年端もいかない洟垂れ小僧の頃に、はじめて口に入れた酒精といったら、やはりロッテのバッカスチョコレートやウィスキーボンボンの類いだったろうか。

いや、あるいはキリンビールの泡ぶくといった記憶もあって、どちらが先だったかはさだかでないが、さだめしそんなところだ。

へべれけという案配を身を持って覚えたのは、中坊になって一年以上経った頃のことで、当時徒党を組んでいたS男の自宅に雀卓を囲みに行くと必ず、渋茶代わりに出るオールドパーのコーラ割りを、期末テスト最終日などは解放感から、ついつい飲み過ぎて、チョイナチョイナと即席の歌踊り寸劇漫談が出た後に、おおかた皆ぐでんぐでんになった。

一眠りした後、酒精くささを消すために大蒜をしこたま入れた辛みそタンメンやら、味噌バターラーメンの出前を頼むのがお決まりだった。

煙草の方はセブンスターの愛飲者が圧倒的に多かったが、僕はミスタースリムだの、サムタイムだのの薄荷煙草を愛飲していた。初な僕はむろん肺には入れられず、ただ吹かすだけではあったが、乾燥注意報が発令されている只中でも、十中八九枯れ木枯れ草の野山に分け入り、あれだけ皆で煙草を吹かしたのに、よく野火に繋がらなかったものだと、振り返れば奇蹟に思えるほどだ。

高校に上がれば、煙草、酒精はより茶飯事なものになり、ある武道系の部に所属していたが、春夏の合宿の夜には、お疲れさんチューハイ、麦酒の類いが樽やピッチャーで回ってきたし、蚊取り線香の煙でカムフラージュして薄暗がりのあちこちで狼煙が上がり、蛍がきらめいていた。僕が、はじめて二日酔いの苦しさを身をもって煩い、あやうく急性アルコール中毒になりかけたのも、その頃だ。ブルーハワイだのバイオレットフィズなど毒々しい色の流行りのコクテルや、NEWSだのCOBRAといった安価なウィスキーをがぶ飲みして、意識朦朧としていたところを、運良く母方祖母に発見され、塩水を大量に注入し胃洗浄をしてくれたおかげで、どうにか急性アル中には至らず、事なきを得たのだった。


<続>

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