15でオカマ オカマで女優 -2ページ目

15でオカマ オカマで女優

ドラマチックに咲いてほしい性転換後

読者のみなさま。
こちら安斉トモ子でございます。

みなさま、長らく
「15でオカマオカマで女優」
のご愛読をありがとうございました。


さて、
この雰囲気から察していただける通り、
今日を最後に
「15でオカマオカマで女優」
は終了とさせていただけます。

ファンのみなさまには悪いですけど、
私もう決めたことなんです。



中三の終わりからいままで
私は等身大に日々の思いや気づき、
これからの意気込みをここに書いてまいりました。

等身大ゆえに過去の記事を見るときは
枕に顔を埋めてあしをエアばた足させたいくらいです。

こんな独りよがりのプーblogに多くの来訪者が来てくださったのは一重に、
もの好きな読者のみなさまと、
アクセス数が上がるような記事を書いた私の努力でしょう。

本当にありがとうございます。


*


私がアメーバblogを始めた理由は
中二のとき、アメーバ総合ランキングで上位にきてた「あんどう蒼」さんに触発されてでした。


当時、はるな愛もテレビに出ていないころで
私にしろ一般人にしろ、日常生活ではめったに会えないようなニューハーフさんが
blogという新時代の情報媒介で私に勇気をくれたものです。

まさにblog、ニューハーフともに
神秘をまといその実態を我々に見せつけていた時代でしたね。


そして、尻の青いペーペーだった私もあんどうさんを真似してアメーバをはじめました。

そのあと、能町みね子さんのblogもにもはまり
いま思えばあれこそがアメーバの全盛期だったような気がします。


*

結論から言うと
アメーバは

読み込みが遅い!!

「記事の保存に失敗しました」が多い!!

「現在アメーバは使用できません」が多い!!

カテゴリー一括変換が出来ない!!

記事を書くごとに、とにかく不都合さを感じていました。

ケータイメールからの記事投稿はなのですが、
あとからパソコンで記事を編集しようものなら常に動作が、
後半はメール投稿のみの投稿逃げが多かった気がします。

あと

<br/>と<p/>
の関係性もややこしかったのも個人的にかなり痛いアメーバの特徴でした。



カテゴリー一括変換というのは
例えば三つの記事を「日記」カテゴリーから「想い出」カテゴリーにしたいとき
他のblogであれば その三つの記事を一括で変換 できます。

ところが、アメーバさんは
一つ一つ記事の編集画面を開いて変えなくちゃいけない のです。
カテゴリーのみを変えたい場合もね。

こういう利便性が悪いことを
インターフェイスが悪いと言いますね。


blogサイトを比較しているサイトで調べてみたところ
やはりアメーバは、ピグやなう、ルームなどに力を入れますが肝心のblog機能はあまりよくない、
とのことでした。


とアメーバの最後なのに
アメーバさんの悪口ばっかりになってしまいました。

いや・・・アメーバさんには感謝してますよ。

さまざまな人に出会えたのもアメーバは交流システムが盛んだったからでしょうからね。
それにデザインがすごくやりやすくてオシャレなのも多かった。

ありがとうアメーバさん。


これで最終回です。

なんか、思い出がいっぱいだよ。


*

いまだからいえることといえば
「15でオカマオカマで女優」
というタイトルをいつか変えようを思っていたことですね。

最初はインパクト命でアクセス数を向上させるためのものでしたから。
オカマと言う言葉はやっぱりよくないしね。


あと、出会い厨やアンチも多かった。

メッセージでは歯も浮くようなセリフや
私の人生が地獄絵図のように示唆する人もいましたが、
そんな私がパソコンやケータイから顔をあげれば、そこは
ただの平凡な毎日と、なんのへんてつもない女子高生生活でした。



「15でオカマオカマで女優」
は今日で最終回です。

いままでご愛読いただき
まことにありがとうございました。

アメーバでの歴史は一重に私の思春期の歴史です。

今日の日はさようなら。
みなさんお元気で。



P.S.


ここの記事はこのままにして置きます。
まぁ、読み込みの遅いアメーバで一つ一つ下書き状態にするなんて一年かかりますからね。



あ、ちなみに
新しいblogはこっちです。

「ともちーの思うこと」
http://gogoslot.go-th.net/
(主に評論・感想・雑学をかいてます)

「安斉トモ子のどたばた日記」
http://tomoko15.blog.fc2.com/
(主に日記をかいてます)



って
ただの引っ越しだったんかい!!

