先週、思いがけないご縁からN子さんという女性と知り合い、こんなお話を聞きました。
九州の地方都市で暮らして居た頃、近くにねこ屋敷があったそうです。
毎年、子猫がどんどん湧いて来る。その、あまりに悲惨な状態を見るに見かねて、彼女は10匹近い猫を自分の家に入れたそうです。
ところがその後、こんなことがあったのです。
山道をバイクで走っていたら、道の真ん中に何やら変なものがある。毛むくじゃらの塊です。一体何とギョッとしました。
恐る恐る近寄ると、それは猫でした。それも、4匹
互いにかばい合うように入り組んで抱き合っていたために、塊のように見えていたのです。
どう見ても「轢いて下さい」と言わんばかりの危険な場所です。
あ~、また猫か、参ったな… と思いつつ、せめて安全な場所へ移動させておこうと、近寄ってしゃがみ込んだ途端、
1匹がいきなり彼女にしがみついてきて、あっという間に胸元を駆けあがり、首の後ろにかじり着いてしまいました。
焦ったN子さん。後ろ手に何とか猫を引きはがすと、今度は別の猫がするすると這い上がって、また首の後ろにしがみつきます。
引きはがしても、引きはがしても、4匹は諦めることなく、代わる代わる背中にはい登って来ます。
イタチごっこならぬ、ネコごっこでした。
結局、彼女はその4匹を全部、家に連れて帰ったそうです。ねこ屋敷出身の猫がいるのに…。
こうして、さらに4匹が上乗せされてしまいました。
「まるで詐欺ですよ。やられました。友達に話したら、”それ、飼え飼え詐欺だよ”って言われるし。泣き笑いでした」
N子さんの言い方に、私は噴き出してしまいました。
山の中の一本道で、4匹の猫を次々と振り払い、またしがみつかれて、泣きそうな顔をしている様子が目に浮かびました。
「お願い。ここに置いて行かないで。連れて行って」
猫たちの必死の訴えがジンジン伝わって来て、ついに屈して連れ帰ってしまったN子さんの気持ちが、私にも分かりました。
猫たちの鋭い嗅覚は、N子さんが心の中にひっそり隠している、観音様のような部分を、見逃さなかったのです。
そしてこの「飼え飼え詐欺」という面白い言葉が、妙にストンと私の腑に落ちたのでした。
マルメロ通りの繁殖現場である路地裏に、さび子を見に行った時の写真。
さび子はあっという間に私の肩に駆けのぼり、コートに爪を立てて、降りるもんかとばかり、背中にしがみついた。
その可愛らしい行動に虚をつかれて私は一発でさび子にメロメロになった。
さび子はこの時、「アタシをここから連れて行ってちょうだい」とアピールしていたのだ。
この時路地裏には9匹の子猫がいた。その中からまずさび子を里子に出そうと思ったのは、
知らず、「飼え飼え詐欺」に私も引っかかっていたのだろう
実は私も以前、1匹の猫に首根っこにしがみつかれたことがありました。
さび子と言う子猫でした。このところの日々是~に続けて登場している、モナカの最後の子猫です。
2010年、子猫だらけになった猫崎町の路地裏で、私は初めてさび子に会いました。
生後半年は過ぎているはずなのに、育ちが悪くて、猫風邪の影響で左右大きさの違う黒い瞳が、何とも印象的な子猫でした。
「おいで」としゃがみ込むと、さび子は疑う素振りもなく真っ直ぐ私に向かってきて、
するするっと私の膝から胸元へ上がったかと思うと、肩伝いに、首の後ろにへばりついてしまったのです。
まあ、ビックリするやら嬉しいやら。なんて可愛い子だろうと思いました。
それこそまさしく、「飼え飼え詐欺」の巧妙な手口だったのだと、6年経ちN子さんの話を聞いて初めて、思い当たったのです。
けれども私は、さび子の仕掛けた手口には引っかかりませんでした。
私は当時も今も、「猫を保護することができない」、しがない外猫ボラでした。
その代わりに、私はさび子の里親さんを探そうと奔走しました。
そして、小学校の行き帰りに路地裏に寄っては、同じくさび子によじ登られていた男の子が、
さび子のこの可愛らしい詐欺行為に、引っかかってくれたのでした。
彼の家には若い先住犬がいましたし、さび子の健康面には不安材料がありました。
それでもさび子が良い、あの子が欲しいという彼の思いは家族を動かし、
さび子はとてもとても温かいファミリーの一員となるべく、路地裏を卒業して行ったのです。
「路地裏のさび子、さび猫館に入る 」という、その時の記録を読み直すと、
さび子は黒い瞳をまっすぐ向けて、「連れて行ってくれないの? あたしはずっとここに居るの?」と訴えていた、と私は書いています。
あのヨダレが垂れそうに可愛らしい肩乗り行為の意味には気づきませんでしたが、
さび子が「ここから出たい」と全身で訴えているのを、私はちゃんと感じ取っていたのです。
我ながら、まあまあだったんだなと、今さらですがちょっと嬉しくなりました。
相棒幸女さんが初めて「自分の猫」に迎えた、カンペイ。
穏やかで人懐こい性格で、飲屋街で焼き鳥や天ぷらなどを貰って生きていた。
N子さんから聞いた話を、私は相棒・幸女さんにも話して聞かせました。
すると、「 カンペイと初めて会った時、あの子も私の背中に這い登って来たのよ!
