ちょっと前、DF50周年記念パーティーというのが開催されていた。

それが3月9日の事で、めっちゃ行きたかったけども断念した。

 

後日聞くと、そこになんと50人くらいの人が集まったそうで。

自分が16期で、50周年っていうんだからそっから34期いるんだ・・。

そんじゃ全然知らない人ばっかじゃないの?

 

それがどっこい。

結構ウチの代の前後3期が多かったようで。

写真を見ると、識別できる人が結構いることに驚いた。

中には、懐かしくて声出たような人もいた。

 

うわー。

そんなことなら行けばよかった。

 

近い年齢のメンバー15人くらいで二次会もあったようで。

そこで結構自分の事も話題にしてくれてたらしい。

 

数日後、ラインが入る。

 

✉今度、京都からM美が東京に来るらしく、またみんなで集まろうということになったんだけど来れない?

 

メンバーを見るとまたこれが結構すごい。

中には卒業以来?ってのもいる。

 

30日新宿三丁目18:30。

山口戦がキックオフ13:00だから・・・間に合う。

よし。いくいく。

 

総勢15人。

 

写真左から一周

Y内、J、自分、M貴、M幸、M下、M美、Sやん、Yちゃん、K条、Y恵、Kわ、A太郎、M穂、K原

 

自分の同期と1個下と3個下。

なぜか2個下がいなかったのは不思議だけど。

 

まぁしかし。みんな超久しぶりだけど全然そんな気がしない。

このメンツで会うと、それぞれとのエピソードが多すぎる。

こまかなワンシーンの事を話に出すと、それが膨らんで記憶の引き出しの奥が開けられて止まらなくなる。

 

ああー!!あったあった!それなー。

それで言えばさ・・

 

話止まんないって。

そんなのしょうがないよ。

 

あっという間に10:00のあずさギリギリの時間。

時間が圧倒的に足りなかった。

 

またやろう。

今度は立川あたりで。

 

そういえば、3つ下のK原くんからDF50周年の記念品をもらった。

(なぜ彼がくれたのかは知らない)

このために作ったソックスだそうで。

普通にタダでもらっちゃったけどよかったのかな。

 

この仕事の依頼を受けたのが、2月19日仙台のこと。

人選については色々あった末、自分が行くことになった。

 

会津若松。

この土地については、思う所が色々ある。

仕事で行ったことが1回。プライベートで行ったことが1回。

ただ、その時はいずれもこの土地を意識してのものではなかった。

 

会津といえば白虎隊。

お邪魔するにあたって、その背景を知らないといけない。

なので少し調べてみた。

 

すると・・

知らないこと、興味深いことがたくさん。

ペリー来航から鳥羽伏見、戊辰戦争、江戸城無血開城、会津の戦い。

会津の人々の教育。

 

どっぷりハマった。

寝るまえにこの関連の動画を毎日見た。

幕末の動乱は、切り口によって全然違う物語になる。

 

3月23日

会津に前泊、先方の社長と夕方打ち合わせの約束をしていた。

 

ただ、なるべく早くいきたい。

半日でも、これまで知った会津のその現場に立ってみたい。

朝7:00に家を出て、会津に向かった。

 

郡山11:00過ぎ。

ここまでは順調だった。

そこからの磐越西線、遠い昔に乗ったことがあるはずなんだけどまったく記憶になかった。

 

めっちゃ普通の在来線で、乗客がかなりいた。

会津までの75分。ずっと立っていくことになろうとは・・。

 

会津若松着12:31。

たぶん、この30年の間に駅舎も変わったんだろうと思う。

 

まずは昼メシだ。

事前の調べによると、どうもソースカツ丼が名物らしい。

ということで。

 

創業120年、マルモ食堂にて、ソースカツ丼(1000円)

まてよ、120年前って1904年・・明治時代!?

幕末からそう経たない時代からあるの!?

 

調べてみると、

若松駅の開業が1899年、1904年に喜多方まで延伸。

このタイミングで開業した店なのか・・。

 

そんな気持ちで味わうソースカツ丼は格別だった。

「子供がまだ食べてるでしょうが!」を思わせる食堂。

あれは富良野の話だけどw

 

続きまして。

市内観光周遊バス、「あかべぇ」の乗り場に。

  

1日乗車券600円。

都合3回乗る予定なので、一応元は取れる。

ちなみに逆回りは「ハイカラさん」らしい。

 

まずめざすのは飯盛山。

あの白虎隊の自刃の地。

会津若松駅からまっすぐの、その名も「白虎通り」をどんつきまで。

まっすぐ上る階段と、その横に動く歩道(有料)があるんだけど、そこからではなく。

左の参道から上るべきということだった。

 

さざえ堂。

これがまた不思議な建物で、こんな背の高い塔なのに階段がなく、滑り止めをの板を敷いた坂道で昇る。角度が絶妙なことと、上りと下りの道が別(人とすれ違うことがない)というのは緻密な計算による設計だと想像できる。

 

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」

三十三体の観音像を安置する「さざえ堂」は、まさにそんな庶民の夢をかなえるためにできたもの。 一度に三十三の観音像を廻ることができるこの構造は、大いに庶民の人気を得た。 堂内に貼られた無数のお札は、その様子を如実に表している。

 

ほほぅ。

そういうためのものだったのか。

 

そしてついに、ここでのメイン。

「白虎隊自刃之図」 佐野石峰

 

 

の場所に今自分が立っている。

150年前に、実際にここでそんなことがあったと思うと、心が痛む。

この像で再現されている通り、白虎隊は13歳から17歳までの少年兵。

それが余計に・・。

 

