収骨(分骨)(父親)続報2・前編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、一昨日おととい すなわち 5月13日(金)の「収骨(分骨)(父親)続報」のブログの上段に、

「(前略)去る4月7日(木)の『収骨(分骨)(父親)』のブログの上段に、

『(前略)去る 4年前の5月8日(火)の【収骨(分骨)】のブログの上段に、

【(前略)去る4月19日(木)の〖納骨(七七日・満中陰法要)〗のブログの冒頭に、

〖(前略)去る3月6日(火)の〔母親の転帰〕のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、去る3月8日(木)の〔うなぎ蒲焼かばやき・73(お通夜・父親の食事)〕のブログ そして 去る3月9日(金)の〔うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)〕のブログに記させて頂きましたように、お通夜 と 告別式がありました。それから、七七日 すなわち 四十九日の納骨がありました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、某・本願寺の須弥壇に 収骨(分骨)しました。 ちな みに、御布施は 金20万円とのことでした。また、読経志として 金5千円とのことでした。なお、収骨(分骨)に関しましては、去る 一昨年おととしの4月25日(月)の〖祖母の三十三回忌〗のブログの上段に、

〖(前略)昨日は 祖母の祥月命日(御承知のように、また、去る 一昨年おととしの12月4日(木)の〔神社参拝〕のブログ に記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです)でありまして、しかも、三十三回忌の日でありました。それで、浅草の某・本願寺にも 祖母の分骨(収骨)を致しておりますので、伺う予定でした。約一ヶ月前から 調整していました。ところが、準備をして 出ける 間際まぎわになって、母親によりますと 父親が 苦しい、具合がわるい、吐きそうとのことであり、行かないで欲しい と言っているとのことでした。父親の母親の三十三回忌の日です。それで、急遽きゅうきょ 父親に付き添うことになりました。事前に 浅草の某・本願寺には 通知しなくてもいいシステム(英語:system)でしたので 連絡はしておらず、前述のように 当日 伺う予定でした。それで、浅草の某・本願寺から 三十三回忌の案内は来ていましたので、母親が書いた手紙を添えて お 布施ふせを郵送致しました。また、去る10月23日(金)の〔レクイエム〕のブログ の中段やや上に記させて頂きました誓願寺にも、お布施ふせを送りました。ちなみに、去る9月6日(日)の〔無畏施むいせ〕のブログ の上段 そして 去る 昨年の1月29日(木)の〔ボランティア・地域医療・その3〕のブログ に、この〔布施ふせ〕のことを記させて頂きました。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、祖母も、この同じ 某・本願寺で 収骨(分骨)しているのです。

 

 

合計 金205,000円の披露状(本日 すなわち 5月8日の日付が入っています)

 

 

本堂(「立入禁止」と書かれてありましたが、「撮影禁止」とは パンフレットにも書かれてありませんでしたので、撮影致しました)

 

 

本堂

 

 

本堂正面

 

 

 

 なお、上記の納骨のときに 印刷した案内を配りましたら、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)が来てくれました。バスを用いたそうです。ついながら、昨日 すなわち 5月7日(月)の〖リハビリテーション(父親)・5〗のブログの上段に、

〖(前略)先週は 祭日とのことで お休み とのことでありましたので、二週間が経過し、また 同じ 理学療法士のかたが見えました。このとき 丁度ちょうど 叔母(3女)から電話が入り、重なってしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。この電話で 叔母(3女)によりますと、老眼鏡が壊れてしまった とのことでした。それで、母親の老眼鏡を火葬で出していなければ 持って来て欲しい とのことでした。それで、捜して 下の画像の 三つみっつの老眼鏡を持ってって 手渡しました。 ちな みに、この老眼鏡は、母親に求められて 一緒に買いにった 思い出深い老眼鏡です。なお、一般的な老眼鏡を購入しましたので、叔母(3女)にも合うと思われました。

 

 

叔母(3女)に 手渡した 三つみっつの老眼鏡

 

 

 

 また、去る3月25日(日)の〖叔母たちの来訪・続報2〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)この叔母(4女)から 〔(母親が亡くなって、)寂しい?〕とかれました。それで、去る3月20日(火)の〔うなぎ蒲焼かばやき・83(父親の食事)〕のブログの中段に、