と突っ込んでいただければ幸いです。

注・この記事は7月1日に書かれました

*

高校を卒業してから急に、
アニメとか漫画とか映画とかの類が嘘くさく感じてきた。


いわいるサブカルチャーというものは
日常にたまに湧き出るドラマチックな場面に肉付けをしてくれるものだと思う。

だから、所詮漫画やアニメ、小説にドラマなんてのは
現実には敵わないし
まして、それら仮想の世界を現実の世界として崇めるように憧れるのは愚の骨頂だと思う。

仮想の世界を現実に見出だしては、
何か一つカタルシスを見出だすような気持ちは私にも分かる。

しかしその感情は、
あくまでその人にしか分からない。
時にそのことを忘れて、作品の偏愛を他人に強要することもあるかもしれない。

例え同じ作品でも、それを好きになるには
他人と他人では温度差があることを覚えてほしい。





笑い話にしか聞こえないかもしれないけれど、
仮想世界の人に恋をするのはかなり辛いことです。

これは口にこそ出さないけれど多分女の子ならそれなりに経験があると思う。


そりゃ方方のアニメではセールスポイントのためにいくつか魅力的なキャラを描くから、
『このキャラが好き』
ってのはよくあると思う。

じゃなくて、本気で恋に落ちるの。

いつも決められた表情しか出せない登場人物を。

そんな時は逆に現実が嘘に感じてしまうぐらい、ぼんやりと淋しさに包まれる毎日を過ごしてしまう。

私の小学四年生の頃の思い出だけはいつも思い出すと、アニメや漫画のようなフィルターがかかったような映像が浮かんできます。



だからと言って、いつまでもズルズルと
漫画や映画の延長を見てきて、肝心の現実を正しく見れなくなるなんておかしいよね。

いい作品とは、生身の人生の名場面で
ふと思い出すものだと私は信じてる。
むかし我が家にあった
"小学館のなんでも百科"みたいな分厚い百科に
漫画文化を解説するページがあったのですね。

そこで解説の一端として当時人気絶頂だった高橋留美子先生の顔写真が載っていたのですが
あまりご器量がよろしくなかったので唖然とした記憶があります。

「高橋留美子ブサイクだね」
と歯に衣着せぬ姉はバッサリと切り捨てたのですが、
かくいう幼き日の私も
『漫画家ってかわいい絵を描くけど、容姿は・・・なんだなぁ・・・。』
と残念に思いました。
(フォローをするなら、その百科はやや古い百科だったので、
留美子先生のファッションも古かった。牛乳瓶底メガネだったし。)

*

最近はもっぱらかわいい女性漫画家さんもいるようなので、
今回かわいい女性漫画家をピックアップしてみました。


・東村アキコ

15でオカマ オカマで女優-akiko
代表作品「海月姫」「主に泣いてます」

美人ですね。ただ顔が薄いのですっぴん画像とはずいぶん印象が違います。
女っ気のないギャグ漫画を描いていたのでもっとがさつそうな人かとおもってました。


・けらえいこ

15でオカマ オカマで女優-kera
代表作品「あたしンち」「たたかう嫁さま」

かわいいですね。

自伝漫画で「こんなにかわいい嫁さんがもらえるんだよ」と逆プロポーズしてましたが、
『自分で言うか?』と当時おもったものの、このかわいさならアリだと思います。


・一条ゆかり

15でオカマ オカマで女優-ichijo
代表作品「有閑倶楽部」

きっとお嬢様だったのでしょうね。
若いころの画像がかわいかったのですが見当たりませんでした。


・岡田あーみん

15でオカマ オカマで女優-a-min
代表作品「お父さんは心配性」

美人漫画家といえばこの人を置いてほかにいないでしょう!!
漫画家としてはそこまで売れませんでしたが、いまは酒造屋のお嫁さんとして幸せに暮らしているそうです。


・久保ミツロウ

15でオカマ オカマで女優-kubo
代表作品「モテキ」「アゲイン!」


いや、べつに受け狙いとかオチじゃなくて、
普通にかわいいと思います。

ANNのPR動画ではほぼすっぴんで出ていたのですが、
審査を通過されたときの記者会見では綺麗におめかしをされててだいぶ印象が違いました。
やっぱり顔がうすいと化粧映えするなぁ。

