「世紀の引越し」のご褒美 | 日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

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野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話

昔から、変な夢を見るのです。


明日はいよいよ入試本番だと言うのに、どういうわけか1科目だけ、まったく手を付けていない。

大学祭で芝居をするのに、自分のセリフはおろか台本さえ開いていない…。さあ、一体どうしようショック!あせる


焦りまくり、追い立てられるように目覚めて、

「あれ?これってもう、とっくの昔に済んだことだよね」と気づいて「ああ、助かった…ガーンと胸を撫で下ろすという、

全く人騒がせな夢なのです。


今回も、同じような夢を何度も見ました。

今日は引越しだビックリマーク 荷造りしなくちゃビックリマーク早く母の所へ行かなくちゃ!!

飛び起きてよく考えて、「あれ?そうだ、引越しはもう終わったんだっけ…」と、ホッとするのでした。


母の世紀の引越は、実にスムーズに終わりました合格


私は一心不乱だったらしく、ところどころ記憶が薄いのです。あの引越しを成し遂げたこと自体が、夢のように感じます。


連日母の友人たちが来て下さり、150箱の段ボールは見る間に片付いて行きました。

すがすがしく居心地の良いリビングに入るたびに、

「終わったね。本当に夢のような引越しだったね。皆さんのおかげだねニコニコアップと、母と何度も笑い合ったのでした。


            建替えのため取り壊しが始まった頃の画像(2013年7月13日)。

            中央付近、木の間に見える3階が我が家。ベランダに取り外したキッチンセットが見える。

            思い出とともに、懐かしい我が家は消滅し、新たな一歩を踏み出した

思えば、今回の引越しのネックは、巨大な作り付けの家具でした。


作り付けにしたのは30年も前です。

忘れもしません。遠い異国から姉にプロポーズをするために、ヘルマンという青年が単身日本にやって来る。

この慶びの日のために、両親は古い団地の60平米強の家を大改造して彼を迎えようと考え、

10畳のリビングの3方の壁に、ヤマハの巨大な収納家具を3セットも作り着けたのでした。

すっきりした壁面収納家具は、当時走りでした。



団地の建替えが決まった時、母は、この家具だけは分解してもらい、仮住まいに持ち込んでいました。

ピアノの塗装技術で塗ったとかいう扉は、30年の間に日焼けしてすっかりみすぼらしくなってしまい、

「いつか、塗り直す」と言いながら、結局仮住まいの4年間、母にはその手配ができませんでした。


「お母さん。ヤマハの家具は、これで終わりにするの? それとも新居に持って行くの?」と尋ねると、

「もちろん持って行く」と母は主張しました。


「そう。でもこれを活かすとなると、それなりの制約があるからね。いいね」と言い含めておいて、

その場でヤマハのお客様係へ電話をさせて、塗り直しの見積りに来てもらう日取りを決めさせました。



ヤマハの家具を新居に納めるために、私は100分の1の設計図面とにらめっこをしました。

結果、図面に載っているリビングと寝室の収納全てを、キャンセルすることにしました。そうしなければ入らないからです。


「お母さん。そういうワケで、今度の家には収納がほとんど無いと思ってね。

持って行く物は、ヤマハの家具に入る分だけにしよう。独り暮らしなら、それで十分だと思うよ。

よく考えて、今のうちに荷物を減らそうね。なるべく棄てないで、活かせる先を一緒に探すから」と言い続けました。


50年も団地に住み続けている間に、マンションの仕様は昔とはすっかり変わっていました。

80センチも奥行のある押入れなんて、今はどこを探してもありません。

押入れと天袋に並べて使っていた、奥行78センチのスチール製の衣装箱が入るスペースなど、新居のどこにもありませんでした。


引越しは、器に合わせて持ち物を減らす良い機会なんだよ、と言ってみても、母は簡単には納得しませんでした。

「誰か、これが納まる家に住んで居る人を探し出して、譲れば良い」と言って折れません。

結局、中身のほとんどをリサイクルに回して空になった衣装箱は、

欲しい人を見つけられないまま新居に持ち込まれ、北側の「納戸部屋」に、むき出しで6つ、積み上げることになってしまいました。


でも、母を説得できたこともありました。


「お母さんの寝室には、ベッドと、ヤマハのクローゼットを入れようね。だけどお父さんの本棚は、大きすぎて入る場所がないんだよ。

拾って来たこっちの家具を本棚として寝室に入れることにして、お父さんの本棚を、うちで引き取ろうか?

