5年の命日 | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



12月15日は三男の5年の命日でした。



あれから早いものでもう5年。



三男が亡くなったのは、次男を亡くしてから3年10ヶ月後のことでした。







まさか、また我が子を亡くすなんて…

当時は絶望しかなかった。未来なんて全く見えなかったし、見たくもなかった。



何時間も心臓マッサージを受けている三男を見て、私は先生の説明を聞いてすぐに止めてほしいとお願いした。次男を亡くした後に「あの時本当に心臓マッサージを止めて良かったのか?」あれだけ苦悩の日々を過ごしてきたのに、また同じ選択をすることになった。

でも、そうするしかなかった。



三男が亡くなった後に病院に駆けつけた父が「可哀想に」と三男に声をかけ、頭を撫でた。その瞬間、私は父に「可哀想なんか言ったらあかん!ほんまに可哀想な子になってまう!」と泣いて怒った。「可哀想」だなんて言葉、悔しさしかなかった。



周りから見たら、小さく生まれ、心臓の病気をもち、短命の可哀想な赤ちゃんなのかもしれない。



人はすぐに「可哀想」という言葉を遣う。

私が本当に大嫌いな言葉。



どんなに小さくても、誰よりも一生懸命に頑張って生き抜いた私の可愛い子どもに簡単に「可哀想」なんて言葉をかけてほしくなかった。



我が子を亡くす。

我が子のいない世の中を生きる。

本当に辛いし苦しい。まさに生き地獄。

それでも生きなきゃいけない。



当時は逃げることしか考えられなくて、何度も何度も死にたいと思った。



でも私には守らなきゃいけない大切な存在がある。だから今生きている。






当時はどんなに厳しい状況でも、三男が生きていてくれる限り、絶対前しか見なかった。次男を亡くしたからこそ、絶対後悔しないようにとにかく前だけを見て必死だった。



でも、本当に幸せな日々だった。

懐かしいし、戻れるのなら戻りたい。



三男が一生懸命に生き抜いたこと。私は母として誇りに思う。だからこそ、他人には次男や三男のことは話さなくなった。「可哀想」って言われたくないし、そんな言葉で私の大切な想いを壊されたくないから。







毎年、12月は気持ちが沈む。

今年もデイサービスのクリスマス会で「メリークリスマス!」と盛り上げ、落ち込む気持ちを切り替えて無事に乗り切ることができた。






仕事納めまで、あと4日



あと少し頑張ろう。