「ならぬことはならぬものです」

六歳から九歳までの会津藩士の子どもたち(男子に限る)は、町ごとに十人前後でグループを作っていた。この集まりを「什(じゅう)」と呼んだ。 会津藩では、藩士の子弟は十歳になると、藩校日新館に通った。九歳以下の子たちが集まる「什」は、日新館入学前に、会津武士の“心構え”を身につけさせるための、ある種の幼児教育の場、だった。

 

属する「什」により、「お話」の内容には多少の違いがあったようだが、
最後の「ならぬことはならぬものです」は、もはや、決め台詞。
この有無を言わさぬ“断定”こそが、会津藩士の揺るがぬ「義」への信念を育てたと言っても
過言ではないだろう。

 

幼い子供たちが自らを律する。

これが会津という土地の文化、白虎隊の話と深く関連しているのは間違いない。

 

背景を知れば知るほど、どんどんのめり込むわ・・。

 

 

14:35のバスに乗らないと、今度は鶴ヶ城での時間が少なくなってしまう。

白虎隊記念館に入るかどうか本気で迷ったが、それはまた今度の機会に。

 

さて、今度は飯盛山から見た、お城へ。

バスで20分ほど。途中、会津武家屋敷や東山温泉を通る。

見るべきところはたくさんあるが、今回は残念ながらスルー。

 

 

鶴ヶ城入り口で降りてしばらく歩くと、立派なお堀が。

 

どかーん。

鶴ヶ城。

ここに1ヵ月会津藩の人は、籠城していたのか・・。

 

入館して、記念館となっているそれぞれの階を見学して歩く。

歴史映像や、年表なども興味深かった。

だけど一番インパクトあったのは、新政府軍による砲撃を受けた城の写真。

ホントこれ、わずが150年前のことなのが信じられない。

 

伊達政宗はこの会津を心底欲しがったという。

おそらくは、この「義」。

最後まで誇り高く。

男子も女子も、大人も子供も。

 

そういう土地であることは、現代にも受け継がれている。

 

その会津藩を率いた松平容保(かたもり)。

写真はいつの頃なのかわからないけど、見ようによればこの少年のような風貌。

これがまた、心を揺さぶる。

 

新政府軍・土佐藩の板垣退助は、白旗を上げて出てきたこの藩主に敬意を払い、同じ目線の椅子を用意していたという。

 

なので会津の人たちは実際に攻め落とされた土佐藩の事は恨まず、攻められてはいないけど「容保の首を差し出せ」と言ってきた長州藩に対しては今でも遺恨が残っているという。

 

 

それとこの時、鶴ヶ城には多くの人がいた。

観光客じゃなくて地元の人。

城には目もくれず、スマホを連打している。

ゲンシグラードンのデイドデイであった。

自分も参戦。、最後の挑戦で個体値98をゲット。

会津産が残る、いい記念になった。

 

閑話休題

 

バスで駅前に戻り、仕事モードに。

この会津周遊とこれまでの勉強が大いに役に立った。

やっぱりその土地の事を知り、実際に見て回ることは仕事上非常に有益でもある。

会津で生まれ育ったその社長は「ならぬことはならぬものです」の言葉を愛していた。

 

翌日、車で向かう同僚とは別で、ゆっくり歩いて会場まで。

途中にある、蚕養国(こがいくに)神社に参拝。

 

冷たい雨の降っていた前日とは打って変わり、陽の光が差すいい天気。

 

特別ゲスト的扱いで迎えられ、講演もわりとうまくいった。

つかみで話した会津ウンチクは正直不発。

だって参加者のほとんどが会津の人じゃなかったので。

(まあ織り込み済みで、それをオチに使わせてもらったけど)

 

帰りは磐越西線ではなくバスで郡山へ。

長い帰路だった。

 

 

得意先の社長からたいそうな日本酒をいただいた。

これにもいわれがあるのだろうと思い、調べてみた。

 

「玄宰(げんさい)」とは、
江戸時代中期の1782年から1788年にかけて、
日本各地の天明の大飢餓という最大の飢餓が起きました
これを乗り越えるべく、会津藩五代藩主松平かたのぶ公は
、家老の田中三郎兵衛玄宰(はるなか)に改革を命じます
玄宰(はるなか)は、財政面では酒造り、漆器、薬用人参栽培を奨励して、
財政の確立や立て直しを図り、さらにこんな時こそ人材育成が必要として、
藩校日新館を創設し教育に力を注ぎました
「大吟醸 玄宰」は、
会津の酒向上の最大の功労者で家老「田中三郎兵衛玄宰」の名前を田中家より頂き、
命名させて頂きました

 

会津ではお祝いの席に、御中元等にも良く使われる、もらった人は黙ってほくそ笑む。知らない人はいないだろう、会津を代表する大吟醸です。極上の風味をお楽しみ下さい。
 

おお・・。

さすがにこれは恐れ多い。

家じゃ日本酒飲むことないんだよなぁ・・。

 

いや、会津若松すごいわ。

また行きたいね。

ついにこの日が来た。

王子の引っ越し。

 

14日(木)

まだ完璧に荷物をまとめ切れていない感はあるけど、絶対に必要なものは梱包してリビングに降ろしていた。

だがしかし、前日にどうも体調を崩したらしく熱がある。

37.6。体の節々が痛いという事で、薬を飲んで極力休むことに。

だって翌日はどうしたっていかねばならぬのだから。

 

15日(金)

9:00 レンタカー屋さんに。

自分が手続きをしているその間に奥さんは駅の金精軒に大家さんやお隣さんへのお土産を購入。

 

タウンエースを借り、家に戻る。

9万キロ走ってる結構ボロボロのタウンエースだったけど、むしろそれは好都合。

引っ越しに使う&長距離移動なので、細かいことを気にしない感じでいい。

 

さて、まずは搬出&積み込み。

テトリスの実力が試される。

 

いっぱいっぱいに荷物を積み込み、最後に半ば強引に折りたたみのチャリを載せられたことは彼の今後にとって非常に大きかったと思う。

 

出発11:35

中央道をひた走る。

まずは目指すは小黒川のアジフライ定食!

