聞いているラジオで、ノンセクシャルという言葉を知りました。
これまでも性について、自由であることは意識して接してきたけど、ノンセクシャルってこともあり得るのかと衝撃をうけました。
ラジオでは自分は性欲がない欠陥人間だから、努力でなんとかなると生きてきた人が、アラフォーでノンセクシャルという言葉を知り、肩の荷が降りたというものでした。
どれだけ一人で悩んだことか。
我が子が何かしら当てはまった場合にも、パートナーがそうであった場合でも、この部分を理解しあうことは不可欠でしょう。友人がそうであってもそうです。
しかし、現実は未だにピンクは女だの、男らしくないだの、そんな偏見やマウントの取り合いが当たり前のようにあることが、長男の話から伺えます。私は都度、それは違うよといい伝えています。あなたはそのままでいい。相手が違っても、それを否定してはいけない。
大多数は男女が結ばれるけど、そうでないケースを長男は知っています。これから大人になるにつれ、少なくとも馬鹿にして相手を窮地に追いやることはないと思います。
ちゃかす子は普通にいるんです。
この価値観に影響をあたえる大事な時期に、もっと親が関わるべきだと私は思います。
私はピンクは誰もが選んでいいことや、男らしさや女らしさといった、男女という区別について、そういった価値観が影響しないようにできる範囲で関わってきたつもりですが、わたしを含め、まだまだ親が無知なのでしょう。
長男は歴史が好きなので、時折、女性が虐げられてきた過去を話すこともあります。
長男が、女の人は生理や赤ちゃんを産むために大変なんだよと女子に話したそうです。
そんな話をして、女の子は怖がらなかったかびっくりして聞きましたが、その女の子は知っていたとのことで安心しました。
デリカシーについて教育の余地はありますが、そういうことを隔たりなく話題にできるのは悪いことではないと思いました。やっぱり、普段のコミュニケーションから話をしていくのは大切だと思います。
お母さんは(女の人は)生理の日はお腹が痛かったり、色んな症状がある中、男の人と同じように働きに出るんだよ。でも辛いときはお休みしてもいい権利はあるんだ。お母さんはすごく眠くなるんだけど、お父さんが代わりに朝ごはんを作ってやすませてくれるから、少し長く眠れるんだ、など話しています。
将来女性が辛いとき、ナチュラルにそんなもんだって思えたら、お互い負担がないように思います。
長男のすごいところは、それと映画タイタニックが沈むときに婦人と子どもが優先的にボートに乗るシーンを結びつけたこと。
だから女の人や子どもは守らなければならない、僕は男で強いから女性を守れる。
こんなふうに学んだみたいです。
将来、子どもやそのパートナー、友人が性的マイノリティで悩んでいても、お母さんは変わらず愛してることや、恥ずかしいことではないことなど、支えになれる存在でいられたらいいなと思います。