11月24日、国(山田前農相大臣のお声かがりのメンバーで構成されている)口蹄疫検証委員会の最終報告が出ました。
その前に、あれだけ赤松前々農相が見捨てて、山田前農相が暴言を吐いて、すったもんだしたあげく、以下の対応だったことを、地元「宮崎日日新聞」の記事をあげて報告させてください。なにか新しい動きがあれば・・・と思い、待っていましたが結局 なんにもなしでしたので、国が最後に示した内容をあげておきます。
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復興支援110億円規模
政府対策本部、特区指定認めず
(宮崎日日新聞電子版より2010年10月9日付)
本県の口蹄疫問題で政府は8日、口蹄疫対策本部を開き、110億円規模の事業を盛り込んだ支援策を決定した。県が国に要望していた39項目の復興対策のうち、口蹄疫復興対策基金への300億円規模の財政支援は実現しなかったが、代わりに補助事業や、別の1千億円規模の基金創設による運用益などで対応。また、感染が集中した西都・児湯地域で指定を要望していた復興特区は認められなかった。
事業の主なものは、特定疾病のない畜産地帯の構築、出荷遅延対策などに対する90億円の補助事業。財源には南九州各県が利用可能な基金(33億円)を農畜産業振興機構に設置し、これを取り崩すなどする。
県出資による財団も暫定的に設ける。財団には、県が新規に地方債を発行して調達する1千億円を無利子で貸し付け、運用益を事業費に充てる。この際、国は地方債の利息の3分の2を交付税措置する。運用益は5年間で20億円程度を見込んでおり、市町村が行う各種事業の支援や観光振興策などに使う予定だ。既に県が創設している30億円の口蹄疫復興対策基金とは別の運用となる。
県は要望していた300億円のうち200億円を県単独の公共事業費に考えていた。しかし、今回の支援策では実質ゼロ回答。そのため国は、県単独ではなく、国の社会資本整備総合交付金を活用して公共事業を進めることを提案している。
復興特区については、県は国直轄で西都・児湯地域を指定し、国庫補助事業の補助率のかさ上げや優先採択などに取り組むよう求めていた。しかし「制度の趣旨に合わない」などとされ、認められなかった。県総合政策課は「復興特区とは別に、農を核とした総合特区を提案しており、こちらの実現に努める」としている。
今回の支援策について東国原知事は「県の要望通りにはならなかったが、国にはさまざまな角度から対策を講じてもらった」と一定の評価。さらに「これ以上、時間を費やすよりもスピード感を持って復興対策を進めたいと考えている」とした。
政府の対策本部は今回で廃止。鹿野道彦農相は8日の閣議後の会見で「これからが大事であり、しっかりと対応していきたい」と述べた。
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県の家畜補償なし 政府方針、
家伝法趣旨で対応困難
(宮崎日日新聞電子版2010年10月9日付)
口蹄疫の感染疑いで殺処分された種雄牛50頭など県所有の家畜について、県側が要望していた手当金(補償金)が支払われないことが8日、分かった。県は8月に国に対して行った緊急要望に手当金支払いを盛り込んでいたが、同日示された政府方針では対応困難との回答だった。
感染疑いで殺処分した民間の家畜への手当金は、家畜伝染病予防法(家伝法)に基づき、評価額の5分の4を国が支払うほか、今回は県が一時立て替えの形で残り5分の1も支払う。ワクチン接種分については国負担で全額補償される。
国側は家伝法による手当金の趣旨について「損失補償でなく、患畜の届け出を所有者に促してまん延防止を円滑に実施する助成的、奨励的な性格を有するもの」と説明。まん延防止措置の責任者である県には交付できないとしている。
しかし、県側は「(冷凍精液)ストロー販売を含めると逸失利益は数億円規模」とされる種雄牛の価値や、血統造成に長年公金を投入した経緯、県民の共有財産であることを踏まえ、引き下がれない構え。同畜産課の児玉州男課長は「再度、機会をとらえながら要請をしていきたい」と交渉を継続する。
県所有の種雄牛は次代を担うための待機牛を含め、口蹄疫の発生前には55頭いたが、現在は特例で避難させた5頭のみ。ほかに県立農業大学校、高鍋農業高(いずれも高鍋町)で飼育していた実習用の牛、豚など約550頭も感染疑いで処分されているが、国は同様に手当金は支払わない方針。
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もうひとつ、記事を。
同日、宮崎日日新聞に載っていたものです。
これでも、地元の苦しみ哀しみ、辛さは中央には届かないのでしょうね?
(25日の検証委員会の内容がどのようなものであったか、うっかりの激昂ぶりから察せれることでしょう。)
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シリーズ口蹄疫 ~ 心一つに地域再生
【第1部 若い力で―再建挑む畜産農家】(4)
「牛と一生生活」誓う 酪農・本部博久さん(33)(新富)
新富町新田の酪農業本部博久さん(33)の牛舎に白い防護服に身を固めた大人がやってきた。
「病気が治りますように」
と願いを込め、千羽鶴を折っていた長女琴海ちゃん(5)は自宅から飛び出し、「まだ全部作ってない」
と叫びながら家畜防疫員の前に立ちはだかった。
本部さんは泣きじゃくる娘をたしなめたが
「殺処分は子どもに見せたくない」
と思い、妻芳恵さん(38)の実家に預けた。
6月17日。牛122頭はすべていなくなった。
「前夜に生まれた子牛もいた。24時間も生きられなかった」
埋却処分では、所有する農地50アールを周辺農家のために提供、現場に足を運んだ。
倒れている牛をショベルカーで持ち上げ、穴に横たわらせる。
500頭以上が地中に埋まった。
作業は何度やったか分からない。
すべてが終わった後、バケットの先端は摩耗で鋭くとがっていた。
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父親の昇さん(60)が営む酪農業に興味を持ったのは小学5年生のころ。
自宅に配備された大型のトラクターや搾乳機を見て心が躍った。
「大きい機械が好きだったのがきっかけだった」という。
高校卒業後、高鍋町の県立農業大学校に進学。人工授精師の資格も取った。
酪農を始めて10年すぎ、今年の6月には80頭が入る牛舎が新しくできる予定だった。
しかし、口蹄疫が確認されたという情報を仲間から聞き、目の前が真っ暗になった。
4月28日、えびの市に感染が広がったとき「もうどこで感染するか分からない」と感じ、牛舎の建築を止めた。
通学路にまで感染は広がり、長男大樹君(7)や琴海ちゃんの登下校にも支障が出始めた。
「娘から『何で幼稚園に行けないの』と聞かれたときには何も言えなかった」
と吐露した。
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すべてを失った今でも、牛との生活を「一生続ける」と誓う。
本部さんにとって酪農は「生と死に携わる仕事」。
肥育や繁殖農家と違い、成育途中で乳牛を出荷することはなく、「突然の別れ」に直面することは少ない。
だからこそ、ワクチン接種による全頭処分はつらい決断だった。
終息宣言後、本部さんは畜舎の建設を再開。
11月上旬には完成し、北海道などに預託していた22頭が戻ってからが経営再開となる。
農場の前には消毒槽や消毒ポイントを新たに作るほか、餌の「自給自足」を目指す。
「畜産農家は、人が口に入れる物を扱っているという自覚が必要」。
もう一度原点に立ち返り、出産から最期の瞬間まで寄り添っていくつもりだ。
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11月24日 国の口蹄疫検証委員会報告は次の記事にあげます。