昨日は精神的にずっと心臓バクバクの極限状態で、かなり弱気のブログを書いてしまいましたが・・リアルタイムで今のことを記事にするのがなかなか難しく、父のことでも書こうかと思います。

 

私の父は父親(私の祖父)が小さい頃亡くなり、貧乏な家庭で育ち、夜間の高校を出て、仕事につきました。ものすごく努力をして50歳の時、その職では頂点に近いところまで上りつめました。重要な案件の指揮をとり、テレビニュースに出たこともありました。並の努力ではなかったと思います。

ようやくこれから、という時、病に倒れました。実はそこから遡って、父がまだ30代前半の頃、肝臓を悪くし、30代後半で食道静脈瘤の大手術をしました。本人はもう自分は先がないと一度は絶望したものの、苦しい術後も乗り越え、仕事に復帰しました。それから9年後の出来事でした。

 

ちょうど今くらいの時期・・・お盆で帰省していた父はだるさがひどく、常にゴロゴロしている状態でした。なんだかお腹も大きくなってきて・・。

腹水が溜まっていたのでした。

夏休み後に仕事に戻りましたが、どうにも体調が悪く、職場から病院に直行。そして父はその後生きて家に帰ることはありませんでした。

入院とすぐに言われ、母は父がもう長く生きられないことを伝えられました。

 

遊ぶのに夢中だった当時の私は「これから帰るよ〜」と千葉駅から電話したら母が「お父さん、もうダメだって」と泣きながら伝えてきたのが忘れられません。

 

まだ携帯がなかった当時、外から電話を見つけては病院に電話。当時、完全看護ではなく母は泊まり込みで父の看病をしていて家にあまり帰りませんでした。

父の病状はまさに坂道を転げ落ちるように悪くなり、私はまだ生きている父のために喪服を買いに行かなければならないことになりました。今でも母が病院の裏口で喪服を買うように涙ながらに話した姿が忘れられません。

 

入院して1ヶ月もしないうちに父は苦しんで亡くなりました。最後は大人が何人で押さえてもダメなくらい苦しんで大暴れする壮絶な最後でした。病名は肝硬変からの肝不全、でした。

 

反抗期をようやく抜けて、これから父ともっと話ししたいと思っていた私は後悔ばかりが残りました。父が遺した手帳には私が学校で頑張っている、とか大学に受かって嬉しいとか書かれていて・・・本当に辛かったです。

 

父が大好きだった母の苦しみは計り知れませんでした。そんな母にその後も心配ばかりかけてきた私。後悔することばかりです。

 

今日はここまでにしたいと思います。読んでくださった方ありがとうございました!

さて、今日も母の病院に行ってきます。