2月6日の日経新聞文化欄の「私のトイレの神様 」という文章から | みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

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妻の起こした介護情報提供サービスをサポートしながら『介護はXデーが来る前に準備をしておかなければ経済的にも精神的にも大きな損をする』という持論を私は持ちました。それをいかに社会に伝えるかを模索し、その実現するための学びや行動を記していこうと思います。

見たこと、教わったこと

2月6日朝の文化欄に「私のトイレの神様 」という記事が掲載されています。

詩人の和合亮一さんのものです。
それによると著者は中学二年から三年間家庭の事情で祖母と二人暮らしをした様子を記しています。

夕食の際に話が途切れると祖母が怖い話をしたこと。それが妙に後からきいてきて夜のトイレが怖かった思い出。「夜に何が食べたいか」と聞かれ、祖母が知らないであろうミートソースをリクエストしたら、どうやって知ったのか、それはおいしいミートソースが出てきた話などで満ちていました。

年が経過して施設に入った時の昔の思い出を鮮明に覚えていたことの驚き、そして別れ際に握手するのが習慣化していたそうですが、その行為によって、なかなか会いにいけない後ろめたさがすっと手の奥に吸い込まれていったそうです。

あるとき「次は晩御飯を一緒に食べよう」という誘いを受けたそうですが、やはり都合でなかなか実現出来なかった。けれども、それでも「食べよう」と誘ってくれたとつづっています。

それが、筆者が親になった今、共の瞬きで口を開け、同じものを噛み味わって、食事を超えた何かがあることがわかったことにより理解できたといいます。

最後を看取ることが出来ずただの拳骨と握手した筆者は、手の奥に感じるものがあったと文を結んでいます。


新たに知ったこと、考えたこと

私は両方の祖母とは一緒に暮らしたことが無いのでこうした経験をしたことがありません。
ある意味で筆者を羨ましく感じます。こうした思い出もまた素敵だなと。

核家族化により高齢者の扱いがわかりにくくなっている昨今です。しかし皮肉にも高齢者比率は高まり街には高齢者が多く見られるようになっています。

そうした時若いヒトは高齢者をどのように扱えばよいのかわからず困ることも多くなってくるのではないでしょうか。

先日真庭の認知症セミナーで多くの高校生がボランティアでサポートしていました。そうした彼等の家にも多くは高齢者がいたのではないかと推測しています。けれど高齢者がいない生徒もいたでしょう。そうした時はきっと高齢者の扱いの経験がある生徒が無い生徒に教えるなどしたのではないかと思っています。

今後は田舎の学校の生徒と都市部の生徒を交流させる機会を増やして、経験を伝えるイベントなども行って高齢者への接し方を田舎から都市部に発信するケースが必要になってくるなと思います。これまでは流行は都市部から田舎へという流れでした。それが今度は逆の流れが必要になってきていると記事を読みながら思いました。

また一つ新たな思いを感じることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。

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