大事にするから」と持ちかけました。

その提案のどこに心が動いたのでしょう?

もしかしたら、娘のダンナが夫の本棚を引き継ぐという巡りあわせが、嬉しかったのかもしれません。


大きな本棚に詰まっていた懐かしい大量の本を1冊ずつ、2人で相談しながら箱詰めにして、リサイクルショップに引き渡しました。

自分が読みたくて買った、自然科学や宗教や哲学の本だけを、母は手元に残し、

「残った本は和子(長女)が来日したら、一緒に片付ける」と約束しました。



              引越しの間入院させて、連れ帰って来た時のサバ。後ろは新生・オリンピックガーデンズ。

              思えば、生まれ育った団地が取り壊され、たった1匹取り残されたサバを母が引き取って、

              こうして一緒に、故郷に戻って来ることができた。

              凄いヒストリーだと思う(→テーマ「取り残されたサバ」)

              故郷の形はすっかり変わったけれど、物音や匂いに、サバは帰ってきたことを感じ取っただろう。

              サバちゃん、長生きして良かったね。これからも母をよろしくね


さて、ヤマハでは、分解や修理や組立てはしますが配送はできないとのことでした。

一度分解しに来てもらい、それを引越し業者さんに運んでもらい、新居でヤマハに組み立ててもらうしかありません。


いろいろ調整して、8月中に、塗り直す扉20枚を取り外し、作業を始めてもらう。

9月19日に再び来てもらって本体を分解。他の荷物と一緒に運び出すのは、23日と24日(引越しの本番)。

そして26日、新居で定位置に組み立ててもらい、同時に塗り直した扉を付けてもらう、とスケジュールを詰めました。


ところが、母はこのスケジュールをどうしても覚えられないのです。挙句、「あんたの説明の仕方が悪いプンプン」と怒り出す始末。


23日、1回めの引越しを終えた夜には、「次はいつだっけ?10月だっけ?」と言った、さすがに心配だと、

母の古い友人でありヘルパーさんでもあるM岡さんが、私に知らせてくれました。


「最近は何でもすぐに忘れてしまう。疲れが溜まって来ると特に物忘れが酷くなるし、気持ちにムラが出る。

ちっとも疲れていないと言ってるけど、相当、疲れが溜まっていると思うよ。

周りでバックアップして、お母さんが倒れないようにしてあげないとね」と言ってくれました。


実は数日前にも、リサイクル業者さんとの約束を忘れて外出してしまい、泡を喰っていたのでした。

誰の目から見ても、母は非常事態でした。でも本人だけ、その自覚がありませんでした。


私は不要品を手離させるに当たり、皐月(私)に言いくるめられただの、出し抜かれただのと思わせないように、

いちいち母に確認していましたが、追いつめないよう配慮する必要を感じ始めました。

時にM岡さんが、「いいじゃない、持って行こう。あっちでゆっくり片付ければいいよ。せわあない」と、助け船を出してくれました。


母の精神状態を見ながら、私とM岡さんとで、押したり、引いたり。硬・軟の両刀を使い分けるのは辛抱が要りました。

それでも母は、私が不用品を活かす道を提案すると大いに喜んでそれに乗り、

かなりの物品を、気持ち良く「必要とする場所」へ送り出しました。



                   母は、脱出口が無いことを確認して、サバをベランダに出した。

                   日当たりの良いベランダを自由自在に行き来して、サバは一時、野良返りしたかに見えたが、

                   自分でちゃんと母の寝室に戻り、爆睡して母を安堵させた。

                   写真は、ベランダからリビングを伺うサバ。

                   こんな毎日が、彼女にとっても母にとっても、ノンストレスであることが嬉しい

引越しは、5月に私たちがお世話になった業者さんに引き受けて頂きました。

800所帯が引越しをする中で、たった1件だけの受注です。それも特別手が掛かる案件ですし、

これと言ったメリットもなく申し訳ない気持ちでした。


しかし、見積りにやって来た佐川さん(仮名)は、

「お元気ですねえ。でもどうか無理をしないでくださいね。手が回らなくても、こっちで何とかしますから。

大丈夫、きっとうまく行きますよチョキと言ってくれました。


そう言いながら、佐川さんが右手に握ったカウンターは、凄い勢いでカチカチ鳴っていました。

家財を段ボール箱に換算してカウントしていたのでしょう。本当は、「これはやばい量だショック!あせる」と思ったに違いありません。


