当たったどーーーー
懸賞をやるようになったのは結婚してから・・・
よく月に100枚以上はがきを出す人もいるけど、
あたしは出しても月に10枚~20枚程度。
出しても当たらないから途中からやらなくなったり
まぁ、たかだか20枚程度で当たるのは難しい
クローズド懸賞の方が当たりやすい
応募券とかバーコードを何枚か集めて応募するやつ。
昔はコカコーラーのコローズド懸賞でモンスターズ・インク
のデカイ目覚まし時計も当たった
退院してからも暇なもんで懸賞はじめたわけ。
よく病気の人は当たりやすいというけど本当なのか・・・
退院してから当たった物。
楽しい幼稚園の本から応募しました
スーパーひたちとミニカー2つ
のものです。
今、ひたすらオロナミンCのCMでやってる親子で目標を立てて
応募するとプリキュア のフォトフレームがもらえるやつ。
オロナミンCが4本ついてきました。
これは当たりやすいのかなぁ~
応募者全員にというわけじゃなさそうだけど・・・
入院~その4~ 病名がついた日
筋生険の翌日、主治医のM先生に個室に呼ばれた
筋生険の結果の報告。
今後の治療の説明などなど・・・
やっぱり病名は多発性筋炎との事でした。
色々説明されたけど、私は事前にネットで調べていたので知っていた。
この日からパルス(ステロイド点滴3日)がはじまった。
当初、入院は2ヶ月と言われていたが、薬の効き目が悪く結局4ヶ月入院していた
パルス 3日
プレドニゾロン 30ミリ 4日
プレドニゾロン 50ミリ 17日
パルス 3日
プレドニゾロン 60ミリ 56日
プレドニゾロン55ミリ 13日
プレドニゾロン50ミリ 8日
プレドニゾロン45ミリ 14日
プレドニゾロン40ミリ 2日
退院といった感じ。
その他に
週1で
ボナロン 骨の薬
タケプロン 胃の薬
レンドルミン 眠剤
を飲んでいます
私の病気がどんなかをもっと詳しくはこちらをクリック
ポチッとなヾ(@°▽°@)ノ
入院~その3~ 筋電図 筋生検
入院して次の日は検査の1日でした。
まずは筋電図。
外来の診察室に降りていくと、M先生がまっていた。
先に神経に異常がないかを調べた後に筋電図をしました。
右腕に細い針を刺し、筋肉の炎症のデーターをとっていきます。
基本針系は苦手な私。
筋生険ともなるとどうなる事やら・・・
休みをはさんで、月曜日の日に筋生検が行われた。
M先生はなんだかはりきっている。
入院患者さんに聞いた所、M先生筋炎の患者は初めてなんじゃないかな・・
との事。
生検前に点滴。
看護婦さんが点滴するのに来たのはいいが、呼ばれて点滴置いていなくなっちゃった
そこへM先生が来た。
「さぁ~はじめますか~」
なんか、お主嬉しそうだなぁ~
こっちはドキドキもんなんですけど
先生、そばにあった点滴を見て自ら私の手の甲に点滴をして行った。
看護婦が戻ってきて
「あれ誰が点滴して行ったの~」
と私に聞く。
私「M先生が来てして行きましたよ」
「めずらしい~あまり先生しないんだよ。でもラッキー」
私より若い看護婦さん。
点滴苦手なのね。
初め、筋生険は6人部屋の病室でやる感じでした。
ここでやるの
まさかでしょ。
M先生と看護婦さんとの話し合いで奥にある先生と家族が話するような部屋みたいなとこでやることに。
どんどん準備が進められていく。
M先生がシャワーキャップをかぶったらしく看護婦が
「先生、それかぶるんですか?」
「かぶるよ~なんで~」
看護婦無言・・・・
私も絶対見たくなかった。
見たら爆笑してしまう。
必死に笑いをこらえた。
今回、筋生険をやる場所は左腕
麻酔を何箇所かに打ち、感覚がなくなったとこでメスで切ります。
6、7センチ切ったのかなぁ~
そして、筋肉を切るには麻酔はかけられず、新鮮な筋肉の細胞が必要なので
なんか、目がクラクラ回るような注射を打たれました。
そしてそして・・・筋肉をジョキジョキと切っていく
痛くはないが、切ってる感じが振動で伝わってくる。
M先生、その切った筋肉の細胞を取るのに落としてしまい、上下がどっちが分からなく・・・
問題なかったみたいだが・・・
その細胞をクーラーボックスに入れて冷やしてM先生が走って持っていく。
最後に筋肉を縫合して皮膚を縫合
若い研修医がやってくれました
M先生
「僕が縫合するより彼の方が上手ですよ~」
ちなみに8針縫った。
いい経験というかなんというか・・・
でももう2度とやりたくないのが本音
筋生険した腕がこちら
へんなとこじゃないよ。腕です。
分かるかな~
縫ったとこ~
入院~その2~
診察は神経内科の部長先生が見てくれました。
ちなみに紹介してくれた病院での筋肉の数値は9000CK近く。
こちらの病院では6000ckだった。
立ち上がり動作とかを見て部長先生は
「はい、入院ね」
本当なら入院する日をこの日に決める所をこの日に入院できるように
先生に頼んだ。
もう帰る気力も体力もない。
病棟は9階までで一番最上階の9階、6人部屋。
主治医の先生は私の1コ上で当時29歳のM先生。
この先生とも色々ありました。
多分、年が近い分意識してしまったんだな・・・
ベットに案内されて、すぐにM先生がきた。
「ちょっと体見させてもらってもいいですか」
パジャマには着替えていたけど、ブラの上からパジャマを着て肌着を着て
いなかった私。
ベットに横になりM先生が紐をとく。
ブラを見た先生。
すぐに診察もせずパジャマを元に戻し紐を結んでくれました。
だから、年が近いとやりづらいんだよ
母もバスの時間が来て病院を後にする。
泣いてしまった
これから長くて孤独な入院生活が始まるかと思うと泣いてしまった。
母は車も持ってないし免許もないから、そうそう面会にもこれない。
子供たちにも会えない。
病気を治すためと思っても心が病んでくるよ。
入院は・・・
入院の日~その1~
2008・3・6
もうこの頃は限界がきていた。
長距離歩くにもしんどい!