と思って走っていたが、寄ってみるとレストランが改装中でやってない・・。

テンションダダ下がり。

 

しかたなく、次のSAでソースカツ丼の昼ごはんを。

この時点で13:19。

 

その後は1回休憩くらいで一気に京都東まで突っ込む。

本当は大家さんから16日にカギをもらい、家賃やらなんやらの説明を受ける予定だったけど、大家さん都合で土日がダメになってしまったという連絡が入っていた。

なので、カギは不動産屋さんでということになっていた。

ただ、なんなら今日京都入りするので夕方時間が合えば大家さんにご挨拶だけさせてもらえればという事だけ伝えておいた。

 

特に連絡がなかったので18:00くらいに現地に着けばいいと高をくくっていたが、途中で大家さんからケータイに連絡が入り、17:00にこちらに到着と聞いていたんですが・・と。

えー、そんなこと言ってないのに。不動産の営業もまたテキトーな事言ってるわ・・。

 

時計を見ると17:30を過ぎている。

という事は連絡もなしに待たせてしまっているということになる。

なんだよ・・

 

その電話を受けたのが、京都東ICを降りてファミマで休憩している時。

そこからナビでは17分。

夕方の渋滞にハマり、18:00前に現地に到着。

 

物件の2Fのそれほど大きくはないがキレイにしている事務所だった。

物腰の柔らかそうな社長。説明もわかりやすかった。

よかった。大家さんが同じところに住んでいる&会社であることは非常に心強い。

 

チャリだけ置いていく了承を得て、降ろし、この日は物件を後にした。

ああ、明日この荷物全部5Fに運ぶのか・・。と途方に暮れながら。

初めて来た奥さんは、とりあえず5Fまで上ってたけど、今日は何も運ぶことはできず。

 

近くのダイソーで必要なものを買い込み、宿へ向かう。

 

本日の宿は、ゲストハウス葵。

元々奥さんが3人で1万円ちょいの宿を手配していたが、楽天スーパーセールでさらに安いのが出てきたのでそっちに。

 

哲学の道のそばの、一軒家的なゲストハウス。

オーナーが気さくな人で、結構話しかけてくる。

 

そういえば。

王子は体調が思わしくないんだった。

夕食に出るよりも寝たいと。

帰りに何か買ってきてと布団に入ってしまった。

まぁしょうがないか。

 

和室8畳、布団が3つすでに敷かれていた。

 

親子三人川の字で。

(↑こう書くと非常にアットホームな感じだけどそんな感じはないw)

 

夕食は、奥さんが事前に調べていた店「さつき」にて。

カウンターと小上がりの座敷のみ。

絶対これ、普通に一人じゃ入れない感じの店。

「おばんざい」という言葉の意味は正確には知らなかったけど、どうもここで出る京野菜の料理がそうなんだろう。

 

 

夫婦水入らず(?)で。

奥さんはこういう店の感じが好きらしく、終始テンション高く。

一品一品めっちゃうまかった。

ビール二杯が結構染みた。

 

16日(土)

朝早く起きて、ゲストハウスのオーナーに勧められたパン屋さんに行ってみた。

たしかに早くからお客さんが来ていた。

そこで3人でパンを買い込み(2500円!)、部屋に戻って朝ごはん。

8:50 チェックアウト。

車で出町柳に向かうも、近くてすぐ着いてしまった。

不動産屋さんの裏の駐車場に回り込み、車を停めようとすると・・

出勤したての営業社員が裏で一服付けている目の前に着けてしまった。

 

気まずいw

(こっちは全然気にしないけど)

 

9:00 カギをもらい、不動産屋さんを後に。

何度も通った百万遍の交差点を左折、東大路通を北上。

昨日も来た物件に到着。

 

さぁやるか!

 

ここで荷物を降ろした写真を取らなかったのが痛恨の極み。

ブルーシートの上にタウンエースいっぱいの荷物を降ろす。

作業に夢中でほぼ休憩なく、いかにして効率的に5Fに運ぶかを考え、運んだ。

 

何回くらい往復しただろうか。

乳酸が溜まるというのはこういうことかと。

正直、年末の身延山よりもキツかった。

 

それでも三人で手分けして、11:30くらいにはすべて運び入れが完了。

これは正直、想定より早かった。

途中、楽天で注文しておいた冷蔵庫とベッドが到着。

5Fまで運んでくれた佐川の兄ちゃんの感じのいいこと。

 

次は部屋のレイアウト。

どこに何を置くかは彼に任せたい。極力何も言わなかった。

荷物が揃った時点で、そこで浮上した必要なものリストを作成。

昼ごはんの買い出し&近くの商業施設の視察もかねて外に出ようと。

王子を残して外に出た。

 

車で3分程度。北大路通り沿いのショッピングモールに大体の店は揃っていた。

ここならチャリでも全然来れるはず。

やっぱり結構便利な物件のロケーションだわ。

 

5Fであることは確かに大変だけど、そこからの景色やこのロケーション、大家さん、部屋の広さは、それを差し引いてもおつりがくると思う。

 

昨日も来たダイソーでさらに浮上した必要なものを買い込み、なるべくゴミを出したくないということで、モールの催事でまたパンをたらふく購入(2600円!)。

 

それを持ち帰り、部屋に戻る。

彼はベッドの組み立てに奮闘していた。

 

それを手伝いながら思った。

当初、この日はここで3人で寝ようと思って寝袋を持ってきていたが、やめよう。

①荷物が整理されない状態で3人で寝るのは難しい。

②昨日、かなり自分がいびきをかいたらしく、二入に相当迷惑をかけた。

 

ということで別な宿を取ろうと提案し、決定した。

引っ越し初日、一人で過ごしてみれば必要なものもまた浮かんでくるでしょう。

 

ベッドを作りながら。

甲府と山形の試合を観戦。

ウタさんの抜け出しからのゴールでウノゼロ勝利!

