『軽度認知症患者さんはどこへ』へのコメント | みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

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妻の起こした介護情報提供サービスをサポートしながら『介護はXデーが来る前に準備をしておかなければ経済的にも精神的にも大きな損をする』という持論を私は持ちました。それをいかに社会に伝えるかを模索し、その実現するための学びや行動を記していこうと思います。

前回のテーマにした朝日新聞の健康サイトに『軽度認知症患者さんはどこへ』の記事にコメントをしてみました。掲載されるかわかりませんし、せっかく書いたので併載したいと思います。
コメントの元になるものは上記記事をごらんいただければと思います。

以下コメント

あぽろさん はじめまして。

家内が義母の介護のために郷里倉敷に帰郷し、利用者の目線から介護情報を提供する会社を起業したのをサポートするために私は半年前に東京から倉敷にやってきました。

それまではIT系の仕事をしていたので倉敷だけでなく介護も初心者で日々勉強の毎日です。そうした中介護家族の方と話をすることも少しずつ増えてきました。

そうした中、感じられるのが倉敷よりもやや田舎の方にあぽろさんがお書きになっている
「人が老いる事をみっともない」と捉える方が多いことです。
「とにかく、隠したい。親を隠したい」そう思うご家族は近隣に入所できる施設があったとしても遠くの長期療養病床を選んだりする場合もあります。
ということです。

ただ、面白いことには倉敷あたり、それも比較的若い介護者になるとやや様子が変わります。家内もそうでしたが自身の親が認知症であることを近所に表明し、回覧板などが滞るので親に渡さないように依頼したり、場合によってはサポートをお願いしたりしています。

また、ネットでは当たり前のことながら比較的内情をオープンになさる方が多く、素直に助けを求める方には、これまた容易に助けのメッセージや情報が提供されているようです。現に先日トイレの土台などが腐って30万円弱の見積もりを提示され困っていた方がいてネットでそれを書いていました。そこで介護保険でトイレリフォームをすることで合わせて修繕してもらっては、とアドバイスしたところ、見積もりの10分の1の出費で抑えられたという話もあります。

私はこれまで田舎では比較的閉鎖的な状況が、ある程度ネットワークなどが定着した都市部、かつ若い世代は内情をオープンにする傾向の二分化されていると思っていました。

しかし、あぽろさんの書き込みで、もともとは家の鍵もかけないで済むような、何か無ければ隣から気軽に借りてこれる。その代わりどの家にボケてしまったお年寄りがいるというような家の内情がオープンだった時代があった。その後家単位に垣根ができて閉鎖的になり、その流れで認知症なども恥ずかしいこととして隠すようになった段階に変化。そして家単位ではどうにも解決できない問題を外部に助けを求めるように変化する3ステップがあること。そしてネットの普及がそれを後押ししているという構図であるのかなと考えています。


笠間 睦 先生

はじめまして。いつも楽しく、そして時々深刻にありながら記事を拝読しています。

老いた親を人に見せたくない家族が増えているという内容、アポロさんへの応答にも書いたように今住んでいる岡山では田舎ほど、そして家族の年齢が高いほどそうした傾向があるようです。

一方で、我々のようにネットで日ごろからその日の出来事や内情をブログなどで公表している人間にとっては、困ったことはネットから情報収集したり、他人の意見をもらって参考にしていることが当たり前です。そのためか比較的オープンに内情を示して、助けがほしいときにはその旨書いたり、悩みを書いてアドバイスをしてもらったり、怒りを書いてストレスのはけ口にしたりしています。

昔はアポロさんの書き込みにもあるように近所のコミュニティに助けを求めたり愚痴を聞いてもらっていたのが、今は遠くのネット友達がそうした役割を担っているのかもしれません。詳細に内情を記しても相手が比較的遠くにいたり見ず知らずの人だから安心できるのかもしれません。それは入所施設をあえて遠くにするという感情に似ているのかもしれませんが、ネットで内情を記した経験がリアルのご近所に内情を説明するトリガーになるのかもしれないと思っています。

いずれにせよ、これからの日本は個人がすべて責任を持つには国力が足りないと思います。余力のある人が助けを求めている人にボランティア活動などを通じて手を差し伸べて財政の逼迫している行政を後ろ支えしなければどうにもならなくなると思います。
そういう状況下ではまずはネットからでもスタートして、そしてリアルの手助けがほしいときには勇気を出して近所に『Help』を言えることが必要になると思います。

一方助けを求められた相手が助けてあげようという気になるには理由が必要です。その理由として家族の認知症や経済的逼迫などを相手の心を動かすことが不可欠でしょう。そしてそれは勇気を持って表明した内情こそが相手を動かす原動力になるのではないかと考えています。


また一つ考えをまとめることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。

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