限られた時間内で能率的に搬出入するために、またトラックの容積に効率良く積み上げるために、

引越し業者さんは専用の段ボールを置いて行きます。

しかし母は、

「段ボールを使い捨てにするなんて、もったいない。それにね、年を取るとこれ位の箱じゃないと扱い切れないのよ。ごめんね」と言って、

自分で集めた小さな箱や、変形の箱を使って荷造りをし、規定の段ボールを使うのに難色を示しました。

実は、先に見積りに来た業者さんとは、この段ボールを巡る母の主張が原因で、決裂していたのです爆弾


ところが佐川さんは、「ああなるほど。確かにそうですよね。箱が大きければ重過ぎますものね。

大丈夫ですよ。やりやすい箱で荷造りして下さい」と言ってくれました。

しかもその後、ガムテープを使わず組立てられる、それも中古の箱をいくつかと、部屋別に色分けされたシールを届けてくれました。

「このシールは簡単にはがせるんですよ。

荷解きが終わったら、箱は当社で回収しますけれど、シールさえ剥がして下さればその箱もどこかで使いますから。

ですから、遠慮なく新しい段ボールを使って下さい」と言いました。


ニコニコなかなか巧みな誘導作戦でした。

母は喜んで見せて、それ以降、佐川さんの顔を立てて既定の段ボールを使うようになりました。

そして、佐川さんを密かに「優しい親分さん」と呼んで、慕いました。



                        まだ片付けが済んで居ない頃のベランダの、ちょっと恥ずかしい画像。

                        サバが、どこにいるかわかりますか?

                        べんりで酢の箱の左奥にそっと潜んで、片付けの様子を伺っている。

                        左側には、隣家に行けないように脱出口を塞いだ木箱が写っている


「このシールを使って、①何が入っていて、②どの部屋に行くのか。誰にでもわかるようにしておくんだよ。

引越しでは、それが一番大切。そうしないと、エレベータを降りたところで渋滞になっちゃうからね」と何度も説明しましたが、

このシールがまた、笑いのタネになりました。


母は、箱詰めにして蓋を閉めた瞬間に、中に何を入れたか忘れてしまうようなのです。そこで、シールに適当な物の名前を書く。

中を開けてみると全然違う物が入っていて、おまけに、隙間を埋めるように、ティッシュや布巾がきっちり押し込めてあって、

母の仕事のムダな細かさに、何度も苦笑しました。


なんでも箱に入れ替える。母はその作業がとても性に合っているようで、タンスの上に気に入った空き箱をたくさん溜めてありました。

丁寧に詰め込んで、でも蓋をした途端に中身を忘れ、箱ごとご丁寧にどこかに仕舞い込んで、

仕舞った場所ごと綺麗に忘れてしまう…ガーン

今回もあちこちから、二重買いの未使用の家電や、賞味期限を過ぎても発掘されない食品セットが、次々に発見されました。

母の大量の持ち物の山は、こうして出来上がったのです。


こうした母のマイ・ルールに呆れもしましたが、責める気もしませんでした。


若い頃、母から小包が届くと、こんな箱によくこんなに入れたものだ目と感心するほど、

大量の瓶詰のジャムや、お菓子や、チーズが出て来て、嬉しくなったものですニコニコアップ

母の箱詰めには、貰った相手が喜ぶ顔を見たいという以上に、詰め込むひとつひとつの物への愛情が感じられました。


荷造り作業も同じでした。

私にはゴミと思われるものでも、箱の中に丁寧に納められ、まるで、「ゴミじゃないよ」と母の代弁をしているようでした。

そんな風に感じてしまったら、チクチク責める気など、どこかに吹っ飛んでしまったのです。


「中身=雑多な物、行き先=洋室2か3」 と、いい加減に書かれたシールの箱が増えるたびに、

私は笑いを噛み殺しましたにひひあせる



                 まだ雑然とした母の寝室に、忍び込むように戻って来たサバ。

                 「ここが私の居場所」と認識しているように見える。

                 住まいが変わっても、「あのおばさん(母)が居る場所が私の居場所」と

                 言ってくれているようで、嬉しい


晴れ9月23日、24日。ついに引越しの日を迎えました。


10人近い佐川男子が爽やかにやってきて、それはもう、テキパキと働いてくれました。

親分さん(佐川さん)も汗だくになって号令を掛けています。


母はその手際の良さと、互いに声を掛けあう様子に惚れ惚れして、

「まるで運動会のようだねビックリマーク 楽しそうだし、いやいや、よく働くね~。気持ちがいいね!!

