どうしちゃったの私? と思うくらい夏バテしております。
10日も続いた長雨。それに続いてやってきた動かない台風11号。梅雨明け。
突然始まる土砂降りの雨と、うだるような熱風と慣れない冷房に、すっかりやられたようです。
だるくて眠くて、どうしようもありません。
でもその間、猫崎公園は1日2回、1度も欠けずにデリバリーすることができました。
体調を崩した猫が1匹出ましたが、張り付きでケアして復調させました。
その間、仲間の間を飛び交った申し送りメールの膨大なこと。
猫崎公園・鬼ババーズの底力とど根性の賜物でした。結果、ふと安心した途端に、電池切れしたかもしれません。
しばらく更新できず、申し訳ありませんでした。
餌やりする事務所 と、地下室のマッドサイエンティスト とのやり取りから、救世主・鶴亀さんとの出会 いまでを第1章、
大人猫のTNRと鶴亀さんの突然の「餌やりやめます宣言 」までを第2章とするならば、
私の失敗談・「遊歩道の現場」のお話も、今日から第3章へ突入です。
去年10月、遊歩道の現場には4腹9匹の子猫がいました。
7月の第1期TNRで、産後の母猫含む大人猫6匹の手術は終わっています。
子猫たちを対象とした第2期TNRは、生後半年になる12月に着手するつもりでした。
しかし10月、鶴亀さんの突然の「餌やりやめます宣言」で、
私はハロウィンの子猫2匹を保護に出し、7匹の手術を前倒しせざるを得なくなりました。
それまで信頼していた鶴亀さんの言動に翻弄されながらも、一方でご家族と初めて接点が生まれました。
何度も失望させられ、その度に小さな希望も生まれ…。どんなに目まぐるしく変化の波が押し寄せようと、
私は淡々とその波を乗りこなしているように、傍からは見えたかもしれません。
でも、本当はそうではありませんでした。第2期TNRに着手する時、私の頭の中は、ある思いで一杯でした。
この捕獲が終わったら、もうきっぱり、鶴亀家と縁を切ろう。このお庭にも二度と来るまい…。
この時の私は、そんな風に思い詰めていました。
先頭を切ってトラップに飛び込んだひとりっこ。メス。
鶴亀さんの庭は地下室生まれの親子に占拠されていて、すでに入る余地がなかったのだろう。
母猫がたった1匹の我が子を懸命に育てる姿を、遊歩道の外れで何度も目撃していた。
しかし、その母猫はいつの間にか姿を見せなくなった。恐らく死んでしまったのだと思う。
ひとりっこは庭に潜り込み、地下室生まれの子猫たちと兄弟のように育った。
母猫不在の代償は大きく、他の子が2キロ近い時期に、ジャスト1キロしかなかった。
私はmoco動物病院にお願いして、体重1キロから施術できる早期不妊手術をして頂いた
前日の鶴亀家でのぼったくり疑惑解消の三者会談の時、私は息子さんに、
「お庭の子猫たちは、最後の1匹まで私が責任をもって手術します。それが私のポリシーですから。
全部終わるまで、お庭に入らせてもらいます。イイですね?」と宣言して、強引に了解を取り着けていました。
10月9日。早速手持ちの捕獲機を2台、鶴亀さんの庭に持ち込みました。
庭には、10匹近い猫が、貰えないご飯を待っていました。一体何が始まるのか?と、遠巻きに私をガン見しています。
これは、捕まえる順番を整理するのが大変だと感じました。
