2部は、お三人さん(黒木氏、森本氏、小嶋氏)がまとまってお話をされていらっしゃるので、
一部よりは書き起こした文章がつながっていると、自分では思います。

録音禁止でしたので、ノート書き起こしからの記録です。
ですから、私の聞き取り違いによる間違いもあると思います。
ねつ造だけはしておりません。
忠実に書き起こすよう努めました。

では、どうぞ。


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第二部 インタビュー『伝えたい~現場で私が体験したこと』

黒木誠氏(肉用牛一貫経営農家 都農町)←宮日都農支店長 鳥原
森本ひさ子氏(養豚農家 川南町)←宮日報道部口蹄疫取材班 那須
小嶋聖氏(獣医師 川南町)←宮日報道部口蹄疫取材班 草野
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紹介
口蹄疫の発生地域では移動制限が敷かれまして、県民の行き来はもちろん、マスコミも直接取材ができませんでした。
電話やメールのやりとりでの取材となりました。
今回は当事者のみなさんに直接お話が伺える貴重な時間となりました。

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那須:
手紙を(宮崎日日新聞に口蹄疫の写真を)お送りいただいた心境を。

森本:

口蹄疫が起きたとき、
「ああ、日本にもこんなことがあるんだ。」
韓国で起こっているのは知っていたが、よもや、と想像もしませんでした。
2例目が出たとき、獣医さんに
「2例目が出ましたね。」
と私が言ったら、獣医さんは黙って指を3本、4本、5本と立てて低い声で
「奥さん、これから大変なことになります。やばいウイルスがどこに潜んでいるかわかりません。すぐに石灰を撒いて消毒しなさい。」
とおっしゃられた。あわてて石灰を50袋JAから買い込んでまわりに撒き散らかしました。
まだ、平和な日が続いていたんですけど・・・。
10例目が県の畜産試験場に入ったと訊いてびっくりしました。あんなセキュリティがしっかりしてるはずのとこでも・・・。
うちとこやら、へぬりい(手ぬるい)ねえ、500~600mも離れとらんところで出たとじゃが。初めて恐ろしさを感じました。
通勤通学のメインストリートですが、石灰撒いて・・・、照り返しでちかちか目が痛くなる。
通る人に「すみません。」と頭下げ下げ、石灰を撒いてまわったんですけれど。

一週間十日とたっていくうちに疲れてくるんですよ。
うちの主人は
「もうだめじゃがそりゃ、やめちょけ。」
わたしは、日頃無口でおとなしいんですけど、(会場爆笑)
「あんたこれまでどんだけ、豚に養のうてもらっているのに、
こん子たちは口蹄疫が来ても 自分を守れんとよ。
逃げ出すこともできんとよ。
自分たちが守ってやらんでどうするとね。」
と言いました。
主人も
「そ、そじゃね。」
と夫婦で初めて意見が一致しました。笑

また一週間、十日ってたつうちに
豚の水疱は壊れるときぶっちっと音がするげな、
とか噂が入ってくるんですよね。見たこともない病気ですから。
豚の顔をじーっと見ると、豚もじーっと見返す。
「よかったね、今日は無事じゃったね。」
明日はわからんね。
不安になりながら帰るんですね。
一晩寝て、朝、発症しちょらんじゃろうか、と思うと気が重くなるんです(豚舎にこわくて)行きたくないねー・・・。
豚はよう、けんかすっとです。隣の豚とけんかして血がでちょるのを、もしかしてこれが口蹄疫じゃねえどかい、って見てどきどきどきどき・・。
これは違うよね、違うよねって。

消毒を続けていったんですけれど。
・・・・・・・疲れがピークに達したその隙を見計らったかのようにして・・・・・・・
5月18日から・・・・・発症しました。


発症した豚はですね、乳房が水疱がめくれてとうがらしが14本並んじょるような感じ。子豚が吸い付いてるですよ。蹄も水疱ができて。
献体おくって、オリエンテーションが終わって、3日たっても4日たっても音沙汰がないんです。
日増しにどんどん広がる。分娩舎、雄豚、子豚舎・・・豚というガソリンタンクに火をつけたよう。
へら川と小丸川を越えさせたらいかん。まだかかってない農家さんに知らせんといかん、かかったところはすぐ処分するようになんとか知らせてもらわんと、思って 新聞に手紙を写真を添えて送ったのでした。


