モナカの口の中の「ワル者」 | 日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話


晴れ新年早々、マルメロ通りの地域猫・モナカを保護、退院後療養のために我が家へ迎えてから2週間になりました。


先住猫のトミ黒がストレスから軟便気味になるなど、お決まりの一通りのハードルもありましたが、

モナカもトミ黒も、今はとても落ち着いて過ごしています。



                   モナカ(左)とトミ黒。

                   トミ黒は腎臓療法食、モナカは高栄養食と食べる物が違う。

                   相手の食べてるものが美味しそうで気になって仕方ないお子様のふたり。

                   割って入るのも、私の楽しみのひとつだ音譜


「きっとこの子はそうだろう」と思っていた通り、モナカは私との暮らしにすんなり馴染みました。

でもその理由は、モナカの順応性が高かったということではないように思います。

ひとことで言えば、モナカは「幸せ」に対して欲がない。

置かれた環境がどんなものであっても、恨まず、腐らず、とにかくその中で何とか生き延びることが大事。

彼女独特のそういった処世術が、閉ざされた室内で、私と、会ったこともないオス猫と一緒に暮らすことになっても、

拒否反応を引き起こさなかったのです。


モナカは、今までそうやって生きて来たんでしょう。しみじみとそう感じました。

思えば、私を含めて地域の誰もが、本当のモナカに気づいていなかったのです。


知らなかったモナカ。まだ開花していない本当のモナカ。いつかその花を、心おきなく咲かせてやりたい。

今はそれだけを願って、日々奮闘しています(2匹になると手間は3倍ショック!あせる


良くお読みになれば、私のモナカ保護が喝采などに値しない、遅すぎたものだったことが分かるでしょう。

でも、停滞期にあり、宮ちゃんと言う公園猫を見失って初めて、そのタイミングが訪れたのです。

いつか「そんな日もあったね」と笑って思い出せるように、今回の一気呵成の保護劇を正直に記録しておきたいと思います。


         相棒から提供されたお宝画像。2010年12月のもの。右はモナカ、左の2匹がモナカ最後の子供たち。

         さび猫は、知り合って間もない相棒に頼んで40日間預かって貰い、里子に出てサビーになって、

         幸せに暮らしている(→「路地裏のさび子、サビ猫館に入る 」)。

         白黒猫のパルは、幸楽さんの出入り自由の飼い猫に昇進しつつある。膿胸に続き、去年膀胱結石を克服。

         現場を作るのは一気呵成でも、その後は長い長い維持が課題となる。

         いざという時は選択肢を示して地域をリードするのが、コーディネータの役目だと思う


モナカの本当の年を、誰も知りません。


2010年、私はマルメロ通りでモナカ含む19匹の一斉TNRをしたのですが、

「三毛猫が何匹も居たから、わからない」大野晶子さんに言われました。

モナカと2匹の子供たちは人馴れしていましたから、晶子さんにとっては特別なファミリーだったはずです。

それでもモナカがいつ、誰から生まれたのか分からない…。多頭現場独特の悲しさを感じました。


毎年雪の中を、お腹の大きな三毛猫がトボトボ歩いていて、見ているのが辛かった、とご近所から聞きました。

それがきっとモナカで、過去数回は出産していたのでしょう。



多分子猫時代に患った猫風邪から慢性副鼻腔炎を引き起こしたのでしょう、モナカの鼻は、常にズコズコ言っていました。