テンション上がる―!

 

試合中、王子はこっちの友達と会う約束をしたようで、シャワーを浴びて出かけるという。

一緒に部屋を出たが、車に乗せてというわけでもなく歩いていった。

すでにこの時点で友達とか先輩がいるというのが凄い。

数理の翼とかそっちの知り合いなのだろう。

 

夜、「ボドゲパ」という写真付きのラインが送られてきた。

先輩の家で遊んでるらしい。

遊び方も知的というか・・。

ウーバーでメシ(こないだ二人で食べた百万遍のハンバーグ屋さん)を頼んでみんなで食べるという今風の過ごし方をしてるらしい。

 

さて、こっちは。

車に乗りながら宿を探す。

なんでもいいと思っていたが、土曜日だからか意外と候補が出てこない。

アゴダで検索して、これならという値段の宿が一つだけあった。

そこに決めた。

 

嵐山にある、嵐翁居(らんおうきょ)というゲストハウス。

これがまた、新築の匂いのするキレイな宿。

部屋にシングルベッドが2つ並んでるだけの簡易な部屋ではあったが、まずもって快適。

なんの文句もない。(部屋の写真撮り忘れた・・)

 

嵐山という場所は、生涯初。

こんなに観光客がいるのかと思い知った。

もう到着は18:00をまわってたけど、すごい人が歩いていた。

 

夕食は宿のオーナーに教えてもらった店「あかくら」。

ここで国際交流が図られることにw

 

隣の席の台湾からの観光客と戯れる奥さん。

スマホの翻訳機能でコミュニケーションを取り、盛り上がる。

仕事で台湾に一度でも行っとけば、自分も話のネタがあっただろうけども。

なんでも、台湾でベジタリアン向けの料理屋をやっている人らしい。

 

もちろん料理も全部うまかった。

疲れもあって、ビールが体に染みた(昨日もだけどw)

 

店を出たのが21:00頃。

そばに日帰り温泉があるというので、自分だけ行ってみた。

夜の渡月橋は、夕方あれだけいた人も全然おらず、幻想的だった。

 

川沿いを歩いたところにある、日帰り温泉「風風の湯」

観光客向けの施設で、山梨から行った身としてはなんてことない温泉だったが、疲れた体に大浴場が欲しかった。

22:00閉店だったので、時間いっぱいに入らせてもらった。

 

部屋に戻ると、奥さんは半分寝ていた。

もうシャワーも浴びて終了という感じ。

自分も、DAZNで試合ハイライトを見ながら寝落ちしてしまった。

 

17日(日)

夕べのうちに計画を立てていた、朝の観光。

 

渡月橋を渡り、開店準備を始めるお店を両側に見ながら歩く。

左に曲がり、その竹林の小径へ。

 

うぉー。

なるほど。すごーい。

 

ここから帰りながら、駐車場から車を出す。

なんと一晩300円!ありがたいねぇ。

 

チェックアウトして、京都の街中に戻る。

まだ彼の部屋に行くのは早いだろうという事で、神社参拝に。

 

 

晴明神社

陰陽師ブームで、かなりの人がいた。

今日、アウェイ京都のマリノスサポの人がいて、少し話した。

蔚山アウェイのこと、木村卓人のことなど。

甲府の快進撃の事もよくご存じの方で。

Jサポは共通の話があっていいわー。

 

 

上加茂神社

出町柳の下加茂神社に参拝することは、これから先もあると思う。

だけど車があるこの時じゃないと上加茂神社には来れない。

ということで。

 

かなり遅くなってしまったが、11:30頃王子の部屋に。

一晩過ごして、必要なものが新たにリストアップされていた。

 

机、照明、敷布団カバー。

これを買いに行こうと、今宮のイオンモールのニトリへ。

雨が降ってきた。

かなり駐車場に入るのに苦労したが、このニトリには大きな机類はなかった。

 

ということで、西院のニトリへ。

京都の道は混む。到着した時点で13:00。

しかしここは大型店で、品ぞろえは充分だった。

一番欲しがっている机が納得いくものがあったことで、割と早めに決断。

ここからまた四条通が結構混んだが、部屋に着き、運び入れて14:30。

 

ここでバイバイとなった。

感傷的な雰囲気もほぼなくw

 

というか甲府でレンタカーを返す時間のリミットが20:00だったため、先を急ぐ必要があったから。

 

とはいえ腹へった。

計算上4時間半で着く。

ってことは15:00に出れば19:30にはつける計算になる。

 

それがわかったのが熊野神社近くのこと。

であれば!

ラーメン食おう。

 

第一旭のラーメンを奥さんに食わせてやりたかった。

京都駅の近くの本店じゃないけど。

 

スペシャルラーメンと焼飯。

好評でした。特に焼飯が。

 

さて、帰路。

ここからさらにドラマがありまして・・。

 

スマホのナビで自宅に設定。

それ通りに京都東ICから高速に乗る。

行きは車のナビだったため、中央道が選ばれていた。

もちろんそれだろうと思っていたら、帰りは東名から中部横断自動車道が選択されていた。

 

え?鈴鹿?