猫たちはすでに、丸2日食べていません。けれどさすがに警戒して、トラップに頭を突っ込んではUターンを繰り返しています。
すると、遠い所でその様子を見ていたひとりっこが一直線に突進して来て、そのままトラップに入ってしまいました。
これは計算外でした。ひとりっこは育ちが悪く、体重が手術できる大きさに達していなかったのです。
しかも、捕獲前にろくに食べていません。
初っ端から計画が狂いました。
これで頭が冷えました。もう1台のトラップをセットする一方で、今度は、盛大にお皿を並べました。
そして、「食べなさい。お腹が空いたでしょう?今のうちに今日の分を食べなさい」と猫たちに言いました。
そうなのです。鶴亀さんが餌やりをやめてしまった以上、いまやこの子たちの今日の命を繋げるのは、私しかいないのです。
鶴亀家の庭に自由に入る許可を得た私は、捕獲という名目で、実は給餌をしようと企んでいたのです。
それは、「捕獲が終わるまで」という期限付きで私に認められた、緊急時の炊き出しと同じでした。
この時、私の頭を一杯にしていた思いというのは、
「どうにかしてこの子たちを食べさせてやらなければ」という思いでした。
7月1日、初めて目撃したサンボン。
この頃、地下室生まれの2腹6匹は揃って遊歩道側へ移動した。
サンボンの足に異常は見られなかった。
鶴亀さんは御年90歳。その餌やりが永遠に続くとは思えません。
これを機にきっぱり餌やりをやめるとご自分で宣言されたのなら、口出しする権利も、気持ちも、
もはや私にはありませんでした。
息子さんやお嫁さんの富士子さんは、庭の猫を巡る鶴亀さんとの葛藤から今度こそ解放されると喜んでいます。
ご家族のことを思えば、歓迎してあげるべき事態なのでしょう。
しかし、では庭の猫たちはどうなるのでしょう?
一昨日まで、庭にはあちこちに餌が置いてありました。ミルク皿までありました。それが当たり前と思って暮らしていたのです。
それが突然、いつものおばあちゃんは庭に来なくなる。庭中探して歩いても、一粒の餌も落ちていない…。
この状況が、どんなに猫たちを混乱させたでしょう。
餌を絶たれた背景のニンゲンの理屈など、猫にはわかりません。可哀想に、彼らはニンゲンの都合の巻き添えを食らったのです。
そう思うと、不憫でなりませんでした。
もうひとつ、私はやり切れない思いを抱えていました。
この猫たちは、一体何のために繁殖能力を奪われるのでしょう?
今まで私は、問題を抱えた餌やりさんや猫で困り果てた地域の人のためにTNRをする時に、必ずこう言ってきました。
「この猫たちは、人間の都合で、繁殖能力を奪われるのです。
繁殖できなくする代わりに、今までより少しでも、穏やかな生活を保証してやりたいのです。
せめて、食べることだけは困らないように…。どうか一生、見守ってやってください」
ニンゲンと猫、双方痛み分けの先に、共存の可能性があるのだということを、走り回って話して来たのです。
とすれば、私はなんのためにこの子たちの繁殖能力を奪わなくてはいけないのでしょう?
これから怖い思いをし、大事な繁殖能力を奪われこの庭に戻って来ても、この子たちはもう、ご飯を貰えることは無いのです。
食べることも、穏やかな生活も、保証してやれないTNR。 なんという不公平、不条理でしょう?