歩き方も四肢がパタパタ動いて、なめらかではありません。筋力が弱いのでしょう。

それでも、公認餌場ができ、地域容認の猫になったモナカは、

相葉さんのベランダで夜を明かし、出勤前の幸楽さんの玄関前で朝ごはんを頂き、大野さんや桜井さんでおやつを頂き…と、

皆さんに見守られながら、マルメロで穏やかに過ごしていました。


携帯モナカが死にそうだ」と連絡が入ったのは、去年の10月でした。


数日前からベランダでぐったりしているモナカを、相葉さんは見過ごせなくなったのです。

クリニックへ駆け込み応急処置してもらいましたが、体重はわずか2.88キロ。

左下の歯肉が赤く腫れていて、そのせいで食べられなくなって体力が落ち、衰弱したのだろうと診断されました。

でも、血液検査の結果は白血球数を除いて立派なものでした。

5月に行方不明になっていますから(→「迷子札をした地域猫 」)、エイズ・白血病も検査しましたが、感染はありませんでした。


リリース後、ステロイドを毎朝飲ませてもらうと、劇的に効いて、モナカは回復しました。



この時の状態を基準に、様子がおかしい時は通報してほしいと頼んでいましたが、その後どこからも連絡はありませんでした。

その代わり、「地域猫に延命をしてもね…むっという、悲しいささやきが耳に入りました。


パルを膿胸から生還させた時、大歓声を上げた地域でしたが(→「膿胸になった飼い主のいない猫 」)、

体力がなく、どう見てもシニアで、老い先短いであろうモナカに、どう対応したら良いのだろう?

それは、批判と言うより、弱りつつあるモナカを見ながらどうしてよいのかわからないという、地域の皆さんの本音でした。


      1月8日、保護直前のモナカ。相葉さんのベランダで。の頃毎晩マルメロへ通い、密かにモナカに給餌していた。
      モナカは足腰が弱っていたのか高いベランダの塀を降りられず、抱っこして降ろしてやることもあった

      11日に旅行から帰ったら、すぐに迎えに行こうと決めていた



私は猫崎公園の行き帰りに、モナカの様子を見に行くようになりました。

モナカは私を見ると、公認餌場までついて来ました。高栄養のフードをあてがうと、懸命に食べました。

やはり、口が痛んで一度に充分食べられなくなって、飢えていたのです。


足元で首を振りながら懸命に食べるモナカを見下ろしていると、6年間の付き合いが思い出されました

いつだって分をわきまえて、高望みせず、静かに生きている地味なモナカが大好きでした。

私の心の中で、誰かが、「このままでいいのはてなマーク」 と、問いかけていました。



晴れ年が明けてすぐのことです。ねこパト中、「60を過ぎても、猫が欲しい 」に登場した波平さんにお会いしました。

犬ぞりよろしく波平さんとすれ違い様、「sakki さん、三毛猫が欲しいって人がいるんだけど。知らないはてなマークと聞かれました。


私は保護ボラではないから、信用できる譲渡会の情報を調べてメモにして渡しますね」と約束した別れ際、

ふと、モナカのことを思い出したのです。
「この通りにも三毛猫がいるんですよ。年だし、少し弱って来ているけど」

「ああ~、あの子ね。あの子は性格が良いからね。変な顔してるけどね。うん、あの子はどうか、ちょっと聞いてみるよニコニコチョキ


ひらめき電球その瞬間でした。 私の中で、考えもしていなかった答えがはっきり出たのですアップ


モナカを保護して療養させ、家猫として誰かに託す。  


そんなこと、今まで考えたこともありませんでした。

弱々しく、とても健康とは言えないモナカ。子猫でもないモナカ。本当に、そんなモナカを希望する人などいるでしょうか?


