神社はパワースポットらしい。

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この日、多くの七五三の参拝客が見られました。

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境内には弁慶の像。

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なんか狛犬のお尻がかわいくて~( ´艸`)

この安宅住吉神社のすぐ裏に安宅の関があります。

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芭蕉碑だとか・・・
与謝野晶子の碑だとか・・・
いろいろあるようです。

嫁姑対決!「ボケ老人を抱える嫁の奮闘日記」-安宅の関

安宅の関は海岸沿いにあります。
歌舞伎の勧進帳に登場する3人の銅像が立っています。

嫁姑対決!「ボケ老人を抱える嫁の奮闘日記」-義経 嫁姑対決!「ボケ老人を抱える嫁の奮闘日記」-弁慶 嫁姑対決!「ボケ老人を抱える嫁の奮闘日記」-富樫

左から、義経、弁慶、冨樫。

源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経は
生来の猜疑心からこれを退けようとする兄頼朝に追われ
奥州平泉の藤原氏の元へ落ちのびようとしました。

頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設けます。

安宅の関守は冨樫左右衛門泰家。

そして文治3年(1187年)3月頃
山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかります。

一行の山伏姿を関守冨樫に疑われると
東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し
何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ
難を逃れようとしました。

しかし再び強力姿(荷人夫)の義経が疑いをかけられると
弁慶はすかさず金剛杖を持って主義経を打ち据えます。
冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ
義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのでした。

この物語は美談として能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として長く演じられています。

ほぉ・・・
そなのね・・・(予備知識が全くない私 汗)

一通り(?)見て回った後、勧進帳ものがたり館に入り
歌舞伎の勧進帳のプチ上映を見て、日本の伝統芸能にちょっぴり浸り

ちょうどお昼時となりました(笑

いつも蕎麦!とばかり言う夫が、今回チョイスしたのは

小松うどん

はて?どんなんですかね?
ここでも全く予備知識のない私(汗

なんちゅーお店だったかさえ覚えてませんが
鍋焼きうどんのお店でした。

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まず出てきたのが、お抹茶と和菓子。
ほー風情がありますなぁ~♪

で、次にコンロにうどんが入った鍋を設置。
ご飯(手前の丸い奴)と香の物も出てきました。
このご飯は、後で雑炊にするためのご飯で、冷たかったです。

最後にサツマイモのアイス。
上にちょっぴり乗っかってるのは、紫芋のチップスとザクロの実だそうです。

小松うどん。
初めて食べましたけど・・・
なんか・・・
コシがあるとかという訳でもなく
特に特徴が見当たらないうどんで(ごめんなさいね!)
でも、鍋焼きうどんなので私は美味しくいただきましたけどね~♪

おなかいっぱいになった所で、次なる目的地に向かいます。

後半に続く・・・