え?脚立も無しに照明が外せるの?育ててくれたお母さんに感謝しないとねニコニコ」と、興奮気味です。


親分さんを捕まえて味噌の作り方など講釈し始めたので、思わず、「お母さん、イイ加減になさいパンチ!」と叱りましたにひひあせる


2日間、佐川男子軍団は徹底して紳士的で、年配の母へ配慮と敬意を忘れずに、業務を完遂してくれました。

「ちゃんと、引越しできるのだろうか…はてなマーク

数か月前から感じ続けていた不安は見事に払拭され、感謝の言葉もありませんでした。


               M岡さんがこしらえてくれた豪勢な昼食。

               こうしたご馳走を毎日頂いたおかげで、私も母も、疲れずに済んだ。

               母の本当の財産は、溜め込んだ物品ではなく、こうした友人なのだと思う

引越し当日から、母の友人が代わる代わる片付けに付き合ってくださり、新居はわずか数日で片付きました。


その間毎日、M岡さんが豪勢なお昼ご飯を作って食べさせてくれたおかげで、私も母も、疲れ果てずに済みました。

塗り直したヤマハの家具は新品同様に生まれ変わり、建具の色とマッチして、なかなかに立派でした。

棄てるのが間に合わなかった収納棚は、

M岡さんの機転で上下に分解され、ふたつ並べて板を渡して、ちょうど良い高さのレンジ台に生まれ変わりました。


たったひとつの家具も、買い足しませんでした。

母が蓄え続けた一切の物の命を、適材適所に割り振って、「棄てない引越し」は、ここに無事完了したのでしたクラッカー



                   みんなでお茶を飲んで居る後ろに、そっと出没するサバ。

                   完全家庭内野良猫(いまだに絶対に触らせない)を貫きながら、

                   「おばさん。お腹が空いたんですけど。そろそろお願いしますにゃ」と言っている。

                   手前は、片づけを手伝いに来た弟


晴れ先週、姉夫婦が無事に来日して、新居は賑やかになりました。


私は、母を姉にバトンタッチしたら疲れがどっと出てしまって、自宅に籠ってウダウダしています。

でもあちこちの現場から事件の知らせが入り、ねこパトで走り回っているうちに、元気が戻って来ました。


引越しの数日後、母は姉に、こんなメールを送っていたそうです。

手紙思いがけないほどの引越しが成功して、M岡さん、皐月に大感謝です。

皆さんの尽力と能力でほとんど片付きましたが、反省しきりです。

今後はシンプルライフを心がけ、有り余る物の有効利用に取り組みたいと思いました。


すっかりきれいになってあなたたちを迎えられます。

なかなか良い住まいです。乞うご期待アップアップ


私は噴き出しました。

シンプルライフですと? ぷぷっにひひビックリマーク 最初はそんなこと、これっぽっちも考えていなかったくせに…!!


あの最初の見積りの時、私がいちゃもんを付けて破談にしなければ、

母は当たり前のように全ての物を運び出し、運び入れ、再び物に埋もれた生活を続けたことでしょう。


でも今は、少なくとも私は、母がどんな物を持っていて、どこに仕舞ってあるか、知っています。


それと同じように、母が今までどれほど懸命に、また楽しんで、人生を過ごして来たか?

老齢になって、どんな変化が始まっているか? だとしても、これからどのように生きて行きたいと思っているか?

母が大切に蓄えて来た「物」をつぶさに見て、わかるようになりました。


加えて、多分最期の瞬間まで、私はこの人に、ちゃんと向き合える。

この年になって、ようやく自信を得ることができた。 …そんな気がするのです。


娘として、世紀の引越しにとことん付き合ったご褒美は、これで十分でした合格



お母さん。

貴女の言うシンプルライフがどんなものか、ちょっと楽しみです。

お金の使い方が少し心配だけれど、おかしいと思ったら、私はちゃんと言いますから、

聞く耳を持って下さいね。


生まれ変わった団地で、皆さんと、元気に溌剌と過ごせますように。


これからも、よろしく。


                                                             「棄てない引越し」   完







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