病院の夜間 なぜ母は長期入院を嫌がったのか | みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

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妻の起こした介護情報提供サービスをサポートしながら『介護はXデーが来る前に準備をしておかなければ経済的にも精神的にも大きな損をする』という持論を私は持ちました。それをいかに社会に伝えるかを模索し、その実現するための学びや行動を記していこうと思います。

見たこと、教わったこと

一昨年の秋に実母が大腿骨の付け根を骨折して入院を3ヶ月弱しました。その時にしばしば母に訴えられたのが「入院していると、気が変になりそうだから、さっさと退院したい」というものでした。

とはいえ、母は高齢者の一人暮らしをしていますし、足が不自由なので家事がそうそう出来ないことを考えるとそうもいかず、なだめすかして入院を我慢してしてもらっていました。

でも、三食昼寝つきの入院がなんでそんなにいやなんだろう?と聞きますと、こんな答えが返ってきました

夜間にうろうろうろつく人がいたり、独り言を延々としたり、大声をあげる人がいるので気が休まらない。私も気が変になりそうだから」と言います。

そのときは大げさだな、と思いましたが先日ある事業所の人と話をすることでそうではない、母親の言っていたことは正しかったんだということを知りました。

その事業所の方は、こんな話をしてくれました。

「うちの事業所がある同じ市内の某クリニックは、社会的入院、つまり治療目的で病院に留まるのではなく、治療が必要なのではなく家族から依頼されるなどの理由で長期入院を続ける状態を受容している。それも認知症などの精神疾患の患者が多いのでどうしても目的のない歩き回り(徘徊という言葉は出来る限り使いたくないのです)、「家に帰りたい」と叫んだり荷物をまとめたりするなど色々な行動をする夕暮れ症候群、自分を認めてもらいたかったり不満を表明するための絶叫や暴力などさまざまな患者がいる。そこに一緒にさせられる怪我や病気の本当の患者はそうした状況下で精神的に参ってしまっている」とのことでした。

確かに母の入院していた病棟も高齢者が殆どで、認知症なのかなと思われる人も見受けられました。ただ、見舞いに行く時間は昼間が殆どで、そんなに長時間に及ぶことがなかったので明確なBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:問題行動)を目にすることが少なかったので夜間の病棟がそうした状態になることまでは想像できなかったのです。

幸いに母も退院でき、リハビリをしながら元気にしていますが、入院が長引いたなら、精神的疾患にもなりかねなかったかなと今は思っています。


新たに知ったこと、考えたこと

家族の会などで、親戚や近所の人が家族に「この人(被介護者)は認知症なんかではない」と責められると訴える場面をよくみます。しかし母の入院時の訴えに関しては私が正にそうした認知症をよく知らない親戚や近所の人と同じことをしてしまっていたんだな、と改めて認識しました。

また、病院としては人道的な配慮からなのか、または経営的な背景から社会的入院を受容しているかはわかりません。しかしよく言われるように、それにより本当に入院を必要とする怪我や病気の患者のためのベッドが奪われていることも事実です。

医療行為は基本的に病気や怪我を治癒することを目的にした行為、一方介護はその人らしい時間のすごし方をサポートする役割が与えられています。それならば、それぞれに適した役割分担を明確にし、互いが持つ資源を有効に活用するようにしていかなければ、限りある財源・資源を無駄に使ってしまうことになってしまいます。そうした点を関係者は十分に考えた上での対処が望まれると思います。



また一つ新たな情報を得て、思いをまとめることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。


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