再三のお願いに、仕方なくとうとう女傑にこのblogを教えた。

アドレスを教えてしばらくたって返ってきた彼女のメールには
他愛ない文章にまみれてこうあった。
(この間にこのblogを読んだらしい)

[てかブログちょっと読んだけど、なんていうか苦労しとらんわけないとは思っとったけど、ちょっと想像以上だった。ごめん。]


*

私にはこんな思い出がある。


[小島さん]という名前の、どちらかと言うとあまり友達の多くない女の子がいて、
たまに彼女とは私の帰り道とが一緒で、共に帰ることがあった。

そのとき、いつも小島さんは自分の家の話しをするのだった。

早い話、お母さんがシングルマザーだという話なんだけど、
だから大変だ、とかそういう単調なものではなく、
離婚までのいきさつをこと細やかに話し、クライマックスに流血シーンを持ってきたのだった。
彼女はその話をするとき淡々としていて、まるではじめから脳がそうプログラミングされてる独白のように喋った。

私はその話を聞きながら、ドン引きしながらも
『ドン引きしてる場合じゃない!彼女を慰めなくちゃ!』と思い、
素直に、
「大変だね」
「だからあなたはこんなに真面目なんだね」

と私なりに慰めた。

電車を降りたあとも、彼女の家系の事情は、
街の排気ガスに負かれる私の中にこだましていた。



ところが、
これはあとから女傑から聞いたのだが、
小島さんは誰かと話す度に、この流血話をするらしいのだ。

確かに私もまだあまり仲良くないのにこの話をされた。

これにはさすがにそのとき、
私もちょっと胸につっかかるようないぶかしさを感じた。
『そんな惨たらしい話をわざわざ心開いて私にしてくれたんだ』
と彼女の心を汲み取って慰めたつもりだった私がちょっと間抜けに思えた。


小島さんのその悪いクセには、女傑や女傑の友達たちのグループなどから疑問に思われ、
あわや糾弾事件にまで発展しかけた。
(けっきょく不発に終わったが)


*

今回、いままで私に
「お前は楽だ」
「お前は恵まれている」
と常々言っていた女傑が、
私のこのblogを見た途端、
[てかブログちょっと読んだけど、なんていうか苦労しとらんわけないとは思っとったけど、ちょっと想像以上だった。ごめん。]
と謝ったのは
まさにこの小島さんのやり方を私はしなかったからだと思う。


要するに人に愚痴を言わない、
自分の不幸を言わない。

となると、そんな風に大変な内面を見せてないと、人によっては
『あいつ、のんべんだらりとしやがって』
と思われるかもしれない。
もちろん分かる人には話さなくても事情を分かってくれるが、だからといって無下に自分の不幸を話す必要はない。


まして小島さんのようにまだそこまで仲良くなってないような友達に、
反応に困るようなことを言うのはやっぱりルール違反だと思う。


人の辛い気持ちを推すのは大切なことだ。

同時にそんな倫理をもっている人は素敵なことだと思うし、
人としての基本だとも思う。

だからこそ、自分から‘自分は不幸だ’とか‘ここが不遇なんだ’とか言うものではないと私は思う。

そうやって言ったときに、
他人の不幸なんてどうでもいい人には何とも思われないけど、
他人の不幸を気にする人だったら、そういう人だけが心労になってしまう。

つまり、優しい人だけが損をするのだ。


だから私は不幸を人には話さない。

同時に、他人に対して『恵まれているなぁ』とはあまり思いたくない。
またとりわけ私生活を知ってる家族以外の人には『怠惰』を攻めたくない。


*


私が通っていた中学校は進学校なので、ハッとするほどお金持ちの人が何人いる。

俗に恵まれている・・・といえば大抵は家柄と容姿を指すであろう。
その二つを備えた女の子は何人もいた。


中学校のころは私も本気で思っていた。
「この人いいなぁ。恵まれているなぁ。この人になりたい。」

その人を語ると長くなるけど、
彼女と仲良くなるにつれて、彼女の家がいかに厳しいかを知った。

その時、私は表面だけを見て、人の置かれた環境を判断するのは辞めようと思ったのだ。

人間の置かれた環境は複雑な事情が交錯して毎日となっているので、
単純比較の恵まれているかいないは至極不毛なことだ。


*

大津事件に思う。
周りを気使わせたくないためにいじめを黙秘して、自ら命を絶った被害者が不憫で仕方ない。

優しい人間だけが損をして命を絶つなんて可哀相だよね。