先日、お友達と通話で飲んでました。
表現350ml、7.9.9%の3缶でもうへべれけ。禁酒してたらお酒弱くなったなー!
足元はふわふわするし、呂律回らなくなってくるし、座ったら立てないわで大笑いしてました(基本人と飲んでる時は笑い上戸)
因みに二日酔いなんてものはありませんでした。ふたりしてなぜか、終話10分前の記憶が完全に無くて不気味でしたが(終話10分前にイラスト画像を送ってもらってて、その話をした記憶はふたりともある)
たぶんキャトルミューティレーションの類です(は)
さておき。
いやもうね。死にたくて仕方無いんですよ。
つらい〜死にたい〜発作〜とかじゃなくて、もう死のうかなって感じで。
友達の言葉にもまた卑屈になってしまって、楽しくお喋りしたいのに死にたい死にたいつらい苦しいって
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい発作も起きやすくなって、抜け出すのが苦しくて
夢見も悪くて上手く寝付けなくて夜が怖くて朝が来るのが嫌で、またODしちゃおうかと思って今のとこ耐えてますけど
大好きな友達の悩みを聞く器もすごく狭くなってて、自分にびっくりするし悲しいです
原因に、思い当たる節はあります。
まあ、本当に、しょうもない事でして(タイトル回収)
これまでは腰痛が酷くて座っていられなかったので、調剤と合わせて待ち時間の長い主治医のところには親が言ってくれてたんです。
とはいえ、カウンセリング2回目の時に主治医とは会ってて生きてて良かったみたいな事を言ってくれたんですが。
先日、久しぶりに主治医に会いに行ったんです。薬の相談も兼ねて(そっちはぼんやり解決しました)
主治医。
もう死なないでね。
飛び降りなんてしないでね。
…………この言葉、おかしいでしょうか。
何もおかしくないですよね。そりゃそうですよね。
でも、わたしはダメだったんです。
死にたいって気持ちは病気のせいでゼロにはなってなくて。それでもがんばって生きようって前向きになれてる自分が好きになれてきてて。
そこに、「もう死なないでね」って深刻そうな顔して言われた事が。
すごく、ダメージを受けたんです。
ああ、まだ自死が視野にあると思われている。
抗ってきた死にたいという気持ちと付き合わされる。
そんな感じで、目眩がするほど動揺しました。すごくショックでした。
前に飛び降りした時も、顔ぶつけたら女の子なんだからなんちゃらとか言われたのも地味に根に持ってるんです。
そもそも、いえーい死のう☆なんてテンションじゃなかったのは明白なはずで。
苦しくて苦しくて、膝の高さくらいのところに立つのも怖いくらいの高所恐怖症なのに、飛び降りなんて怖くて。でもそれでも、生きているのがくるしくて。
なのに、もうしないでねなんて。わかんないよ、そんな事。わたしだってもうしないようにがんばってるんだよ。
心理的リアクタンスみたいなのが働いてるんでしょうか。わからないけど、がんばってるのに、もうしないでって言われるとものすごい反発心というか嫌悪というか恐怖というか悲しみというか、負の感情が溢れるんです。
その後も、日中眠いからベタナミン合わないのかなぁて相談したら減薬提案されたり。
薬の副作用で眠くなった事ねえよ。てかこの回復期に減薬提案してくるのなんでなんだよ。
あと、すごく悲しかったのが、「リハビリたくさんがんばって動けるようになったんですよっ、ほらほら!」って動いて見せたら、
「危ないからやめて!!」
わわ、大丈夫なの?とかじゃなくて、ガチ拒絶されました。
もちろん室内の物理的には危なくないです、ラジオ体操のいちばん簡単な捻りくらいしかしてませんから。
担当医の判断で捻り運動とか日常動作はしてもいいって言われたんですよって言っても、
「見てて怖いからやめて!?」
わたし。がんばった、のにな。
たくさん。毎日、リハビリして。痛くても歩いて。嫌な病院行って、泣いて、痛くて痛くてまた死にたくなって、でもがんばったのに。
少しも、喜んでくれない。
ODもやめようと思って市販薬も全部処分したんですよって話しても、カルテにいつもの日付?みたいなハンコ押しながら、
「へーぇ、そうなんだぁ」
わたしはお金が無いです。
働けてないし。そろそろ復帰したいけど。そんな中、1万円分の市販薬を、そもそも普通に風邪薬として使ってもいい薬を処分したのは、かなりの決断と勇気が要りました。
処分する時、泣きそうになりました。不安で、怖くて、でもがんばりたくて、わたしの事大切に思ってくれた友達の事思い出して。
カウンセラーさんも友達も、たくさんたくさん褒めてくれて、喜んでくれました。
わたしのした事は偉かったんだって。地の底みたいな自己肯定感が少しだけ上がって。
わたし、少しずつ前に進めてるんだって。そうしたら、大切な人達も喜んでくれるんだって。
がんばろうって、心の底から思えてたんです。
……主治医に、特別酷い事を言われたわけではないです。
どうせまた死ぬんじゃないのとか、薬なんて簡単にやめられないんだよとか、そんな風に言われたわけじゃないです。
でも、悲しかった。がんばったんだねえ、くらい言ってほしかった。
あの日会った時に、もうしないでねって言ってあとはもう前を向こうとしてるわたしに、わざわざ後ろを向かせないでほしかった。
がんばったね、良くなってきてるね、これからもがんばろうねって。そういう言葉が欲しかった。
この記事はカウンセラーさんに見せる予定ですが、それで言われてももう意味無いんです。謝られても気持ち悪いんです。だって、そんなの「台詞」だから。
わたしどうこうの前に、主治医として、担当患者が良くなっている事が嬉しくないのか不思議です。
死にたいなんて思うのがおかしいんだ。
ODなんてしないのが普通なんだ。
病院側はトラブルを起こされるのが嫌なんだ。
わたしが全部おかしいんだ、褒めてもらえるような事でもなかったしわたしはがんばってなんか無かったんだ。
登りかけてた蜘蛛の糸が切れて、地獄に叩き落とされた気分です。絶望とか、自己嫌悪とか、過去とか、そんなわたしがたくさん、わたしの足を引っ張って。
わたしは、クソメンヘラで、健常者様の真似事もできなくて、ずっと欠陥品なんだ。
そんな気持ちでいっぱいです。
でも、これを打ちながら泣いてるのは、まだそこまで落ちてないって認めたくない心もあるのかな。
わかんないや。疲れた。もう死んじゃいたい。
飛び降りなんてダメだ、不確実なのわかってた。
次はちゃんと、苦しくても確実な方法を選ぼう。どうせわたしがダメ人間なら、薬だって自傷行為だってもうどうだっていいや。疲れた。
がんばってきたのに。がんばれてたと思ってたのに。少しずつ前に進めてると思ってたのに。
もう、やだ。今すぐにでも死にたい。
腰が不安らしくて、今は親が付きっきりですが、親が仕事復帰したらもう死にたい。
どうせ無駄なんだもん。わたしなんてダメなんだもん。悲しい。
悲しいと思えるのはきっとまだマシなところにメンタルがいるのかな。もっと壊れてぐずぐずになって、絶望して死ぬんじゃなくて、死に希望と救済を求めるわたしに戻りたい。
ブログ書くのも疲れちゃった。
ねえ、ほんとうにしょうもない事でしょう。
この程度で容易く死にたくなるなら、初めからわたしの決意とか努力なんて全部ゴミみたいなものだったんですよ。
あーあ。