妊娠。前置胎盤。 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

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3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


限定記事には少し書いてきたのですが、もうすぐ妊娠9ヵ月になります。(現、31週5日)

敦希を生後5ヵ月で亡くして3年8ヵ月。
生きていたらもう4歳で立派な幼児です。

敦希以外の赤ちゃんはいらない

ずっとそう思ってきました。敦希以外の赤ちゃんなんて本当に考えられなかった…

でも心の奥底では、いずれは3人目をちゃんと考えないといけないことも分かっていました。

3人目を望む決心がつくまでに本当に本当に時間がかかりました。何年という数字だけ見れば大したことのない時間かもしれませんが、何度も考えては苦しくなったり現実から逃げたり…

今を生きるだけで精一杯だったのかもしれません。

そんな私もやっと3人目を望むことができるようになった訳ですが、またそこからの道のりも長く、精神的にも辛かった不妊治療を経て、現在の妊娠に至りました。

赤ちゃんを嫌がっていた長男も妊娠をすごく喜んでくれて、本当に嬉しかったです。

ところが8ヶ月に入った時に「前置胎盤」と診断され、まずは自宅安静になりました。

私の場合は「部分前置胎盤」でした。

突然の大量出血の可能性、自然分娩は不可能で帝王切開時にも多量の出血が見込まれるリスクの高い妊娠、出産だと告げられました。

妊娠9ヶ月から妊婦検診で通っていた地元の総合病院に管理入院の予定になっていたのですが、次の検診でお腹の張りが頻繁になってきたこともあり、予定より1週間程早い管理入院をしていました。

管理入院の内容は、24時間張り止めの点滴、トイレと食事以外はベッド上で安静、シャワーは週に3回。

帝王切開時の輸血に備えて、来週からは自己血貯血が始まる予定でした。

そんな矢先のこと…

管理入院5日目。土曜日の夕方、横になってウトウトしている時に何の前触れも痛みもなく突然の大量出血。ベッドの上は一瞬で血の海…。

あまりに突然のことで手足の震えが止まらず、しばらくショックからか声も出にくい状態になるほどの恐怖を感じました。自分自身のことであんなに恐怖を感じたのは初めてというくらいの恐怖…

そんな中、私はすぐに救急搬送されて隣市にあるより大きな総合病院に病院に転院しました。
敦希も4年前、出産後に救急搬送された病院です。

私は今はMFICU(母体集中治療室)に入院して、安静度マックスでベッド上で寝たきりの生活を余儀なくされています。

緊急帝王切開になるかと思っていたのですが、幸いにも出血が治まったこと、お腹の張りが改善されたことで回避することができました。

が、いつ緊急帝王切開になってもおかしくない状況で、次に出血があった場合はもう止められないと言われました。なので予定では火曜日の午前に帝王切開になりそうです。

赤ちゃんは1600gしかないけれど、幸いにも元気でいてくれてて、まだ肺が未成熟のため、生まれた時に呼吸が少しでも楽になるように薬を投与してもらいました。

出産はその薬が確実に効く月曜日の夜以降が望ましいらしく、でも夜は人手が少なくなるので、帝王切開は火曜日が目標です。

あと1日、何事もありませんように…
無事に出産できるよう、祈るばかりです。

赤ちゃんはしばらくNICUに入院になりますが、敦希の主治医だった先生に赤ちゃんの心臓も詳しく検査してもらえることになりました。

必ず元気になって退院できることを信じて、まずは母子ともに無事に出産できるようリスクの高い手術になりますが頑張ります!

ちなみに土曜日の大量出血は大量でも警告出血だそうで、何らかの感染症から前期破水が引き金となり、胎盤を傷つけたのではないかと言われました。

そして、ずっと横位だった赤ちゃんは大量出血後からなぜか正常な頭位になり、のびのびと動けるようになったようで、より元気いっぱいです。