でも、それをやってのけられるのは、この現場を作った私だけです。

そしてもしそれができれば、弱って行くモナカを見て地域の人が心を痛めることもなければ、

何より、モナカを生殺しの状態から救い出してやれるんだ!!と思いました。


考え始めたら、その夜は眠れませんでした。


雪1月12日。小雪舞う朝、私はモナカをキャリーに入れ、波平さんから紹介された病院へ連れて行きました。

モナカの猫生は、こうして動き始めたのです。アップ



         モナカの口の中。

         犬歯の右側に大きなピンク色の肉腫が見える。上顎に灰色に見える臼歯が、その肉腫にいつも当たっていた。

         患部に触ると、じっとしていたモナカが飛び上がって痛がった



予め電話で相談していたので、診察はスムーズでした。しかも、波平さんご推薦の女医さん・R先生は、素晴らしい感性の持ち主でした。


モナカの体重は2.44キロ。体温は37度4分しかありませんでした。

先生は一通り全身をチェックしてから、もの凄い異臭を放っていた口の中を診ました。

「ごめんね、ごめんね。痛いよね、ちょっとだけ見せてね」と言いながら、そうっと口を開けようとしました。


途端に、電気に打たれたように、モナカが飛び上がりました爆弾

大きくてぶよぶよした肉腫が見えました。10月に赤く腫れていたところが3倍も大きくなっているのを見て、私は絶句しました叫び

その肉腫の真上に、歯石で灰色になった前臼歯があるのです。これが、ナイフのように患部を苛めていました。

モナカは、飛び上がるような痛みを我慢しながら、生きるために必死で食べていたのです。


先生は、一旦モナカをキャリーに戻すよう指示してから、私に向き合いました。

「この子は痩せていますが、骨格はしっかりしています。尻尾を見ると、恐らく洋猫が入っているんでしょう。

心音も、呼吸音も綺麗です。この状態でも生きてこられたのは、とても免疫力が高く、基礎体力に恵まれているんでしょう。

何歳なんでしょうね?6年前に不妊して、その前に何回か出産しているとすれば、8歳くらいでしょうかね」と言いました。


私は驚きました。何年もの間「虚弱なモナカ・おばあちゃんのモナカ」と思い込んでいたのです。地域の誰もがそう思っていました。

人並み外れた体力の持ち主!? それが本当のモナカだったとすれば、私たちはネグレクトという、とんでもない過ちをして、

モナカに長い長い死への苦しみを課す所だったのですガーン


「保定が要らないくらい大人しいですね。彼女は観念してるんでしょう。

きっとそうやって、置かれた場所に合わせてやってきた。モナカちゃんはそうやって、自分の生きる隙間を見つけて来たんでしょう」と、

R先生は労わるように言いました。


慢性の副鼻腔炎があるところへ歯槽膿漏から炎症が起きて肉腫ができ、それが2ヶ月で3倍の大きさになった。

歯が患部に当たり食べられず体力が落ち、さらに副鼻腔炎が悪化。負の連鎖が衰弱を引き起こしたとR先生は見立てました。


「こいつが、一番のワル者です。でも、悪性腫瘍には見えません。多分肉芽腫でしょう。

こいつをぶった切ってやりましょう。そして歯を抜いてあげれば、きっと食べられるようになると思います。

あとはモナカちゃんの体力に賭けましょう。

どうしますか?入院させて体力を付けてから手術するか、それともすぐに手術しますか?」


私はきっぱり答えました。

「今まで散々、痛みに耐えて来たのです。もう1分でも長く痛い思いをさせたくありません。

できれば即刻、切除してやってください」と言うと、

「わかりました。全身麻酔への耐性だけ調べさせてもらい、今日これからやりましょう。

体重は減っていますが、多分大丈夫。ギリギリ間に合ったというか、良いタイミングだった気がします。

ところで、この後、モナカちゃんをどうしますか?」


「私は、もうモナカを現場に戻すことは考えていません。

まず痛みから解放して、食べられるようにして、それから我が家でゆっくり療養させます。

我が家にも問題山積ですから、できる限り里親さんを探します。

これからはモナカに、心から甘えたり、遊んだりさせてやりたいんです。青春を取り戻させてやりたい。

長い付き合いですし、まだ、たったの8歳ですからにひひと言うと、

「それは私としても嬉しいです。そうなるためにも、精一杯やらせて頂きますグッド!」と、R先生もきっぱり言ってくれました。

        ベランダで日向ぼっこするモナカ。