農水省の発表がHPにありますよね、私たちはそれをとりだしてコピーしてどこから感染が広がっちょっちゃろか、どこまできちょっちゃろかと
常に気にしながらいつもみてたんですが、
農水省は、わざとわからんように発表しちょるようにですね。(会場笑)
ぜんぜん、どこの農場かちっともわからんとですよ。
もう、ほんといらいらします。
それを助けてくれたのは仲間同士の情報交換でしたけれども。

ぽつぽつだった発生農家さんも一週間もたつと一日に5軒、10軒とやられて、山手の方から野焼きの火がじわじわじわと延焼してくるように迫ってくるのが手に取るようにわかる。そのうちに周辺農場はすべてやられて
中州に取り残されているように追い詰められたのですが。

家のだれもかもが
「もうだめじゃね、もうだめじゃ。」
とさかんに口にするようになりまして。
発症せんだけかもしれん、最後の最後まで努力をしようやね、一生懸命やってそれでも罹ったら、豚に許してもらおうやね、後悔せんごつ最後までやろうやね。
「今日は大丈夫やった、でも明日はわからんねー。」
といいつつ働く私たちをみて、
母が
「今日来るか明日来るかって、召集令状を待っちょるようじゃね。」

戦争を体験したからこそ言える、80年を生きてきたこの人も、大切な歴史遺産なんだな(笑)と思いました。


わたしところの殺処分は、担当の開業医を中心にしてチームを組んであたってくださった。日頃からとりあげたときの喜びとか分娩の喜びとか立ち会ってセンセイも知っていると思うんです。

死んだ子豚たちを親豚に
『病気になったばかりにね、大事な子を死なせてしまったね。来世でまた会えるまであずかっとくね。』
と言いながら拾い集めて保存していたんですが。
殺処分が終わって主人が写真を撮っておいてくれて、見たら望み通り親豚と並んで子豚も入れてあり とうもろこしが入れてありました。
その横にペットボトルの御茶が1箱入れてあったんです。
後日主人が
「目を開けたまま死ぬ子豚がおって、そのたびにセンセイが目を一頭一頭閉めてまわってくださったとよ。」

・・・・・・・・・今思い出しても胸がきゅうきゅうします・・・・・。

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黒木:
最初は、一時このまま10年前のように終わってくれるのかなと考えていたのですが
5月の連休明けに3例目が都農に入ってきてびっくりしました。
この間、森本さんがおっしゃったように・・・・情報がないんですね。
携帯でなんとか友達とやりとりしたけれど、いつもの3倍以上の電話代がかかりました。
・・・・・・・・・・・・(かなりの間)

鳥:どんな防疫を取り組まれていますか。

黒木:
毎日、朝晩の消毒、自分の目で目視観察を一頭一頭入ってる。 
うちの身内だったんですが 朝晩見てると
重機が来て穴を掘りよるところが見えるんですね。
うちは いつくるとかなって毎日毎日牛舎にいって、
朝「今日はみんなまだ 大丈夫じゃね~」
と牛に声をかけながら 餌をやっていました。

5月23日の三時頃、餌をあげて、一段落ついて、御茶を飲んでそれから、
牛舎をまわていたら出荷前の仕上げの牛が朝から餌を食べとらん。
あらおかしいねと体温を計ってみたら42℃の熱で
「こら、いかんわ。」
とすぐ農協に電話した。
自分で見たら、すぐわかった(口蹄疫だと)。
写真でしか知らんかったけど、目でみたらすぐわかって。
いままで連絡していた友人に電話しまくってすぐ検体を送った。