〔(前略)去る3月6日(火)の〘母親の転帰〙のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、母親が 亡くなってから 毎日、母親と 会話 すなわち 話しかけています。つまり、〘ようやく 暖かくなって来たね。〙とか、〘今日は、何を食べたい。〙とか です。(後略)〕と記させて頂きました。このように 〔母親と 会話 すなわち 話しかけています。〕 と回答しようと思いました。(後略)〗と記させて頂きました。このように 〖母親と 会話 すなわち 話しかけています。〗と話しましたら、誠に有り難いことに 叔母(3女)も そうしている とのことでした。

 それから、牛久阿弥陀大仏・永代経(胎内仏)に 母親の法名追加の手続きをして、来る5月10日(木)の午後10時から 牛久阿弥陀大仏胎内三階で 読経がなされる と伝えました。すると、叔母(4女)も 母親と一緒にったことがある とのことでした。 

 ならびに、その電話で 叔母(3女)によりますと、仙台の親戚から 何も送って来ないのは どうかしている とのことでした。および、叔母(4女)によりますと、仙台にって来た とのことでした。そして、義理の姉は 老人ホームにて dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座ございます。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでした。ちな みに、話し けても 反応がないそうです。

 なお、仙台の親戚から、東京に所用のついでに 当家に来る と言って 電話連絡がありました。ところが、この叔母(4女)によりますと、仙台の親戚は 忙しいので 来なくてもいい と話した とのことでした。それで、〖済みません。〗とのことでした。

 

 また、一昨日おととい すなわち 5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログに記させて頂きました おばさんから、昨日 電話が入りました。それで、このおばさんも バスで行ける所なので、見える とのことでした。但し、翌日の午前中に 診療が入っているので、終わったら ぐに帰る つまり 失礼する とのことでした。ちな みに、自分の父親は 京都の某・本願寺に 収骨(分骨)した とのことでした。なお、このおばさんによりますと、姉の子供が 3歳だったときに 見ている とのことでした。ついながら、このおばさんによりますと、誠に有り難いことに 母親は そばる とのことでした。それで、去る3月14日(水)の〖告別式での挨拶〗のブログの中段に、

〖(前略)ターミナル・ケアに携わったこともありましたが、ほぼ唯一と思える 救いは、生命は行き通しである ということを信じておりまして、彼岸 すなわち あの世に 母親は 生れていることと思います。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、母親は 彼岸に生れていますね と回答しました。

 

 

某・本願寺からの案内

 

 

 

 ときに、上記のように 法要開始時間が 午後3時になっていますので、上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)には、この時間を伝えていました。

 そして、電話でも、御遺骨(分骨)を収骨する関係で 上記のように 40分前まで に 御遺骨を持って来て欲しい とのことでした。それで、1時間前に到着しました。すなわち、当方 と 同行したヘルパー(日本語:家政婦)のみが 御遺骨を届ければいいと思っていました。ところが、法要の前に 須弥壇に 収骨する行事がある とのことでした。勿論 もちろん 、まだ 上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)は 到着していません。それで、取り えず 母親の御遺骨を 桐箱に移す作業を行いました。 ちな みに、去る3月9日(金)の〖うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)誠に有り難いことに、火葬場で 母親の喉仏のどぼとけが出ました。ちなみに、火葬に際しての喉仏のどぼとけとは、咽喉頭のどの軟骨(燃えてしまいます)のことではなくて 第二頸椎(軸椎[英語:axis]とも、呼ばれます)のことです。なお、去る 一昨年おととしの1月1日(金)の〔謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)〕のブログの中段やや下、去る 一昨々年さきおととしの5月18日(月)の〔一大事とは〕のブログ の後半、去る 一昨々年さきおととしの3月21日(土)の〔介護〕のブログ の上段 そして 去る 4年前の10月18日(土)の〔心身医学会〕のブログ の中段やや上などに、

〔(前略)元・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました・・・(後略)〕と記させて頂きました。この講義のときに、上記の 第二頸椎(火葬に際しての喉仏のどぼとけ)のことにつきまして、図を用いて説明しました。

 

 

喉仏のどぼとけが入った 母親の遺骨(分骨に用いるとされている とのことです)

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、この母親の喉仏のどぼとけ すなわち 第二頸椎が 入っていることが 確認出来ました。

 

