自己理解と自己受容の先にあるもの① | 【夏海のお部屋】精神薬の完全断薬から丸10年の軌跡

【夏海のお部屋】精神薬の完全断薬から丸10年の軌跡

夏海のお部屋へようこそ

あなたは、あなたのままで良いんだよ

毎日頑張って生きてるよね、私たち。

頑張っていても、頑張れない日も、あなたのことが大好きです。

私の記事に、『私は』や『私が』と言う言葉を使っているのは意識して入れていますが、数年前参加した心を扱った講座で『我(が)』が強いと講座内で指摘されてた時に、「ダメだこりゃ〜」ってなったのは、支配したい側の人間には『私は』と自分の意見を持たれるのは不都合で腹立たしいことなのは真実だったのだなと改めて気づいたからです。


イライラした衝動で買った掃除機(あれやこれやで500円)にはこの電池は使えず、怒りは思考を停止させるなと改めて反省



私が『願いを叶える』と言う仕事を始めたのは、殆どの願いごとなんて、徹底的に自分を整えることが出来さえすれば勝手に叶うように出来ていると理解したからで、元々の私の体質を利用している他に、整える為のサポートをしているのですが、


『徹底的に自分を整える』とはどういうことか?と言うと、他人のことなど一切考えず、自分のことにだけ集中して自分の中にある問題だけを解消して行くこと、その一点だけ抑えて日々暮らすと言うことで。



他人の問題には首を突っ込むことなく、自分の問題にだけ集中することに慣れていくと、『私の問題』と『他人の問題』に分けて考える癖が付くので、問題が増えて行くことを抑えることが出来て行くのですが、それを会得するまで長い道のりだったなと思います。



ところで、最近特に良く見ているこちらの方の投稿ですが、

 ↓↓



私を表現する為の取説として読んでいます。



息苦しかった私が楽になってきたきっかけとなったのは、北海道で受けたカウンセラー養成講座だったのですが、その時に知り合った受講生から教えて貰った私の取説でした。



私は集中して行動するので、突然息切れして寝込む。


でも、集中して行動している間に寝込んでいる間の仕事はしているので、安心して存分に休養すれば良い。


そんな風に教えて貰い、とても納得して泣きそうなくらいにホッとしたのを覚えています。



「それは、生まれながらの性質なので、その性質通りに生きれば楽だし、そうでない性質の人の行動を行えばより頑張らねばならない。


ならば、自分の性質を理解して行動した方が省エネだよね」と言う話でした。



ちょいと壮大になりそうなので、その②の方に続きます。



【編集後記】


私が『私が』と敢えて使うのは、「これはあくまでも『私の考え』であって、それをあなたに強要しない」と言う意味も含めています。



「私とあなたは別の人間で、別々の意思を持っていて、別々の考え別々の行動をすることは当たり前なことです」と言うことを大前提を踏まえて記事にしていて、その大前提の下に、『私は』と、たぶんくどいくらいに付けて記事にしています。

(読み返しては、付け加えることもしばしばある)



もちろん「夏海は自分の意見を押し通そうとしている」とか、『構ってちゃん』『分かってちゃん』だと受け取って貰っても私側には何も問題はないのですが😅


どのように受け取るかは受け取り手の自由だと思っています。