しかし、縁あって巡り合ったこの子たちを、手術もせずに地域に放逐することは私にはできません。
その不条理な仕打ちをするのは、他の誰でもありません。この私がしなくてはいけないのです。
私がこんな思いを抱きながら庭にいることを、家の中の鶴亀一家はまったくわかっていないでしょう。
庭のあちこちで遠巻きに私を見つめている猫たちの方が、私の心を見透かしている気がしました。
私は、猫たちと目を合せないように、フードを入れたお皿をあちこちに差し出しました。
そして「今のうちだよ。私が来る間は、まだ食べられるよ。捕まらなくてもイイから、さあ、食べたいだけ食べなさい」と、
心の中で言いました。
こんな矛盾する気持ちで行う捕獲が、サクサク進むハズもありません。
トラップインを妨げてみたり、あるいは誘ってみたり、私のやっていることは支離滅裂でした。
それでも、ほどなく2匹目のオスがトラップに入りました。反射的に暗幕を掛け淡々と後処理する自分の習性が嫌でした。
…苦痛でした。思わず涙がポタポタあふれ出てしまい、私は困りました。
7月末に撮ったサンボン(メス。不妊手術時1.5キロ)。この写真で初めて後ろ脚の異常に気づいた。
地下室を出て20日ほどの間に、何か事故にあったのだろう。それが何であったかは、後にわかる。
断脚手術後の17日間の入院は相当なストレスだったと思う。
怪我のためか非常に気性が荒く、面会に行くと小ケージのまま保護ケージに入れられていて、
目を向いて威嚇するたびに小ケージが動いた。その耳はぺったんこで、まるでドラえもんのようだった。
抗生剤が合わず、さらに入院を1週間延ばしたが、ストレスを考えてついにリリース。
心配をよそに、今は誰よりも元気で、どこへでも出没する。断脚手術を選択したのは正しかった
ターゲットは7匹。捕獲機は2台。単純計算で3日半で終わる捕獲に、私は5日を掛けました。
最終日に捕まえたのは、後ろ脚に異常のあるメス猫でした。
どこでどのように怪我したのかわかりませんが、神経がやられていたそうです。
完全にマヒした左後ろ脚は、まったく前後反対向きになって引きずられています。
下手をするとトラップの蓋で患部を挟んでしまいます。
それで、5日間徹底的にトラップインを邪魔して、充分栄養補給させた上で捕獲しようとしたのです。
最終日、手動トラップで身体が完全に中に入るのを待ってロックしました。
診て貰うと、引きずっていた甲は骨が露出するありさまで、壊死も始まっていました。体重は1キロ半しかありませんでした。
さぞ痛かったろうと思いました。
私はためらわず断脚をオーダーしました。この先、自力で生きて行くためには、痛みのない足が3本あれば充分だと考えたのです。
獣医さんの見立ては、断脚は大腿骨からではなく踵からでも行けるかもしれないということでした。
当初10日の入院予定でしたが、抗生剤が合わず17日間に延びました。
その間、「この子は、怒るかウンチするかしかしないね。しかも回虫だらけの」と先生は笑いました。
回虫だらけの大量のウンチ…。それはそうでしょう。私が5日間、つきっきりで食べさせていたんですから
でも、ウンチができるということは、後ろ脚で踏ん張れるということです。苦笑いの奥に、先生の安堵が見てとれました。
断脚手術と、17日分の預かり料は、たったの3万円でした。私は、先生に深謝しました。
10月末。リリースされたサンボンはフェンスを潜り抜け、なんと遊歩道を逆走して懸命に逃げて行きました。
ぴょこたらぴょこたらと奇妙な動きでしたがなかなかのスピードでした。
私は、彼女がしっかり生きて行くであろうことを確信しました。
わずか5日間の、長くて辛い第2期TNRはこうして10月13日に終わりました。サンボン以外は、すでに庭に戻りました。
明日から、私が庭に入る大義名分はもうありません。
これから猫たちはどうなるんだろう…。保健所の言う通り、あちこちに散らばるのだろうか? 生きて行けるだろうか?
全頭TNRを成就した喜びなど、ひとつもありませんでした。私は滅入る気持ちを持て余していました。
その夜のことです。携帯が鳴りました。名前も知らない、ある女性からの電話でした。
「鶴亀さんちのお庭にいる猫たちなんですが…。
お婆ちゃんに、何かあったのでしょうか? このところ、ご飯を貰えてないようで、うちの庭に来ます。
私で良ければ、ご飯を食べさせますが…」
それはまさに、一発逆転の電話でした。
奇しくも全頭TNR完了のその夜に、私の前に、2人目の救世の女神が降り立ったのです
私が泣きながらTNRした庭の猫たちは、こうして、飢えずに済むことになりました (続く)