5月25日に殺処分の日だったです。

事前に保健所の人が来て

「うちにおらんほうがいいですよ。家族の方にもいっちょってくださいよ。」

と言ってきた。

朝、6時頃、一頭一頭餌をやって
「ありがとう、ごめんなさい。」
と言葉をかけて、別れましたね。・・・・・・・・・・・・(ずっと間)

-----(再開への)恐怖心はありますか。

帰ってきたて、石灰だらけで牛舎が真っ白で。
力が抜けてですね、呆然と言う言葉が適切かどうかわからんが・・・・
・・・・20年間一生懸命、増やしてきたんです。
養ってきて、なんになるっちゃろうか・・・・
鳴き声もせん。
なんじゃったっちゃろうかって言葉にも表せなかった。・・・・・・・・

(口蹄疫は)色がついちょればいいのに目に見えない敵なんで・・・。
いつ再発するかわからん。不安はいっぱいあります。
国も早く本当の原因を・・・本当の原因を・・究明していただきたい。
入ってくるのは・・・日本は島国なので水際でくいとめていただきたい。
国を挙げて、防疫をやってもらいたい。


----どのように再開対策を

黒木:
年明けからやろうかな、と考えている。
今度は自分の農場だけでなく地域が一斉に一帯となって消毒の日を設けてやる。県も消毒日を設定してもらって徹底したらいいと思います。

新しい宮崎牛をつくるために、もっともっと勉強して頑張っていきたいと
思っています。
全国の皆さんから、激励、ご支援いただき、本当にありがたく思います。

もっともっといい肉をつくって、
全国の皆さんに愛される「新生宮崎牛」をつくって頑張っていこうと考えています。

生まれた時からずっと、我が家には牛がおって。
・・・牛のいない年はいっぺんもなかったんで、人生の中でいっぺんくらいは、
牛のいないゆっくりした正月があってもいいもんか、と。(笑 会場も)

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-----5月20日から6月30日最後まで殺処分に志願した理由は?

小嶋:
私は、川南出身で、川南町を中心に牛で犬猫の小動物を担当していた。
都農の次に川南に2例目が出た。
獣医師はどういう役割を果たせばいいのか、悩みました。
獣医師会でも十分な検討がなされました。
(5月の)連休を過ぎて爆発的に広がった。
他のセンセイと話し合って5月20日、自主的に殺処分に出ましょうということになりました。
黒木さんのところも私が担当させていただきました。
農家の方がいらっしゃればそこで挨拶して、殺処分に入る。
日常、診察に携わる農家は、牛も特性が頭に入っていますから・・・
非常に精神的にきつかった。とりあげた牛は、すべて記憶はしているのですが、
特に・・・
殺処分一ヶ月前に難産で診療して、赤ちゃんを無事取り上げた牛に当たってしまった。

「私が 担当となりました。」

我々は比較的冷静に、淡々と殺していくというのを心がけました。
なるべく感情を表に出さないように努めていた。
取り上げた子牛が私の前につながれた時、他の方は知らないわけで、
私と農家の方しか知らないことで。

「あの時の難産でセンセイに取り上げてもらった牛です・・・。」

と言われる。

この牛は自分の手で殺さなきゃいないかんのかな、と。


しばらく考えまして。

獣医は何人もいたが・・と。結局自分が殺したのですが・・・。
まわりが処分していくので、自分だけがやめるわけにはいかない。
精神的な辛さ。考えていた以上に辛かったです。

自分の叔父が
「何の症状も出とらんけど、本当に殺さんといかんのか?」
と訊く。
私はしょうがない、としか言えなかったのです。
そろそろ殺処分を始めようかという時、まわりが
「おい、あれは、泣きよったぞ。」
と。
日頃、涙を見せるような人ではないし。男性ですから・・・。
生産者自身も相当なダメージを受けたのだということを実感しました。


草:現場の様子はどうだったのか?