行きこんなとこ通ったっけ?

 

おおお。そうか。

そういうことか。

ラストにあの眠さ爆発の横断道が待ってるのか・・。

 

まぁでも大丈夫でしょ。

到着時間は19:44と予想されている。

その通りじゃ困るけど、途中で短縮させられるでしょと。

 

だかしかし。

結構走っても、到着時刻はそのまま。

ムカつくくらい正確だった。

 

それじゃ困るんよ。

後ろにいっぱいに積んでるダンボールと荷物。

これを自宅で降ろしてからレンタカー返さんといかんのよ。

そんでもって近くまで行ってガソリン満タンにせねばいかんのよ。

それプラス、姫のチアの迎えもいかんと。

 

しかし、いくら走っても短縮されないまま横断道へ来てしまった。

そして、なんとあろうことかガソリンランプが点灯。

メモリが一つしかついていない。

 

さて困った・・。

こういう時、自分は思考として「こうなったらなるようにしかならない。判断ミスはそりゃあったと思うけど、いまそれ考えててもしょうがない。最善を尽くすには・・」というモードに入る。

 

その点で奥さんとちょっと険悪なムードになるも、過去の事考えててもしょうがない。

怒りや嘆きは解決につながらない。

 

増保で降りる。

やっているスタンドを探す。

20:00までのスタンドを見つけ、入れることにする。

ここで満タン入れるか、1000円とかにして近くで入れるか。

迷ったが満タン入れた。(これが後に功を奏する)

 

レンタカー屋に電話。

現在地と、到着予定時刻を伝える。

ガソリンの状況も。

 

本当は20:00で閉店なんですけど、10分くらいなら待ちますよ。

ガソリンは、そこからだと満タン認定できないので距離計算になります。

 

一応状況を伝えて、今日中に返す意思があることは伝わった。

増保から高速に乗るかの選択もあったが、下道でいったのも正解だった。

 

荷物はしょうがない。

レンタカー屋で降ろせばいい。

問題はそれをどうやって運ぶか。

 

もう一つ。

姫のチアの迎えが20:50にある。

このピックアップもしなければならない。

 

ここで奥さんと話し合い、以下のように決めた。

 

このままレンタカー屋に直行。

自分は返却手続きと荷物搬出。

奥さんは20:20の電車に乗り、自宅に帰る。

その際最寄り駅までばぁばに迎えに来てもらう。

奥さん、車に乗って姫を迎えに行き、その帰りにレンタカー屋で自分をピックアップ。

最後に明日の弁当のおかずをスーパーで買う。

 

レンタカー屋に着いたのが、20:10。

遅れたが、まぁ言ってた範囲内。

着いてすぐ、奥さんは駅へ。

 

自分は後ろの荷物を速攻で全部降ろし、敷地の端まで運ぶ。

(これにかなり時間を要した)

 

ガソリンの件で、距離計算をしてもらった。

京都で満タンにしたレシートが奇跡的にあって、それと先ほど増保で入れたレシートを合わせて見せる。

すると・・

何と距離計算との差額が6130円という。

 

え?さすがにそれは・・

(だって今時点でほぼ満タンよ?増保からここまでしか走ってないんだから)

増保で満タン入れてなかったら、この差額計算がおかしいことに気づけなかったと思う。

 

いえ、でも計算上そうなってしまうので・・。

 

ここで横にいた上司らしきお兄さんが言った。

じゃあそこら辺のセルフで今入れてきます?

 

あ、じゃあすぐ入れてきます!

 

でももう閉店時間過ぎてるのでなるべく早めに戻ってきてください。

 

これは温情だった。

彼らも本当は20:00で帰れているはずの所を、もうすでに20:30になろうとしていたのだから。

 

場所を聞き、パスポートセンターの近くのセルフに。

意外と距離があったが、ここで満タンにすれば満タン認定になるらしい。

 

着いて満タン入れる。

案の定、入れ始めたらすぐ止まった。

 

226円也。

 

でしょうねー。

 

急いで引き返し、レシートを一瞥して返却終了。

かくして、レンタカー1日延長料金&会社休んだりしなきゃいけないかも問題を防ぐことに成功。

 

あの状況からの最善は尽くせたと思う。

 

ここから約30分。

ダンボールを解体し、発泡スチロールを細かく割る作業に没頭。

駅前の道端で、飲んで帰ってくる人波にさらされながら。

 

 

21:10

奥さんの車が到着。

車にその荷物を積み込み、スーパーに寄って帰宅。

 

いんやー疲れた。

家に帰って、一言だけツイートした。

 

めっちゃ最後焦った。

時間とガソリンと迎えと。

ただ、目に見える被害は、ない。

 

まぁそっから先も荷解きや洗濯、ゴミ整理などで日付が変わるくらいまで。

風呂入って、寝たら普通の月曜日。

 

 

そんな京都ツアー。

生きていればいろいろある。

翌日これを書いている時点で、まず言えることは「筋肉痛がひどい」w

一瞬なぜかわからなかったが、そういえば5Fまで荷物持って往復したんだった。

そのことを忘れるくらい、いろんなことがあったツアーでしたわ・・・。

あまりにも鮮明で、起きた瞬間に寝ぼけながらも記録していた夢のはなし。

普通、夢というものはすぐ忘れてしまうことが多く記録する気にもなれない。

だけどこの時はそれに成功した。

 

今読んでも意味不明なところはあるが、実はその光景は思い出せたりする。

 

