救われた家族と「嵐の予感」 | 日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話


晴れ晴れ全国的に異常な暑さが続いています。皆さんご無事でしょうか?


東京は殺人的な暑さです。夜になっても気温が下がらない。眠れなくて冷房を入れる。

すると熱の籠った排気が都会をすっぽり覆い、気温が下がらないまま夜が明ける。そしてまた冷房を入れて町を温める…。

自分で自分の首を絞めるような都市部の悪循環です。チキュウが悲鳴を上げてる気がします。


さてこの10日間。更新そっちのけで、汗だくで走り回っておりました。結果、エライ日焼けをしてしまい、鏡を見てガッカリダウンダウン


ある母猫を追っていたのです。

この猫、実はサンボンたち地下室育ちの4兄弟の母猫なのです。え?全頭TNRしてたんじゃなかったの!?と言われそうですが…。


そうなのです。この猫のことを、今までブログに書けなかったのです。


遊歩道の現場から、私はたった1匹、この母猫を取り逃しておりました。そんなこと、格好悪くて言えなかったのでしたガーンあせる



               去年7月末の写真。右側が幻の母猫・チカちゃん。

               この写真を撮った後、チカちゃんは忽然と庭から姿を消した。

               それから1年に渡る追跡劇をすることになるとは…。その時は思ってもいなかった


去年7月、地下室からうじゃうじゃ子猫が出て来た時、どれが母猫なのか、私にはわかりませんでした。

原因は、その体格でした。母猫自身が、子猫のように小さな猫だったのです。


これだろう!と思っていたのが実は子猫で、後に、個体識別用に撮りだめた写真に見慣れない猫を発見し、私は愕然としました。

その時すでに、母猫は現場から姿を消してしまっていました。


第一ラウンドは、開始のゴングさえ鳴らずに終了しました。…してやられましたダウン



それから数か月も経った日のことです。ねこパト中、全く別の場所で見慣れない猫を見かけ、写真を撮りました。

その猫が、現場で子猫と一緒に写っている猫とまさに同一であると知って、仰天したのです。


こんなところで再会してしまうとは…爆弾  見逃すわけには行きません。 第2ラウンドが始まりました。


この時、目の前で次々とオス猫が入るのを見て、彼女は完全にトラップを学習してしまい、私を振り回すだけ振り回して、

またも姿を消しました。


最優先のターゲットに、トラップへの警戒心を植え付けてしまうという大失敗…。やらかしてしまいましたガーン




                 母猫チカちゃんの最後の子猫たち。2015年5月5日生まれ。

                 2匹ともオス。健康ですくすく成長中。キジ白君(上)はかなりのやんちゃ坊主。

                 現在里親募集中。都内譲渡会場や品川区保護宅でもお見合いできます。

                 ご連絡は→ noranet.atom.bosyu@gmail.com  まで

ところが。この4月、母猫が遊歩道近くに舞い戻っているという情報が入りました。


妊娠していました。手を尽くしましたが捕獲叶わず、5月5日、無事に4匹の子猫が生まれました。産室はあの因縁の地下室でした。

子猫のような小さな若いメス猫は、1年で8匹の経産婦となりました。

たった1匹の多産の母猫を取り残したために、今までのあらゆる努力が水の泡になる…。それが現実として迫りました。

どうしても、私が捕まえてやりたい。しかし、どうしても、捕まえることができません。


そこで私は、 CatSocionさんのブログ で知ったある方に、思い切って連絡をしました。


その名も、TNRアシスト さん。 トラップを学習してしまったたやっかいな猫を捕獲する達人でした。


彼のアイディアは、私がずっと感じていた従来の捕獲方法の限界をズバリ言い当てていました。

その、自由自在で猫の行動原理を知り尽くした発想が、すぐに肌身で理解できました。

準備に10日費やし、私は第3ラウンドのリングに立ちました。


7月29日。決してトラップに近寄らなかった母猫を、ついに捕まえることができましたクラッカークラッカー


驚くべきことに、なんと、お腹に6匹の胎児がいたのです! まだ、授乳中の子猫を抱えているというのに…。

この、命を縮めるような休みなき繁殖行動。母猫を、そこから解放してやれたことが、何よりの収穫でした。

こうして、1年以上に渡り張り付いていた遊歩道の猫たちは、今度こそ本当に、全頭TNRされたのでした。



地下室で8匹の子猫を産んだ偉大な母猫を、チカちゃんとでも呼びましょう。

チカちゃんとの長い長い物語も、いずれお話できる日が来ることでしょう。


でもその前に、鶴亀さんのお庭で食べて行くことができなくなった猫たち、つまりチカちゃんの産んだ4匹を含む、

13匹のお話の続きをしなくてはいけません。

お待たせしましたが、泣きながらの第2期TNRが完了したその晩、私の前に、救世の女神が降臨したところから。

続きのお話です。


         一斉TNRからひと月経った頃の子猫。リカコさんのおかげで、飢えることも痩せることもなく過ごしていた。

         ここは鶴亀さんのお庭の遊歩道側の角。このフェンスの向こう側は、以前と少しも変わらず、猫たちのマイホームだ


携帯鶴亀さんのお婆ちゃんに何かあったのでしょうか?

お腹を空かせた猫たちが我が家に来ます。私で良ければ食べさせますが…」


去年10月の中旬、ついに子猫7匹の捕獲が完了し、捕獲の名を借りて給餌をする名分も、失われてしまいました。

明日から、どうやって食べて行くだろう…?

