理解をさせるのが「しつけ」
無理をさせるのが「おしつけ」
【 あるレジ打ちの女性 】
その女性は何をしても続かない人でした。
田舎から東京の大学に来て、サークルに入るものの、
それ以降に就職する会社も
「つまらない」
「やりたくない」
「私のやりたかったことじゃない」
と、就職しては辞めてしまうの繰り返しでした。
そうしたことをくりかえしていくうちに、
彼女の履歴書には入社と退社の繰り返しとなってしまい、
ついに、彼女を正社員として
雇ってくれるところはなくなってしまったのです。
生活のためには働かなくてはならない!
結局、彼女は派遣会社に登録するのでした。
ところが派遣も勤まりません。
スーパーのレジ打ちの仕事です。
当時のレジは
今のような商品をかざせば値段を入力できるものではなく、
いちいち値段をキーボードに打ち込まなければならず、
タイピングの訓練を必要としたものでした。
ところが、勤めて1週間もするうちに
「私は
こんな単純作業のために
いるのではない」
と考えるようになったのです。
そんなことを思っていた矢先、
彼女の お母さんから電話がかかってきました。
「帰っておいでよ」
お母さんのやさしい声が聞こえてまいりました。
母の一言に決心し、辞表を書き、
荷物をまとめ出したとき、
机の引き出しの奥から1冊のノートを見つけたのでした。
小さい頃に書きつづった大切な日記でした。
そのノートに
「ピアニストになりたい」
と、はっきりと書かれていたページを彼女は見つけたのでした。
彼女が唯一続けられたもの、
それがピアノの練習でした。
「今またいやになって
逃げ出そうとしている」
そして思い起こしたかのように、
お母さんに泣きながら電話するのです。
「お母さん、
私、もう少しここでがんばる」 と....
彼女は辞表を破り捨て、
翌日も単調なレジ打ちの仕事をするために出勤するのでした。
とある時、
「2、3日でもいいから」
とがんばっていた彼女に、
ふとある考えが浮かびます。
「ピアノを練習していくうちに鍵盤を見ずに、
楽譜を見るだけで弾けるようになった。」と....
そして、心に決めたのです。
「そうだ、
私流にレジ打ちを極めてみよう!」
彼女はキーの配置を覚え、
ピアノを弾く気持ちでレジを打ち始めました。
すると、不思議なことに、
これまでレジしか見ていなかった彼女は、
今まで見もしなかったところへ目をいくようになったのです。
最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
「この人は安売りのものを中心に買う」
「この人は高いものしか買わない」など....
そんなある日、
いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが
5000円もする尾頭付きの立派なタイを
カゴに入れてレジへ持ってきたのです。
彼女はびっくりして、
思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったのですか」
「いいですね。おめでとうございます」
「今日は何かいいことがあったのですか」
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ」
「いいですね。おめでとうございます」
これがきっかけで、
彼女はたくさんのお客様とお話ができるようになったのです。
ある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思うほど、忙しい日でした。
そして店内放送が響きました。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。
どうぞ空いているレジにお回りください」
ところが、
わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。
重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジにお回りください」
そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、
初めて彼女はおかしいと気ついたのです。そして周りを見て驚きました。
お客様は
自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長はお客様に
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」
と言った、その時でした。
その姿を見て、お客様が店長に言いました。
「そうそう。私たちは
この人と話をするのが楽しみで来てるんだ。
今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。
だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。
だからこのレジへ並ばせておくれよ」
彼女はポロポロと泣き崩れたまま、
レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものだと、
初めて気ついたのです。
そうです。
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これを読んで
あなたはどんな事を感じたでしょうか?
その感じた事を実践してみましょう。
そして、レジ打ちの女性の話には
実は、男性バージョンもあるのです。
※レジ打ちの男性の話の記事は→コチラ