普通なら車で1時間ちょっとかかる病院まで、この日はバスで行った。
朝早くにもう当分は会えないであろう二人の子供を保育園に預け、
兄に隣の市の病院行きのバス停まで乗せてもらった。
付き添いは母。
関係ないが私の家の家族構成はこの通り
母、私、兄、私の娘、息子。
私の父は18年前に突然倒れて亡くなりました。
いざバスが来て乗ろうにも、バスのステップの段差が登れない!
母は先に乗ってしまった
普通、母が私の後から乗りフォローしてくれるもんじゃないの
運転手さんはモタモタと苦戦して乗ろうとしている私に
「ゆっくりでいいよ~」
お年寄りでもないのに階段登れないないて、どう思っているんだろう・・・
私の後ろにもお客がいてつかえてるのに
やっとこ乗り1時間かけて病院へ・・・
バス停についても問題が。
椅子から立てない・・・
色々工夫をしてなんとか立ち上がりバスを下りた。
もう病院は目の前
そこで気がつく。
紹介状やらレントゲン写真やら、ちゃんとあるよね
と母に確認すると
「あっ バスの中に忘れてきた」
私 少々無言・・・・・・
受付は11時半まででバス停に着いたのは11時になるちょっと前だったかなぁ
バス会社に電話したりしてバス会社までタクシーで取りに行きました。
タクシーの「運転手さんが急げば間にあうよ」
との事で病院へ・・・
ギリギリ間にあった
これも今ではいい思い出になるのかな。
秘密のケンミンショー
この間放送の秘密のケンミンショーで、沖縄料理のにんじんのシリシリ
の放送を見た
なんでも、にんじんをシリシリという大根おろしみたいな器具で細くして油で炒めて
醤油などで味付け
卵を混ぜて炒めて完成(*^▽^*)
むしょうに作ってみたくなった
にんじんってにんじんメインの料理あまりない気がする。
ころころ切ったにんじんはあまり好きじゃないし
味付けはオリジナル&目分量。
砂糖、醤油、塩で調味。
で、出来上がったのがこれ
沖縄の人はこれを週に2,3回は食べるくらい家庭料理らしい。
定食屋でもお弁当屋でもこれメインのものがあるらしいです。
さて食べてみてですが・・・うまい
ご飯のおかずになります
にんじん苦手のお子さんでも食べやすいかも
節約にもなるし、みなさんも作ってみては
診断
筋肉の病気かも
と言われ私はネットで検索をかけた。
自分に当てはまる病気を探していくと、これだ
と思う病気を見つけた。
それが「多発性筋炎」だったのだ。
しかも難病ときたもんだ
会社を休み隣の市の病院へ行く。
かなり待たされたのを今でも覚えてる。
問診を書き、受診。
先生が
「じゃあ靴下も脱いでそこに横になって」
私は靴下を脱ぐのに手でズボンの裾をひっぱり足を持ち上げた。
先生「あなた靴下脱ぐのにそうやるの?」
もうその時点で先生は観察してたんだと思う。
足を見て
「う~ん。足の色がおかしいねぇ」
その頃は足の色もおかしくてよく紫色に血が通ってないかのような色になる事もあったんだけど、関係ないと思っていた。
その日は採血をして後日MRIの予約をいれて帰ってきた。
2,3日後にMRIをとりに行くと採血の結果で病名が判定できたんだろう。
MRIを撮る前に診察室に呼ばれた。
あたしの予測していた通りで診断は
「多発性筋炎」
でもこの病気って確定づけるには筋生検と言って筋肉の細胞をとるのが必要らしく
この病院では出来ないと青森市の病院の紹介をされました。
そして長い長い入院生活の始まりです。