公表していなかったが、実は子どもの時にお兄さんを亡くしていて、家の中が暗い時、家族を笑わせようと明るく振る舞っていたとのこと。
私は全く知らなくて、この話が反響を呼んでいると夫から聞いた。
早速ネットで調べて記事を読んだ。
一番に思ったのは、長男もそうだったなぁ、同じだなぁ、と。
敦希が亡くなった時、長男は2歳。
ずっと手を繋いで一緒にいた弟。
亡くなってから自宅に帰ってきた時や葬儀の時、敦希のところに行っては「あっくん、めめあけてー!おきてー!」と言っていた。
幼かったので、弟の死を理解できなかったのだと思う。
でも、2歳なりに色々と感じ取っていた。
しばらくは夜泣きで敦希を探したり、私に赤ちゃんを見せないようにすることもあったが、私の前ではずっと元気で明るかった。
三男が亡くなった時は小学1年生。
葬儀はしなかったけど、友人や職場の人たちが弔問に来てくれた時もずっと笑って遊んでいた。
ただ、どちらも共通するのが、本当のお別れの時。敦希の時は嫌だ嫌だと泣き叫び、三男の時は声を押し殺して涙を流していた。
三男が亡くなった後、長男は3学期の学級代表に立候補した。それまでは「したくない」と言っていたのに。今思うと、私と夫に喜んでもらいたかったからなのかもしれない。
私は子どもを2人も亡くした。
長男も弟を2人も亡くした。
私は言葉にたくさん傷ついてきたけど、それは長男も同じ。年齢や立場をを考えると、私以上に辛い思いをしてきたのだと思う。
「兄弟おらへんやん」
「弟おらへんやん」
「一人っ子」「可哀想」
悔しかったと思う。
辛かったと思う。
両親である私と夫の間に暗い空気が流れていたことも事実。必要最低限のことしか話さない時期もあった。
それでも長男はずっと明るかった。
幼かった長男も4年生。
すっかり男子に、ちょっぴり年頃に。
今も長男は明るい。
ずっと家の中でしゃべっている。
当たり前の日常だけど、決して当たり前じゃない。
敦希と三男と、亡くなった後の冷たさを知っているからこそ、長男の温もりを感じるたびに奇跡だって思う。触ると怒るけど
最近長男は、人は亡くなったら火葬しなければいけないということを知った。
(敦希の時も三男の時も火葬後のことには立ち会わせていない)
事実を知り、驚きとショックを隠せない様子だった。
いずれは知ることであっても、幼い時から繰り返し辛い経験をしてるから…と思うと、心底申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
正直なところ、私には敦希を亡くした当時や三男を亡くした当時の長男の成長の記憶があまりない。私自身のことで精一杯の時期もあったから。
それでもずっと明るく元気な長男には本当に感謝しかない。
プレッシャーになるといけないので本人には言わないけど、
敦希と三男の分まで元気いっぱい優しい子に成長してほしい