あれって、”飼え飼え詐欺”だったんだ なるほどね。 ああ、納得した」 と、幸女さんは嬉しそうに言いました。
幸女さんは小柄な人です。犬みたいに大きなオス猫だったというカンペイがいきなり首根っこに這い上がったのですから、
私はかなり面白い絵柄を想像して、クスクス笑いました。
出会いは2001年だったそうです。その事件の後、幸女さんは一大決心でカンペイを家に迎え、初めて猫と暮らすことになりました。
しかし、広島の繁華街の人気者から、ついに家猫になったカンペイは、すでにFIP(猫伝染性腹膜炎)を発症していて、
たった51日間の家猫生活を、幸女さんに愛されながら終えたそうです。
幸女さんはもしかしたら、カンペイの意思に関わりなく家に連れて来てしまったと思っていたかもしれませんが、
本当はカンペイ本人が、「どうか、ボクを連れて行って」と幸女さんを選んでいたのです。
カンペイが幸女さんの細い肩に這い登ったという15年前の事実が、
やっと発見された遺書のように、彼の本当の気持ちを伝えてくれました。
私の周りは、あっちも、こっちも、飼え飼え詐欺に騙された面々ばかりでした。
そういう人の数だけ、観音様はいたのです。
2014年9月、我が家に逗留した時の小春(キジ猫)と我が家のトミ黒(サバ猫)。2匹は猫崎公園の顔馴染。
小春は堂々と密閉空間で過ごしたが、唯一、トイレをちゃんと使えなかった。
下の写真、トミ黒のいるキャットタワーのてっぺんから左側のクローゼットに飛び移って、小春はそこでウンチをしていた。
「あのさあ、いい加減にしたら?あんまりおばちゃんを困らせるなよ」と小春に苦言を呈して道を譲ろうとしないトミ黒。
この写真を撮りながら、そんな会話が確かに聞こえた気がした
動物は言葉を発しません。だから本当の気持ちをわかってやれていないのかも?と思うことが度々あります。
ですが、実はかなりの精度で、私たちは彼らの気持ちを読み取っているような気もします。
我が家で療養中のモナカが、ケージを小さなものに変えたせいで使いにくくなったのか、自分用のトイレを使わなくなりました。
昨日から、ウンチもオシッコもしていない。あ~心配だ~と思っていたら、明け方、勢い込んでケージを出る気配がしました。
そして、「あうっあうっあうっ」と強く短い声で鳴きながら窓際をするするっと移動したかと思うと、
トミ黒の大きなトイレに飛び込んで、あっという間にウンチをしたのです。
あ、この声 あの時の小春とおんなじ声だ と思いました。
2014年9月、猫崎公園のシニア猫・小春を、我が家で6日間療養させたことがありました。
小春はそれなりの順応性を示しましたが、残念なことに最後までトイレを使えず、
クローゼットの天板などに隠れるようにウンチをして、私を泣かせました。
その時、あうっ!あうっ!という強い声で鳴きながら、ずっと猫部屋を徘徊し続ける小春を見て、
「アタシはこの部屋ではしたくない アタシのトイレはどこ?どこですればイイの」と言っていたのかもしれないと、
私は申し訳ない気持ちを記録しています(→「たった6日間の保護猫 」)。
トイレを探すモナカの声が小春の声と全く同じで、そうだ、あの時小春は本当にそう言っていたんだと、今頃確信できたのです。
ポーカーフェイスで、呼んでも来ない・目も合せない、食べたらサッサと帰って行って、一体何を考えているのやら
そう思いながら外猫たちに振り回される毎日ではありますが、
丁寧な観察とケアを何年も続けているうちに、彼らは結構、ストレートに私たちに気持ちを見せているのかも。
そして私たちは、結構正確に、彼らの気持ちを読めているのかも…。最近、そう思うようになりました。
毎日のねこパトで、ささやかながらキラキラした発見が積み上げられて行きます。
猫たちと静かに心を交わしていると実感できることが、私には宝物のように思われるのでした。
もしまた、「連れて行ってくれ~」と首根っこにかじり付かれたらどうしよう
まあ、その時はその時だ、できることをやるっきゃない、街の皆さんの力を借りて。
~と、思うことにしています。