        トミ黒用の脱走防止策を、細いモナカがくぐり抜けるのではないかとヒヤヒヤする。今の所、セーフ合格

晴れ全身麻酔下による肉腫切除・全抜歯の手術は、その日のうちに行われました。


夕方、「電話モナカちゃん麻酔から覚めました。驚いたことに、もう食べています。たいしたものですニコニコ」とR先生が知らせてくれました。


その後3日間の入院の間に、モナカの体重は200gも増えましたアップ

「食べたい」という欲求の強さには驚きました。今彼女は、長く居座っていたワル者から解放され、爆発的な喜びを感じているでしょう。

犬歯2本を含む全抜歯をしたにも関わらず、R先生の投薬の塩梅は絶妙で、モナカは痛みを訴えませんでした。

かつて同じ手術をして高熱を発し、再入院し、耐性菌まで出して苦しんだトミ黒とは、大きな違いでした。

「術後3日が勝負です。石橋を叩いて渡るように、投薬を加減します」と宣言しその通りにしてくれたR先生に、感謝しました。


口内の細菌をやっつけるために、R先生はセファレキシンを選びました。

今後の猫生でモナカが強い抗生剤を必要としたときに、耐性を持たせないでおきたい、という配慮でした。

モナカは我が家にやって来ても良く食べましたが、2分に1回はくしゃみをし、トミ黒への影響が気になりました。

相談すると、R先生はセファレキシンを切り上げ、6日目からビブラマイシンに切り替えました。


9日目に、くしゃみをしなくなったことに気づきました。ビブラマイシンが効いたのです。ウソのようでした。

5日間集中投与をして、R先生はきっぱり、抗生剤を切り上げました。再発した時に、同じ薬が効くように、

感受性の余地を残そうとしたのです。

それはこの後、誰の管理の元でモナカが生きて行くことになったとしても、投薬の選択肢を狭めないでおく方策でもありました。


私は、11月末の猫崎ペットクリニック閉院以来かかりつけを失っていましたから(→「病院が、なくなる 」)、

こういう考え方をするR先生と巡り会えて、雲の間からやっと太陽が顔を出したような気がしました。



           猫ジャラシの行方を凝視するモナカ。

           横からの力がかかるとフラフラしていた足腰もしっかりして、自由自在に猫ジャラシを追い掛けるようになった

           この猫が、あのマルメロに居たモナカなのか?と思ったり、

           間違いなくモナカであって、その過去ともども、抱きしめたくなったりする。

           モナカのこんな姿を、私は見たかったのだ

しかし、術後1週間目の診察で意外なことが発覚しました。切除した肉芽腫がまた大きくなっていたのですメラメラ

鼻の閉塞音も相変わらずで、モナカが部屋のどこに隠れていても、耳を澄ませばバレバレでしたべーっだ!


「これは万々歳とはいきませんでしたね。

でもこの後、たとえ肉芽腫が大きくなっても刺激になる歯はありませんから、すぐに痛みは出ないハズです。

食べて体力がついたら、肉芽腫の成長も、副鼻腔炎も、おのずと治まって行く可能性もあります。


高いお金を掛けて、痛い思い、怖い想いをさせて、あれこれと検査するより、不完全であっても一応食べられれば良しとする。

それも、大事な考え方だと思うんです。

食べられていて体力さえあれば、肉芽腫と共生する道も、再び切除する道も、どちらも選択できるでしょう。
そういう意味で、
モナカちゃんは確実にワンステップ、階段を上がれたと思いますよとR先生は言いました。


R先生の言うことは、トミ黒と一日でも長く居たいがために、お金を掛け痛い思いもさせて、結果を追求し続けていた私に、

匂いの違う風を吹き込んでくれたのでした。




星空外暮らしの長かったトミ黒も、モナカも、夜11時頃がもっとも活発です。

猫ジャラシを振ると、モナカは「何これ?初めて見るにゃビックリマーク」と思わずケージを飛び出してしまうのです。

その姿はまるで、出産と子育てに追われて失った、青春を取り戻すかのように見えます。


白いヒゲをまぁるくして、ワンテンポ遅れて懸命に猫ジャラシを追い掛ける子猫のように小さなモナカを見ていると、

あの日、あなたを拉致して本当に良かった、と思います。


そして、「モナちゃん。今、しあわせ?」 と、心の中で聞きたくなるのです。






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