 それから、須弥壇での行事が始まる前に、誠に有り難いことに 上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)が到着しました。それで、共に 須弥壇に参りました。 ちな みに、一昨日おとといすなわち 5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログの上段に、

〖(前略)このおばさんによりますと、膝に 人工関節をした とのことでした。それで、正座は出来ないとのことでありましたので、椅子を用意致しました。(後略)〗と記させて頂きました。それで、今回も 僧侶に 椅子を用意してもらいました。なお、誠に有り難いことに、おばさんに 須弥壇を見ることが出来て よかった といってもらえました。

 

 それから、午後3時から 法要が始まりました。 ちな みに、三人さんにんの僧侶によって 仏説・阿弥陀経が唱えられました。そして、その後、説法がありました。なお、同行したヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、若い僧侶とのことでした。この若い僧侶によりますと、遺骨を 狭い 窮屈な お墓の中に閉じ込めてしまう とのことでした。この説法のあと、身体に比べれば 御遺骨は 小さなものなので、言われるまでは そんなこと思わなかった、この場で話されることとしては 疑問との話になりました。そして、納骨が済んだばかりであるのに 誠に無神経との話にもなりました。しかも、天気予報によりますと 雨が降り出すので、お経が終了して 皆 ぐに 帰りたいのに 話が長い とのことでした。案の定あんのじょう 後述致しますように、帰りは 雨になりました。

 また、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、お経のほうは 読むスピードが速すぎる とのことでした。ついながら、このヘルパー(日本語:家政婦)の手当は 一時間で 金2,110円です。今回、本日一日で 六時間半  かりましたので、このヘルパー(日本語:家政婦)に 金13,715円を支払いました。

 

 ところで、上記の披露状(領収書のこと)を頂きましたときに、下の画像の品物を頂きました。 ちな みに、上記のおばさん、二人ふたりの叔母(3女 と 4女) そして そのヘルパー(日本語:家政婦)に すべて 差上げました。

 

 

お菓子

 

 

おばさんから 「なに。」とかれましたので、マッチと回答しました。ちな みに、このおばさんによりますと、この品物を トイレに置いて来てしまった とのことで 取りに戻られました。

 

 

上記と同様に マッチ

 

 

差上げた 品物

 

 

 

 さて、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)から 上記のおばさんについて かれました。 ちな みに、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)は、このおばさんのことを知らなかったようです。それで、紹介しました。そして、このおばさんによりますと、自分が券を渡して、以前 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)と共に 日生劇場にった とのことでした。

 

 ときに、法要が終って 帰宅して 自宅に到着したのが、午後5時半でした。交通手段と致しましては、自転車、2社の電車 そして 地下鉄を用いました。ちな みに、帰りには 冷たい雨が降り出していました。帰りの 途中で 歩いているときに、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、あのタワー なんでしたっけ とのことでした。それで、東京スカイ・ツリーと回答しました。ついながら、東京スカイ・ツリーのことは、去る 4年前の10月5日(日)の〖ボランティア・高尾山登山 〗のブログの中段 そして 去る 4年前の11月1日(土)の〖東ベルリン(旧・東  ドイツ)〗のブログの上段などに記させて頂きました。この去る 4年前の10月5日(日)の〖ボランティア・高尾山登山 〗のブログの中段に記させて頂きましたときには、まだ 東京スカイ・ツリーは 建設途中でした。このときは、両親と やはり 同じ 某・本願寺に参拝したあとでした。すなわち、毎年 正月に、両親と この某・本願寺に参拝しておりました。

 