この夢を見た日は、長い出張の最後の日のこと。

久しぶりに帰ってきて自宅で休みの朝見た夢だったと思う。

 

そのメモを辿りながら時々ツッコミや解説も入れつつ、ここに残してみたい。

 

**********

 

この出張の帰り。

会社に戻り、出張の荷物を置いてなにか買いたいものがあってワークマンに。

しかし目当てのものがなく、空振りで会社に戻ることに。

※ワークマンは会社のそばにはない。

 

思えば久しぶりの本社。

小淵沢のインターの交差点で財布を持ってないことに気づく。

カバンはもともとなく、後ろのポケットにもない。

(この時、財布のイメージは実際に今使っているものを鮮明に思い浮かべている)

 

その時乗っている(運転している)のは、滑り台的形状の屋根もなにもない原付のような一人乗りの乗り物。

(この乗り物にその夢の中では違和感を感じていない)

 

信号で停まっていると、行きたい右側の道がトレーラーとバスの衝突か故障かで立ち往生している。

まだ警察も来ていない。

道がふさがれてしまっているためその間をすり抜けていくも、会社までの1本道は雪でふさがれてしまっている。

 

道の右側の、工務店的な大きな敷地に入る。

そこは初めて入った敷地だったが、こんな緊急事態なのだからしょうがない。

人は誰もいないようだ。

そこには、行きたい方角に上り坂のトンネルが続いていた。

 

しかしそのトンネルもほとんど雪で覆われていて、乗り物をあきらめ、徒歩でというか這って雪をどけながらそこを登っていく。

 

ようやくトンネルを抜けて上に登りきると、そこはまだその工務店の敷地の一部。

雪はなくなったが、大きな深い四角い穴が掘られていて、その横を通ってもとの道に出る。

ここには雪はない。

 

道路工事の横を抜け、会社に続く1本道を徒歩で進む。

いつのまにか夜になっていた。

会社の方角に明かりが見える。

 

しかし、やけに賑やかだ。

そこには会社しかないはずなのに、いつのまにかいろんな建物が立っている。

遠くにニトリの緑色の看板が見える。

 

いつのまにそんなんできた?

他にもたくさん建物があって、すべて新しい。

大型商業施設と、銀行、研究所的なのが立ち並ぶ都市になっていた。

 

???

 

そのエリアに到達すると、人がたくさんいる。

親子連れなんかもいる。

薄く青い光に照らされて、道や建物がライトアップされている。

 

なんだこれは。

なんだここは。

 

会社はどこだ?

この道沿いに会社が絶対あるはずだ。

どこいった?

 

街が大きくなりすぎて会社がどこかわからない。

そんなことある?

 

その街は上階と下階に分かれていて、さながらモール的な感じで、いくつも階段やエレベーターがある。店がたくさん立ち並んでおり、自分の会社がどこにあるのか全く分からなくなってしまった。

 

あんなに特徴的で、丸い建物なのに。

この効率的な四角の中に吸収されるはずはないんだけどなぁ・・。

 

上の階で途方に暮れていると、同僚の山本くんが電話しながら目の前に出てきた。

電話をしながら「お疲れさまです」と言葉を吐くわけでもなく会釈をしてくれた。

(ある意味これはよくある光景だ。この異常なシチュエーションを除けば)

 

なら会社はあるのか?

山本くんが出てきたその場所には、特に道があるわけではない。

どっからきたんだ?

 

早く電話追われ。

この異常な状況を説明してほしい。

タイムスリップなのか?

いや、それにしては山本くんは今のままの姿だ。

 

わからない・・。

 

続いて、みっちゃんが出てきた。

青い、ラーメン屋のものと思われるTシャツを着ている。

 

ああ、○○さん、お疲れさまです。

疲れてますね。

 

こういう事ですか?と、

いきなり自分の足先を持ち、ツボを押そうとする。

 

な、なんで?

 

でも疲れてるからそれもありがたいと思い、(それもおかしいだろ)身をゆだねる。

すると不思議なことに自分の足に、青字に白い文字でツボの位置と解説が表示された。

 

え?なにこれ。すごい。

 

みっちゃん、ツボを押す。

 

こういうことですよね。と。

 

痛!!

 

**********

 

というところで目が醒めた。

ひと月経った今これを書いていても、ところどころの光景は今でも憶えている。

文字では伝えきれていない部分もあるけど、かなりの精度で再現できたと思う。

 

 

 

 

<考察>(意味ないかもしれないけど)

この時の状況としては、本当に極限状態に近く疲れていた。

正直、熱もあり体調は最悪という状態だった。

 

ワークマンやニトリは、息子の引っ越しに関連していると思う。

全編を通して、行かなければ。帰らなければ。の強迫観念が強い。

軽装備で財布だけ持って買い物にいくなんて、しかもその財布を無くすなんて、何か急いでやらなければならない状況であることの暗示だろう。

 

工務店の雪のトンネル、大きな深い穴の横を通るのは、危ない橋を渡っているという意味なのだろうか。

 

会社が見当たらない。

いつの間にか街ができている。

これは、自分が何かに取り残されているという事なのだろうか。

 

それから「青」がやけに協調されている。

これはどういうことなんだろう。

 

山本くんには特に意味はないだろう。

その場所は帰ってくる場所として正しかったことの証明と、あとはじれるための演出だと思う。

 

で、みっちゃん。

この春に退職(夢の時点ではまだ在籍していた)予定の同僚。

思えば彼とは結構長く仕事をした。

 

青いTシャツのラーメン屋、あんまなさそうだけどな・・。

そものも食と青というのはあまり相性がよくないとされているし。

ただ、次の瞬間ツボを押そうとする。

 