思いつめているところへ入った1本の電話は、猫だけでなく、私をも救いました。



電話の主は、峰リカコさん(みね りかこさん・仮名)という女性でした。


鶴亀宅に隣接して、パインハウス(仮名)という5階建ての中規模マンションがあります。

現場入りしてすぐ、その1階のベランダに猫が頻繁にたむろっていることに、私は気づいていました。

リカコさんとご主人は、その部屋の住民でした。



3か月前の大人猫たちの第一期TNRの時、近隣に協力者を持たなかった私は、

区の助成枠申請に協力してほしいと書いた手紙を、例の地下室と、パインハウスの1階2所帯に投函していました。


結局、反応はありませんでした。挙句、地下室の主から「不妊去勢なんて必要ないメラメラと怒鳴られる始末。

やむなく友人に頼んで必要枠を揃えて、大人猫をTNRしたという経緯がありました。


リカコさんはその時、手紙に添えてあった私の名刺を取っておいてくれたのでしょう。

そして、今回の猫たちの異常な行動を不審に思い、思い切って連絡をくれたのでした。



電話の向こうで、リカコさんは続けました。

「鶴亀さんが餌をやるので、昔から、我が家の庭にもよく猫が来ていました。でもこの数年ほど増えたことはありません。

ある時、弱った母猫がうちのベランダで息絶えていました。

子猫が4匹残されて、うち2匹は目が潰れていました。それで、私はやむなく家に迎えたのです。

別の機会にも数匹…。


でも実は、パインハウスはペット飼育不可なのです。

けれど私たち夫婦は一番古株の入居者ですし、最上階に住んで居る大家さんはとても良い方なので、

見ないフリをしてくれてるんだと思います。


それにしても、鶴亀さんはこちらの敷地に餌を置いたりして、何度か目に余ることがありました。

ご近所付き合いを大事にして、大家さんはそっと、息子さんご夫婦に申し入れをしたんじゃないかと思います。

だから、ご近所の手前肩身が狭いと感じた息子さん夫婦が、お婆ちゃんの餌やりに厳しく当たるんでしょうね。


そうですか。鶴亀さんのおばあちゃん、今度こそ餌やりをやめるのですね。それで猫がこちらへ来るんですね。

でもそれが家庭円満のためなら、仕方ないですね…。


庭の猫たちと、我が家の猫たちは血縁です。

片や丸々と太って暑いも寒いも無いのに、サッシ1枚隔てた向こう側の猫たちは、ご飯も貰えずひもじい思いをしている。

それを知ってしまったら、私には、とても見ないフリはできません。


私は仕事で不在がちですが、1日2回、食べさせてやるぐらいはできます。

それぐらいのことなら、喜んで協力しますよと言ってくれました。



捨てる神あれば拾う神ありとはこのことです。


外で暮らす猫たちを、カーテンの影からそっと見ている人は、いるのです。ありがたいことだと思いました。

私には、猫たちが自分の力で、カーテンの向こうの救世主を呼び出したように思えました。


                  久しぶりに再会した去年の子猫。すっかりふっくらしている。

                  最近は遊歩道から離れたのか滅多に姿を見ない。元気でいてほしい


去年10月、こうして何年にも渡って続いて来た鶴亀さんの餌やりは、ぷっつりと途絶えました。

その代わり、フェンス1枚隔てたリカコさんのベランダの衝立の影で、猫たちは密かにご飯を頂くようになりました。


リカコさんのことを、私は鶴亀さんには知らせませんでした。町で鶴亀さんを見かけても、もう、声を掛けるのもやめました。