 なお、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、思っていたよりも 時間が  かった とのことでした。ついながら、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座ございます。以下、英語で coldと示させて頂きます)ぎみとのことでした。それで、もっと早く言ってくれれば 休んでもらったのに と回答しました。ならびに、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold を引き易い とのことでした。および、弱い総合感冒薬を 服用んだ とのことでした。このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、いつも ぐ 服用んでしまう とのことでした。 ちな みに、去る 一昨年おととしの10月8日(土)の〖両親の食事・2〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)さらに 昨夜は、午後10時に 様子を見に行きました。すると、母親が 寒気がして 風邪気味とのことでありました。そこで、市販の 葛根湯カッコントウ と 去る  一昨年おととしの10月12日(日)の〔 薔薇ばらの花〕のブログ の中段やや下、去る  一昨年おととしの11月23日(日)の〔アロマ・テラピー〕のブログ の上段やや下 そして 去る9月8日(木)の〔北海道旅行・5(原生花園)〕のブログの上段に記させて頂きました ローズ・ヒップ(英語:rose hip)のビタミンCを 服用んでもらって 大事にしてもらっています。なお、 葛根湯カッコントウにつきまして ワン・ポイントのみ お伝え申しあげますと、 葛根カッコンとは、 くずの根です。また、御承知のように、漢方薬は 食前に お湯で 服用むことになっています。それで、漢方薬の名称の最後には 〔湯〕と付けられています。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、coldをひきますと、日本では なかなか そういうわけにはいきませんが、北欧の人たちは 仕事を早退して ビタミンCを 服用んで 休む とされています。それで、そのヘルパー(日本語:家政婦)にも、早めに帰って ビタミンCを 服用んで 休んでもらえば よかった と話しました。すると、ひどいときには そうさせてもらう とのことでした。

 なお、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)には お土産は 呉々も 気にしないでもらいたいと 今朝 連絡しました。ところが、荷物になるけど とのことで 誠に結構な品物を持って来ました。そこで、〖結構な品物を 誠に有り難う御座ございました。〗と伝えました。それで、下の画像の お土産の 鰻丼うなどんを 父親が食べないと言うので、このヘルパー(日本語:家政婦)の coldのため に 差上げました。 さら に、このヘルパー(日本語:家政婦)に、手当(給料)のほかに 感謝の印と致しまして 下の画像の すべての お土産をあげました。ついながら、本日 すなわち 5月8日(火)の〖父親からの連絡・18・後編〗のブログの最後に、

〖(前略)本日の午後3時46分 そして 日没後 すなわち 午後8時9分にも、父親から 電話連絡が入りました。ちなみに、本日の2回目の電話のときには、その直前まで 父親によりますと おなかいていない とのことでありました。ところが、おなかいた とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。上記のように そのときは 父親は お土産の 鰻丼うなどんを食べない と言ったのですが、このあとの 午後8時9分のときには、〖おなかいた。鰻丼うなどんを食べたかった。〗 とのことでした。 

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 鰻丼うなどん

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 黒胡麻ごま

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 白胡麻ごま

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 落花生

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた ロースト・ピーカン・ナッツ(まだ 食べたことがないので、食べたい とのことでした)

 

 

ナッツ


 

煮物

 

 

 

 ところで、前述致しましたように これらの すべての お土産をあげた ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、上記のおばさんと同様に 膝がわるい とのことでした。(後略)】と記させて頂きました。

 

 さて、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。それで、去る4月2日(土)の午前中に、電話で 某・本願寺に 父親の収骨(分骨)の申し込みをしました。すなわち、御布施は 金10万円とのことでした。 ちな みに、約4年前の母親のときには、御布施は 金20万円とのことでした。それで、そのことを言いましたら、約4年前のときは 2名でしたか と尋ねられました。それで、母親のみ 1名ですと回答しました。なお、武漢ぶかんウイルスによる 自粛のせいで その某・本願寺への参拝が減り、割引になったのかもしれませんね。

 すると、誠に有り難いことに、4月5日(火)(奇しくも、母親の誕生日であり、立ち日であります)に、某・本願寺から 須弥壇収骨申込書が届きました。それで、翌日 すなわち 4月6日(水)に その申込書を記入して 速達で 返送しました。(後略)』と記させて頂きました。

 ときに、去る3月17日(木)の『父親の告別式(家族葬)』のブログに、父親の告別式(家族葬)のことを記させて頂きました。

 また、去る 4月24日(日)の『父親の納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)(シンクロニシティ)』のブログの中段に、