これは、会社を辞めて次に何をしようと色々彼が考えていることを相談をうけていたので、それがごちゃまぜになって出てきたのかな。

 

 

なんか昔は、こういう話を物語風に書いて最後に夢オチ的な記事にしてここで書いてたけど、いまはそのエネルギーというか創作意欲もないってことなのかなぁ。

 

いやだから、創作じゃないっての。

実際見た夢なの。

 

 

 

 

姫が小さな頃から、正月には百人一首がうちのイベントだった。

これは実は自分の実家での文化を引き継いだもの。

 

毎年、正月には実家で弟家族と百人一首が恒例行事。

 

物心ついた時からやっているので、小学校4年生くらいで授業で習う頃には、他の子よりもかなりのアドバンテージがあった。

 

小学校時代

夜、寝室まで一緒に行き寝るまでの少しの間、姫と会話して降りる時期があった。

その時の会話というのが、

 

①縛りつきしりとり

②古今東西

③古事記の神様

④百人一首

だいたいこのどれかだった。

 

もっと前、幼稚園時代には、こんなこともしていた。

 

 

現在中学1年生。

けっこう百人一首にまつわるイベントがある学校らしい。

1月に大会があって、クラスの3人の代表に入り、3年生までの全クラス対抗の個人戦という大掛かりなものだった。

 

そこでなんと、姫は2年生3年生を次々となぎ倒し、翌日の決勝に駒を進める。

そして決勝で待つのは同じ1年生、同じクラスの子だという。

 

なんだそのレベルの高いクラス・・。

 

翌日の決勝。

一騎打ち。

先生・生徒たちの見守る中、決勝を戦い、見事に散ったという。

聞けば相手は百人一首の大会に出るほどの猛者。

1字決まり、6字決まりなども完璧で、さすがにダブルスコアで敗退した。

 

<1字決まり>

むすめふさほせ

これは最初の1文字で札が確定する。

 

らさめのきりもまだひぬまきのはに きりたちのぼるあきのゆうぐれ

 

競技に出る人じゃないと知らないわこんなの。

こういうのがすべて頭に入ってる相手だったとのこと。

そりゃ勝てんわな。

 

映画 ちはやふる で見たあの世界。

 

しかし姫、よくそんな相手から半分取ったな・・。

 

さすがに相手が強すぎて、しかも仲の良い子だったようで悔しさはそれほどなかったという。

だけど、このことが姫の向上心を燃えさせた。

 

元々持ってた百人一首の本を再度読み漁り、作者やその意味を研究する。

作者の立場や置かれた状況などもどんどん吸収していく。

もう完全に自分のレベルを超えた。

 

先日、ちょっと試してみたいというので、これまで何度かやったテストを。

自分が上の句を読み、姫が下の句を言う。

何枚言えるかというテスト。

 

なんなら上の句の最初の5文字で、すぐに下の句を言う。

スラスラとそれが進んでいって、1枚だけつまづいた。

すぐに出そうにないので、保留にして続きを読んだ。

 

あれよあれよ。

なんと驚愕の99枚正解。

 

その1枚のみ、どうしても下の句が出てこない。

その1枚が、

 

この歌。

 

相当悔しかったらしく、この歌の意味を後日解説してくれた。

 

新婚の妻。

今は幸せだけどこれがずっと続くかどうかわからない。

いっそのことこの幸せを感じている今、命を終わらせてしまいたいくらい。

 

死んじゃったら幸せじゃないじゃんねぇ。

 

へぇー。

勉強になります。

旅芸人生活の移動中、何回かに分けてゆっくり読んだ本。

短編集というのは、こういう時にありがたい。

 

 

歸鄉

タイトル作。旧字体であることがまた重みを感じさせる。

終戦から時間が経って帰ってくると、こういうことももちろん起こりうる。

その辛さと、気丈にふるまう感じが・・。

 

鉄の沈黙

南方の島。もう終わりが見えている。

だけどもそれを口にしない。

 

夜の遊園地

戦後。野球終わりで隣接する遊園地に来る親子客。

価値観や生き方が変わっていく中、戦争体験で抜けないトラウマ。

父・母の生きざまに気づき、電話をする。

 

不寝番

タイムスリップ系。

1973年の自衛隊員と1942年の陸軍兵士。

自動販売機はそりゃ1942年にはないよな・・。

 

金鵄のもとに

鵄はみみずく、またはとびと読むらしい。

それに金が付くと果たして何と読むのか。「きんし」か?

ブーゲンビル島で玉砕したはずの「月7386」部隊。

「ジャングルの中で出くわして怖いものは、味方の兵だった」

この話が一番読んでいてつらい。

 

無言歌

これもつらかった。

「酸素を無駄に使う」という意味が最後になってわかる。

 

 

旅芸人生活では、自分も色々思う事があった。

体的にも疲れていたし、ストレスも溜めていた。

だけども、そんな日常を吹っ飛ばすくらい壮絶な時代のドラマに触れると、なんとなくシャンとする。

 

浅田次郎の短編ならまちがいない。

いつも助けてもらってます。

おらが町のチーム。ヴァンフォーレ甲府。

あの天皇杯制覇から約1年半。

夢のようなステージでの、夢のような交流、そして懸命の闘いがあった。

 

ACL出場を罰ゲームという論もある。

たしかにフロントスタッフにとってはそれはそれは大変な仕事だっただろう。

小瀬が使えず、スタジアムを借りるところから。

運営計画や遠征の手配なども想像を絶する仕事量だったと思う。

 

1勝もできないんじゃないか。

成績によっては日本の枠を減らされる可能性もある。

 

