先月は悲しい別れが続きました。

11月初めに知人が癌で亡くなりました。67歳でした。
そして先週、義父が97歳で亡くなりました。
義母が亡くなり、一人暮らしをしていた一昨年から具合が悪くなり、95歳で前立腺癌の末期で放射線治療と睾丸摘出手術を聖路加l国際病院でして、一旦は少し元気になり、別の病院に入院していましたが、その後は少しずつ体力がなくなり、最後の数週間は何も食べることができず、点滴のみでした。
手術をしてから、約1年半頑張りました。
11月はじめごろまでは頭はしっかりしていてボケたりもしないで最後まで立派でした。
私が22歳で結婚してから、自分たちには息子しかいなかったからと本当の娘のようにかわいがってくれました。

義父は東京帝国大学を卒業し太平洋戦争中は高崎連隊で暗号の解析などをしていたそうです。卒業後は都市銀行に入行。丸の内支店長やロンドン支店長、役員、常務取締役などを歴任。70歳まで関連会社で活躍しました。

もともと、銀行でテレックスを打っていたそうで、英文タイプができたことから、キーボードは抵抗が全くなく好奇心旺盛で早くからPCを使っていました。Facebookもやっていて子供や孫たちの写真を見て楽しんでいたようです。入院する前95歳ごろまでは、PCで日記を打ち、メールをしたり、インターネットでたくさんの新聞をチェックしたりして、好奇心も旺盛で見た目も10歳以上若く見えました。私のブログは必ず見ていて、最近ブログ書いていないね。なんて電話がかかってきたりしていました。PCを使えたので一般的なお年寄りとはかなり違う生活ができたのではと思います。
 

一昨年、具合が悪くなって救急車に乗った時、救急隊員が昭和13年と80代男性と間違えていたのを「わしは大正13年生まれ。95歳だぞ」と訂正していたのを思い出します。
コロナ禍で昨年の3月ごろから一時、ほとんどお見舞いに行けなかったのが本当に悔やまれます。
10月中旬からは、コロナが落ち着いたのでと特別に許可をいただき、10分間だけ毎日会うことができました。最後の2週間は朝と夕方顔を観に行っていましたが、「美雪さんきてくれたんだ~」と声を絞り出してくれました。

早くに両親を亡くした私にとっては、いつでも守ってくれる人で、90代になってもとても元気だったので、ずっと、生きていてくれるような気がしていました。

コロナ禍で家族だけの葬儀でしたが、家族みんなでお別れすることができたので、父も喜んでいることと思います。
年齢ではおめでたいと言えるかもしれませんが、本当に悲しい。そして長い間ありがとう。舅姑との関係が難しいという話を時々聞きますが、わたしにとって義父母には感謝しかありません。

今頃、天国で私の両親や1年半前に逝った母に逢っている事でしょう。                   合掌