『(前略)浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺) そして 浄土真宗東本願寺派(単立)などの違いを説明しました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、当家は、真宗大谷派(東本願寺)であります。なお、その関係と両親の意向で、上記のように、その浅草の某・本願寺に 祖母 と母親 の分骨(収骨)を致しております。それで、今回、父親も 同じ その某・本願寺で 分骨(収骨)をさせて頂こうと思いました。 ちな みに、祖母の祥月命日は 約38年前 すなわち 昭和59年4月24日であります。その際、祖母は 浄土真宗の お寺の世話人をしておりまして、その関係で 真宗大谷派(東本願寺)を含めまして 4人の僧侶が見えました。その後、両親が考えまして、1ヶ所の菩提寺にしぼりました。なお、真宗大谷派(東本願寺)の僧侶(都立新宿高校定時制の教師)が亡くなりましたこともあり、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職の お寺であります。ところが、本日の午前11時27分に、その浅草の某・本願寺から 異例なことに 電話が入りました。すなわち、菩提寺は何処どこですか との問い合わせでありました。それで、告別式も 納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要も、その浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職に行なってもらった と回答しました。すると、上記のように これまで の 祖母 と母親 の分骨(収骨)のときには 何も言われなかったのですが、菩提寺に許可を取って 折り返し電話をしてもらいたいとのことでした。時代が変わり、厳しくなったとのことでした。ついながら、祖母は 『お東(東本願寺のこと)』と『お西(西本願寺のこと)』は同じと話していましたが、そのあたりには 相当 気を使いました。その浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職からも 分骨(収骨)は 何処どこで行なっているのか 尋ねられますので、その浅草の某・本願寺で行なっていると 以前 回答しました。すなわち、先方から 尋ねられたときにのみ、答えているのであります。つまり、非常に 気遣きづかいしているのであります。

 すると、その浅草の某・本願寺の女性担当者によりますと、僧侶に相談するとのことでした。すなわち、お寺同士の縄張なわばりのことがあり、あとめるから とのことでした。 ちな みに、前回の電話連絡のときに、先方から 納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)のことを言及されて、何処どこで行なっているのか 尋ねられたことを思い出しました。つまり、これも お寺同士の縄張なわばりのことであるのだと思われました。ようするに、日本の宗教が 商業主義になっていることの事例であると思われました。すなわち、故人の供養とは 別のことが働いているのでありますね。

 また、遠方から 来る人がて 途中で退席するのは 失禮であるとのことであり、10分程度の法話を割愛してもらうことは出来るのかどうかということであります。なお、この問いに関しましては、沈んだ声で 『法要に 法話が含まれている。』とのことであり、出来ないとのことでした。 

 

 

父親の おこつ(この おこつを抱きましたら、自然に 涙がこぼれました)

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 そして、当日になりました。ちな みに、最寄りの駅から 午前10時58分の電車に乗って、その電車に乗ってくるはずである 家政婦と合流する予定でした。なお、事前に、家政婦とは しっかり打ち合わせをして メモにも書いて 手渡していました。ところが、その家政婦は、その 乗ってくるはずである 電車に 乗車していませんでした。それで、つぎの駅で降りて、電話しました。すると、その家政婦によりますと、まだ 家にるとのことでした。そして、時間を間違えたとのことでした。そこで、当初の打ち合わせでは、予定の電車に乗れなかったら さきに行くと話していましたが、まさか そうなるとは思いませんでした。それで、兎に角とにかく 某・本願寺での受付がありますので、さきに行くことにしました。但し、電車に乗っていても、 D.M.(ラテン語/ドイツ語/英語:diabetes mellitus)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。糖尿病のことで御座ございます。以下、外国語[略語]で D.M.と示させて頂きます)の治療中の家政婦が 無事に来ることが出来るかどうかを考えますと 気が気ではありませんでした。それで、乗り換え そして 到着後に、その家政婦に 合計で 8回 電話をして 誘導しました。たとえば、電車の進行方向うしろの出口から降りるようにとか、オレンジ色の地下鉄 銀座線に乗るように とか、浅草方面行きの電車に乗るように とかを伝えました。そして、地下鉄 銀座線に乗ったら、降車駅では 電車の進行方向 一番前の出口で下車するようにとか、その都度 状況におうじて 指示しました。それから、下車したら、徒歩 2~3分であると伝えました。そうして、誠に有り難いことに、最終的には なんとか 浅草の某・本願寺の門の前まで  出て、午後0時45分頃に 合流することが出来ました。ついながら、最寄り駅まで  迎えに行こうかとも思いましたが、入れ違いになっては かえって まずいと思い、某・本願寺の門の前で 待つことにしました。それで、その家政婦には、改札 窓口の職員に尋ねるように伝えました。すると、その家政婦によりますと、最初のかどの ふぐ料理店を 左に曲がるように言われたとのことでした。ちな みに、時間的には ギリギリでした。なお、当方は 携帯電話を用いるときには、乗り換えのときに行なっていましたし、本山でも 外に出て 電話連絡するなど 気をつかっていました。しかも、家政婦によりますと、電車内で 携帯電話を マナー モードにしてもらいたいとの 一般客向けの表示が出ていたとのことでした。ついながら、マナー モードにするのは 当然のことですね。 ちな みに、携帯電話がない時代でしたら、今回のように 合流することは きわめて難しかったであろうと思われますね。なお、電車に乗るため に スイカを用いましたが、改札で しっかり タッチしているにもかかわらず 下車するときに 入線記録がないと表示されました。それで、窓口の男性係員に そのむねを伝えて ようやく 下車することが出来ました。