戦前、そんなことも言われていた。

 

8月

組み合わせ抽選。

メルボルン、浙江、ブリーラムと同組になった。

このためにパスポートを取っていたので、1試合くらいはどこかへ応援にいきたかった。

だけども仕事の都合でどれもいけず・・。

 

第一戦 アウェイ メルボルン

初戦は、こっちがシーズン中、あっちがシーズン前という事もあって、戦術完成度の面でアドバンテージがあった。充分に勝てた内容だったが、ドロー。歴史的勝ち点1。

 

第二戦 ホーム ブリーラム

#甲府にチカラを と銘打った渋谷・新宿の大看板。

これにJサポが反応してくれた。賛否あったみたいだが、こんなん賛成に決まってる。

さまざまなユニを着たJサポが甲府にチカラを与えてくれた。

その中で、90分の元希の劇的ヘッドで勝ち点3をゲット。

 

第三戦 アウェイ 浙江

さすがにそううまくはいかない。ビザの関係など非常に難しい中、約100人の甲府サポが中国に乗り込むも、試合は0-2の完敗。

 

第四戦 ホーム 浙江

この試合の甲府は強かった。国立のエラい席からの観戦。

ウタ、ジェトゥ、マサ、鳥海の4ゴールで快勝。

Jサポの力を借りて、しかも結果を出したことで注目度も俄然上がった。

ここでなんと甲府がグループ首位に立つ。

 

第五戦 ホーム メルボルン

首位攻防の大一番。シーズンインしたメルボルンは初戦とは違った。

しかし甲府も一歩も引かない。

あの純真の同点ゴールは感動して震えた。3-3ドロー。

 

最終節 アウェイ ブリーラム

大挙してタイ入りした甲府サポの数、なんと約800人。

DAZNで見ていても甲府の歌が聞こえる。

前半3-0で折り返し、余裕かと思っていると、あれよあれよの2失点。

この試合から復帰した河ちゃんのスーパーセーブが炸裂し、勢いを止めた。

 

浙江がADTに同点に追いついたことで、甲府がグループ首位通過!

自分はいけなかったけど、この日のブリーラムでの祝勝会はさぞ盛り上がったことでしょう・・。

 

チームはこれで解散。

新チームに。

 

ACLノックアウトステージ進出したとはいえ、環境、財政面はクラブ運営に重くのしかかる。

元希、凪生、ハス、亮太朗、詩音、クリス、三浦など、ACLでもリーグでも主力だった選手が次々と移籍してしまう。

 

専用スタジアム、専用練習場、給料、カテゴリなど、足りていない部分は多い。

もちろん今すぐに解決できる問題じゃない。

だけども、この露出度、功績でそれが前に進む気配がないことが悔しい。

 

ただ、新加入選手は楽しみなメンバーが揃った。

退団濃厚と言われていたウタカとマンシャも残ってくれた。

最初に契約更新を発表した鳥海が今年は10番を背負う。

なんとあの、アダイウトンも来てくれた。

 

しかもラッソもアダも、新体制発表会から清水・宮崎キャンプすべてに参加。

外国人助っ人は普通宮崎の途中くらいからゆっくり来るものだけど、このACLがあることでそうしてくれたと思う。

 

ノックアウトステージ

1stレグ アウェイ 蔚山

残念ながらこれも仕事でいけなかった。

ここにも甲府サポは大挙して後押しにいった。

序盤、積極的に前に出る甲府の勢いでチャンスを作る。ラッソの1対1、アダの飛び込み。

このチャンスをモノにできていたら展開は変わっていたと思う。

 

相手はチャンスを決めてきた。

最終スコアは0-3。

ただ、まったく歯が立たない感じでもない。

チャンスの数では甲府も負けていない。

 

2ndレグ ホーム蔚山

体調最悪な中、這ってでも行くと決めていった国立。

指定席であったことが幸いし、待機列の行列がなかったことは助かった。

あきらめない甲府サポ。そしてこの劣勢の中、これまでのどの試合よりも観客数が多かった。

 

甲府イレブンは果敢に攻めた。

いくらいなされても、走るのをやめなかった。

先制されても全くひるまず、前からプレッシャーにいく。

シュート数27本。

しかし、これは入っただろというシュートをことごとく相手GKが止める。

韓国代表のキーパーのレベルを思い知らされた。

Jリーグに複数いる韓国GKを押さえての代表正GKなのだからそりゃすごいだろうけども。

 

そんな中、88分に決まった三平のヘッドは魂が揺れた。

この1点は甲府を後押しする全員に対して、サッカーの神様がくれたご褒美だったのかもしれない。

 

1-2。

勝てはしなかった。

 

だけども、この試合の終了の笛はすがすがしいものだった。

万雷の拍手が物語っている。

これは現地にいた者でないとわからないと思う。

 

あの天皇杯制覇からの1年半。

ACL開幕からの半年。

夢のような時間だった。

だけど、決して夢ではなかった。

 

おらが町のチームは、ヨーロッパのサッカー誌でも特集が組まれるくらいの快進撃を見せた。

そしてそれは試合の成績だけではない。チームとしてのカラーやJサポ連合など、このストーリーには語るべきポイントがいくつもある。

 

そんなチームを応援している者として誇りに思う。

最高だぜ甲府!

 

これからはリーグ戦が始まる。

J2の闘いだってそりゃ甘くない。

だけど、ここで一段意識の変わった選手、クラブ、サポーターの力をリーグで示したい。

そしていつか、専スタを山梨に。

 

J1の開幕戦をそこで。

生きてるうちにそこで応援したいなぁ・・。