暖冬一転、身を切るような寒波が日本列島を覆っています。
だいぶご無沙汰しておりましたが、皆様、元気でお過ごしでしょうか?
例年、年の終わりと初めには、ささやかながら感謝の記事をUPしていたのですが、
去年は「塞がれなかった猫窓 」を最後に、記事を更新できませんでした。
新しい年がスタートしても「猫窓」のままの日々是~に、「sakki 、いよいよダメか」と思われた方もいらっしゃったかと…。
半分、アタリでしたよ 去年の12月位からこの方、何とも得体の知れない停滞感に引きずり込まれていたのでした
秩父は例年なら2月が見頃のロウバイがすでに満開で、
娘は坂道を懸命に登り、身体一杯に良い空気を吸い込み充電。
その途中、参加しなかった息子からSOSの電話。
夫が対応してくれありがたかった。
東京へ帰った翌日、間髪入れずに、私はモナカの保護を決行した
思えば、暗転は11月末位から始まったのでした。
猫絡みでいろいろな事件が起こり、「多分、この件はこうなるだろう」と読んで、いつものように静観していたのですが、
ことごとく、その通りにはなりませんでした。
その背景を深読みしてしまい、人間不信にも陥りそうでした。私としては珍しいことです。
敬愛する知人の訃報が続けざまに届いたのも、ちょうどこの頃でした。
家庭内にも、激しい浮き沈みがありました。
健康状態や精神状態が乱高下しても、娘も息子も精一杯やっているのです。それを信じて、ドンと構えていれば良いのに、
その時の私には、それができませんでした。
解決してやれない焦りと苛立ちに捕われた上に、自由を拘束されたような被害者意識を顔に出して、子供たちを苦しめていたでしょう。
まったく、母親失格でした。
こういう時、脳のアンテナは過敏になるようです。
見るもの聞くもの全てから、負の情報ばかり集まりました。頭の中でそれらが勝手にリンクして、渦を巻いているようでした。
宮ちゃん。
猫崎公園イチの美人猫。2004年生まれ(推定)のシニアで、私たちは丁寧にケアしていた。
痩せていたが毎回しっかりした足取りでやって来て、他の猫と身体をすり合わせて挨拶する。
「歓迎の舞い」と呼んでいたこの光景の中心が、宮ちゃんだった。
思えば変調は急激だった。デリにやって来ても一口も食べようとせず、各所のハウスに籠った後、姿を消した。
保護することもできただろうに、自信喪失中だった私は判断を誤り、その機会を逸した。
12月23日のことです。猫崎公園の私たちの大事な宮ちゃんが、姿を消しました。
後から分かったのは、宮ちゃんがあちこちお礼参りに歩いた末、意志的に公園を離れて行ったという痕跡でした。
相棒は、「希望を捨てない」と言いましたが、すでにどこかで天に召されていると私は感じていました。
手を差し伸べるチャンスはあったのです。
私はそれをみすみす逃し、結局、遺体を回収してやれなかったことを、引きずり続けました。
鉄の女sakki はすっかりなりを潜めてしまいました。 この停滞感は、いつか晴れるのでしょうか?