少しテレビなどで見られたかと。防護服を2枚重ねて手袋2枚、マスク2枚、
場合によってはゴーグルをかけることもありました。
ガムテープで手首足首えり、開いているところを固定する。長靴とすそもガムテープで体が密封。
5月当初からとても暑くて手袋に汗が溜まっていく。
Tシャツ、パンツもびしょびしょ。
吸いきれなかった汗が長靴に溜まっていく。信じられない量。2~3㍑水分補給したがトイレに行かなくていいくらいだった。

薬剤は3~4本。何回も打っていると注射器のすべりが悪くなってくる。
多いときは一日に600~700本打ったかと。

結果的に疲労骨折を起こしていたのに気付かなかったです。


-----今の心境は?

全く仕事がなくなってしまった方、激減した方。近隣だから牛がいなくなったら、
私たちの仕事はほとんどなくなってしまった。
暇ですることがなくて、ぼーっとする時間がある。
そんな時、殺処分の光景がふっと浮かびます。
観察牛の風邪を看たりしていることがぽつぽつでてきたのですが・・・・。

注射をする瞬間に
「注射器に吸ったのは抗生物質だったよね・・。」

これは殺処分のとき使った薬じゃないよねと何度も確認しなければ打てない。
殺処分の薬剤じゃないよね・・・何回も何回も確認するんです。
注射を打つのが恐い。
この注射でこの牛が死んだりせんよね、と、その感覚が抜けない。
他のセンセイもためらうと言います。
自分の注射は薬なのか、非常にためらいを(打つとき)感じる。
何度も確認する。
精神的肉体的ダメージを受けたけれども精神的ダメージは今も本当に続いているのだな。
いつまで続くのかな、と思う。
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-----今後について。

森本:
今回の口蹄疫で豚と一緒にかかわってきた業者や人を丸ごと失ってしまいました。
廃業すると失ってしまったままになる。
でも再開するとなると年齢的にも体力的にもファイト一発どころか、
分厚い石灰を見ると萎える。
でも豚にも人にも未練があるのです。

業者の方々も被害に遭った。
「我々の痛みは農家さんより小さいよ。」
と励ましてくれる。
小学校の授業で食と農で勉強したそうです。
「いただきますありがとう」「いただきました ありがとう」
と給食の時言うようになった、と。
生産者の手を離れ消費者の口に入るまで実にたくさんの人がつながっていることを教えたい。
豚を飼いたくなったときは今までと違った気持ちでやります。
でも高齢者は時間がかかる。
おばさんはちょっと休みます。
でも見守っていますよ。
若者の皆さんに言います。
のさん(辛く)なったらビール抱えて相談にきてください。


黒木:
今まで通りやっていきたい。
1からではなく在る程度できあがったものを入れて早めに再開したい。
来年の今頃は、半数までに増やしたい。


小嶋:
1年~1年前から講師を招いて勉強会をしている。
1回目はたまたま消毒の話で、農家の人は昔から毎日されるのですが、
色だったらこれくらいの色に薄めてとか
この薬だったらこれくらい・・とかいう認識しかないということが判明しました。
消毒一つとっても奥が深い、と農家さんが言われたのが印象深かった。
経験は大事だが間違っていると何年たっても効果がない。農家の人にもそれが分かっていただけて。大きい意味合いがあった。
口蹄疫で中止。11月に再開。
なんでこうなったのかを私と農家さんと検証して炙り出して、今後の対策として生かしていきます。
観察牛が入っていますが、今後の対策が決められないまま、検証されないまま、牛が入ってきています。非常に恐いことです。
検証して問題を解決した上で始めましょうと話をしています。
ほとんどの人が年明けに始めたいと言われています。
衛生管理について獣医師はこれまで以上に、厳しく指導していく必要があるし、コミュニケーションをとった上での厳しさでもって対応すべきだと思う。
飼育形態について、生産性を求めると過密になるという問題がある。
自然と協調しながら健康な牛・豚を育てることで結果的にはよいものをつくることになる。
生産性があがるのではないかと思います。


----------たくさんの涙が流されました。
]

この涙を教訓にしないといけないとつくづく感じました。

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休息をはさんで第3部へつづく
コメントを入れたいのですが、ごちゃごちゃするので後日。