 

 

某・本願寺からの案内(書かれてありますように、父親の遺影 そして 4冊の過去帳を持って行って 預けました)

 

 

某・本願寺からの案内

 

 

 

 ところで、当方は、午前11時50分頃に、到着しました。そして、受付で、御布施を手渡しました。ちな みに、前回 すなわち 4年前の母親のときには 上記のように 金20万5千円でしたが、今回は やはり 下の画像のように 金10万円でした。

 

 

須弥壇収骨(分骨)の披露状(領収書ではなく、披露状という名称を用いています。そして、本日 すなわち 5月15日[日]の日付が記されています)

 

 

 

 ときに、午後0時40分過ぎになって、当家の控室が 用意されました。ちな みに、それまで は、一般の参拝者のる場所で 待機していました。なお、受付(女性)によりますと、ふだが引っ繰り返ったら、控室として 用いることが出来るとのことでした。ついながら、家政婦は D.M.で 退院したばかりですし、大量のインシュリン治療中でありますので、誠に有り難いことに、上記のように 10分程度の法話を割愛してもらいました。そして、この件につきましては、家政婦も納得しました。なお、この家政婦のD.M.にちな みまして、誠に有り難いことに 寺務所の担当者によりますと 須弥壇の段差は 大丈夫ですかとのことでした。それで、4年前に 当方も この段差は経験しているし、その家政婦も体験していると回答しました。そこで、家政婦は 電車で来るので 平気であるが、長時間 緊張を強いられるのが まずいと答えました。そして、普通の人ならば、なんで もないことなのでありますがね と話しました。ついながら、普通の人ならば なんで もない法話でも、患者さんには ストレッサー(英語:stressor)(去る 8年前の10月29日(水)の「身体の効率」のブログで、この意味を詳細に記させて頂きました)に感じてしまうと回答しました。

 

 

当家の第一控室

 

 

上の画像の当家の第一控室の左に掲げてあるふだ(このふだが 他家から当家に引っ繰り返りました)(収骨[分骨]の法要は、上記のように 13時30分[午後1時30分]からであります)

 

 

 

 なお、去る5月12日(木)の「親戚からの突然の電話連絡・続報36・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る5月6日(金)の『肉親の来訪・14・後編』のブログの中段下に、

『(前略) 去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。なお、姉夫婦によりますと、今年は、もう 来ないとのことでした。すなわち、初盆 と 収骨(分骨)には 行かないとのことでありました。それで、生前 父親は 何度も【自分が死んだら 泣いてくれるか、誰が 来てくれるか。】と話していましたので、三回 説得しました。 ちなみに、この説得したことは、家政婦も 知っています。なお、因果律が分かっていれば、親の初盆 と 収骨(分骨)に 出席しないということは、自分のときに 子供たちが 同じことをするということであります。そこで、因果律にもとづいて 生活を していればいいのにね と 家政婦に話しました。そして、なんで このような簡単なことが分からないのだろうね、不思議なのだけれどね と話しました。ついながら、家政婦によりますと、因果応報とのことでした。しかしながら、上記のように 三回 説得しても 義理の兄によりますと、ハッキリと、今年 姉夫婦は 当家に訪れることは ないとのことでした。 ちなみに、その家政婦との話で、父親も 母親も、あの世で 悲しんでいるだろう との内容になりました。(後略)』と記させて頂きました。それで、上記のように 三回 説得しました。そして、今回も 先方から電話連絡がありましたので、もう1度 説得しました。ところが、やはり 勘弁してとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、姉夫婦には 上記のように 参加を拒否されてから 四回も 説得しましたが、結局 収骨(分骨)に 来ませんでした。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎのブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)