何をしても安息を得られず、やる気も起きず、運気に見放されたような自分を持て余し、私はため息ばかりついていました。
クーちゃん
飼い主Rさんが仕事に行っている間、外でお留守番するクーちゃんをご近所の皆さんは可愛がっていた。
公園デリにもよくやって来たので、私たちはRさんから預かった「クーちゃんスペシャル(療法食)」を出し、
目の周りを拭き、「本日のクーちゃんメール」をRさんへ送った。楽しかった。
Rさんと私たちの繋がりは理想的で、飼い主ひとりではなく、猫繋がりによって猫を守るという、
猫崎町独特のアイディアを、私にもたらしてくれた
そんな中にも、救われることがありました。
1月13日、猫崎公園によく遊びに来ていた飼い猫クーちゃんが、老衰で亡くなりました。
お仕事と、ご両親の介護と、老猫の看取りが重なって憔悴し切っていた飼い主のRさんを、公園仲間はみんなで支えました。
今思えば、あの日私の方が、Rさんとクーちゃんに救い出された気がします。
みんなで真心を込めてクーちゃんを送り出す作業をしたことで、荒れていた気持ちが安らぎました。
重苦しいひと月半でしたが、私は猫繋がりのおかげで引きこもらずに済んだのです。
ありがたいことでした。
昨年11月15日、雨上がりの砂利道を、クーちゃんと連れ立って家に帰るRさん。
この日が、クーちゃんが外に出た最後の日だったそうだ。
寒さと体力の衰えを自覚していたのだろう。賢い猫だった。
Rさんとクーちゃんの絆が見えるようで咄嗟に撮った写真。
これを見るたびに、いろんな思い出が蘇る
情けない日々でしたが、ひとつだけ、腹を括って実行したことがありました。
マルメロ通りの三毛猫・モナカを我が家へ入れたのです。
(モナカは「迷子札を付けた地域猫」 に登場していますのでお読み下さい)
野良猫だらけのマルメロ通りを地域猫の現場に変えようと、モナカたちに一斉TNRをしたのは2010年でした。
以来長い付き合いになりましたが、どこか薄幸の雰囲気を漂わせるモナカを、私はいつも気にしていました。
年末に通りかかると、モナカが私を追って公認餌場へ来るようになりました。
ご飯はあちこちで頂いているはずです。なのに何故かお腹を空かせていて、歩き方もふわふわしていました。
食べ終わると相葉さん(仮名)のベランダに戻って、一日中じっとしていました。
モナカには持病の鼻炎があって、10月にも通院させていました。
その時の状態を基準にして、同じ状態になる前に再通院させようと、相葉さんと申し合わせていましたが、
まだあの時ほどではないと地域の誰もが思っていて、連絡はありませんでした。
私はその頃、猫崎公園で宮ちゃんを見失ったまま逝かせてしまったことを、忘れることができませんでした。
もしモナカが同じように姿を消してしまったら、この停滞期です。立ち直れない気がしました。
1月12日朝。秩父から帰った翌日に、私は考えていたことを決行しました。
モナカを捕まえて、初めての病院へ自転車で走ったのです。ずっと気になっていたので、やると決めたら一気呵成でした。
その朝、東京に初雪が舞いました。
以来、遅れてやって来た冬将軍はどっかりと列島に居座ってしまい、最低気温はどんどん下がり、
18日には、あの全国的な大寒波が訪れました。
もしあの朝、モナカの保護をためらっていたら、重篤な病変を抱え2.4キロまで体重が落ちていたモナカは、死んでいたでしょう。
運が無いなんて、ほざいているヒマは無かったのです。ギリギリ、間に合いました。モナカは助かりました。
我が家で充分療養させ、体力が戻ったら、里親さんを見つけてやりたいと思っています。
我が家のベランダで日向ぼっこするモナカ。右はトミ黒。
保護にあたり不安材料はたくさんあったが、一念発起してやってみれば、たいていのことはできるものだ。
そうやって動くことで、私自身も活力で満たされるのだから、人間は不思議だ
一昨日、バッタリと友人に会いました。
私と、彼女と、公園の相棒・幸女さんとは、その順番でGW生まれのトリオで、3人とも猫に関わっていました。
「なんだかねえ、このところうまく行かなくない?」と聞くと、
「占いの先生がね、5月生まれは今、全然ダメなんだって。節分過ぎまでは続くって。じっと耐えるしかないって言われたよ」
と言うではありませんか
なるほど~ やっぱりそうだったんですね。 ならばジタバタしたって自分の首を絞めるだけです。
でも、何もしないで世の中を恨んでいては、心の中が澱みます。
待ったなし!という時にごちゃごちゃ考えずに挑めば、垂れこめた雲もおのずと開かれて行くのでしょう。
その辺の出し入れができるしぶとさを、我々5月生まれは持っています
「節分までね~ 何とか生きて抜けようね」 と、笑って別れたのでした。
停滞しながら見送った2015年、迎えた2016年でしたが、
「ささやかでも自分の務めをきっちり果たし、地域と猫たちと家族に還元すべし」と、遅ればせながら今年の抱負を決めたのでした。
毎年、同じなんですけどね
そういうわけでしたので、皆様、この1年もどうぞ、よろしくお付き合い下さいませ。 sakki (皐月)