保健所は、「餌やりをやめれば、猫はいなくなりますよ」とお嫁さんの富士子さんに言ったようですが、

実際は、そうはなりませんでした。


時々、遊歩道側から鶴亀家のお庭をそっと覗くと、相変わらず庭のあちこちに、猫は潜んでいました。

お隣のマンションがレストランなら、鶴亀さんの庭は涼しくて、昼寝にはもってこいの場所だったのでしょう。

というより、ちょうど親子離れの時期を迎えた兄弟にとって、鶴亀さんは親代わりであり、

この庭は無二のマイホームに違いなく、離れようとしなかったのです。


いつの間にか、4匹の母猫のうち3匹が姿を消していました。そのうち2匹は、恐らく死んだのだと思います。

庭の猫の個体数はわずかながら減っていました。悲しいことですが、鶴亀家には好ましい方向と思わざるを得ませんでした。



鶴亀さんを庭で見かけることはほとんどなくなりました。

出れば、「なんで?ご飯は貰えないの?」と、あっという間に猫に取り囲まれます。

それが鶴亀さんにとって、どれほどの苦痛でしょう? 私には手に取るように想像できました。


ある晩、遊歩道のずっと先を、杖をつき、足を引きずるように歩く、鶴亀さんの背中を見つけました。

子猫たちの世話をして居た頃は、高い脚立に登って庭の手入れをし、背筋をシャン!と伸ばしてウォーキングしていたのに…。


私はその姿に胸を衝かれてしまい、

思わず「鶴亀さん!本当にこれで良いのですか!?」 と駆け寄って問いかけたい衝動を、懸命に抑えました。



一方で、お嫁さんの富士子さんは私を頼り、よく話すようになりました。助成枠の申請にも走ってくれました。

お義母さんの餌やりやめます宣言は嬉しかったでしょうが、猫は相変わらず庭に居座っています。

猫が怖い富士子さんにはきつい状況です。気の毒で、「大丈夫?」と気遣っていました。


ところがある日、「足が悪いのが1匹いますよね。あの子が不憫で…。

あの子だけなら、庭に居てもいいかな?って主人を話したんですよ」と言い出し、私は意外に思いました。


そこで、母猫別に一覧表にした13匹の写真を持って行って、

「この猫は、不妊手術と一緒に左後ろ脚を断脚したんですよ。大丈夫。他の猫と同じ位元気ですよ。逞しいものです。

それと、こっちのこの子が事務所に籠城した張本人ですよ。男の子でした。あの時は大騒ぎでしたよね」などと話して聞かせました。


不思議でした。

こうやって個体識別を指南しているうち、富士子さんの猫への恐怖が、緩んできたように思えたのです。

きっと、富士子さんにとって猫は、表情のない、区別もできない、得体の知れない「群れ」だったのでしょう。それが恐怖だったのです。


しかし、見分けができるようになれば、1匹1匹は悪意も害もない、懸命に生きているひとつずつの命であることがリアルに迫ります。

障害を負った猫でさえ、健気に生きている。そういう実感が、富士子さんを少しずつ変えたような気がします。


富士子さんは次第に、「今日は10匹です」 「昨日は8匹しかいませんでした」と報告するようになりました。

狭い庭にこれだけの数の猫を見たら、誰だって目を疑うはずです。

でも富士子さんは、以前のような感情的な拒絶反応を示さなくなって行きました。


ある日、富士子さんは大事な秘め事を打ち明けるかのように、私に白い封筒を差し出しました。


「保健所は、お婆ちゃんが餌をやらなければいなくなりますよ、と言いました。

でも、猫はいなくなりませんでした。

保健所を頼ったところで、何をしてくれるわけでもないんですね。結局、猫の問題も、家族の問題も、自分たちで解決するしかない。

考えてみれば、sakki さんは最初からそう言っていた。その意味がようやくわかって来ました。

今回は、私も勉強しました。これ、僅かですけれどsakki さんの活動へのカンパです。どうか受け取って下さい」


中には紙幣が1枚入っていました。私はそれを、ひとりっこの早期不妊手術代に充てました。


こうして、かつて姑さんに、

私は猫が怖いんですビックリマーク私と猫と、どっちが大事なんですか!? と涙ながらに詰め寄ったお嫁さんは、

その姑さんが育てた1匹の猫の、足長おばさんになったのでした。



               鶴亀さんがそっとフードを置いた直後の写真。分かりにくいが、5匹の猫が写っている。

               やはり、餌やりやめます宣言は、いつの間にか撤回されていたのだ


今年2月頃、コンビニを出たところでひとりの男性とすれ違いました。


私の顔を見て何か言いたそうな顔をするので、通り過ぎてからハッと気づいて、走って追いかけました。

「気づかずにすみません、鶴亀さんですよね!?」と声を掛けました。


それは、あの日事務所で苦い顔をしていた息子さんでした。


「ご無沙汰しました。その後、お母様はいかがですか?餌やりはしていないですか?」と聞くと、まるで別人のような柔和な笑顔で、

「はい。餌やりはやめたようです。母は少し身体がだるいようですが元気です。富士子とも仲良くやっています」と言いました。

「そうですか。良かったですね。ご家族仲が良いのが一番です。私も走り回った甲斐がありました」と言うと、

「あの時は、我ながら無礼なことを言いました。すみませんでした」と、また頭を下げてくれました。


息子さんが町で私を見つけて、あんなに嬉しそうな顔をするとは思っていませんでした。

私は鶴亀家の平和を知って心から安堵しましたが、実はその裏に、隠し事をしていました。


その数日前、久しぶりに遊歩道側からお庭を覗きました。

そこへ、懐かしい鶴亀さんが足を引きずって出て来ました。足元に、庭の猫たちがワッと集まりました。

鶴亀さんは垣根の向こうの私に気づかず、おもむろにひとつまみのフードを、足元に置きました。


そうです。鶴亀さんの餌やりは、予想通り再開されていたのです。


現場を目撃するまでもないことでした。私には、猫を見ればわかりました。

元子猫たちはどの子も太りかえっていました。リカコさんが1日2回食べさせてくれていても、こんなになるハズはありません。


餌やりをやめると言って、やめられた人はいません。

鶴亀さんとて、例外ではありませんでした。息子さんと富士子さんが気づいていないだけです。


でも、私がそれを言う必要もありません。ご家族が気づけば、今度こそ、解決するための話し合いがなされるべきです。

それが、家族というものです。そう思って、息子さんには言わなかったのです。


…とは言っても、私は嵐の予感に、何とも言えない不安を感じました。



不安は別の形で的中しました。3月の末のことです。今度はリカコさんから、長いメールが届きました。

それは、とても苦しい内容でした。


嵐は、鶴亀家の中だけではなくお隣のマンションでも、吹き荒れようとしていたのでしたメラメラ







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