随分長い間更新を怠っていましたが、稽古は毎週続けていました。

 

今日は何について書こうかと考えていましたら丁度一年前に(続)型の話 と言うのを書いていましたので、その後の型に対する考え方の進展と言ったものについて書いてみたいと思います。

 

この一年の間も江上流空手を学ばれているIさんや元新体道指導員のSさん、空気投げ研究家の田島君と様々研究を重ねて来ました。

最近であると田島君と柔道五の型の研究を行い一定の成果を出した自負があります。

 

この五の型に関して言うとネット上を散見するに「この型は何の為に行うか、何を学ぶか、学べるか」と言う明確な答えはないようでしたので、そこを明確に示し得るだけの内容の研究を進めています。

 

その時に一番大事なのは受けがどの様に受けを取るかとなりますが、受けがあまりに頑迷な受け方をしても腑抜けた受け方をしても何も学ぶ術がなくなるからです。

一方、そうした限定的な条件の上で型の手順・動作は極力変えることは本来型が示そうとしていた理論から外れる可能性があります。

 

仮に頑迷な受けを崩せたとしても本来の理論から外れるとしたら何の意味もありませんが、五つ型の様に型の術理が明確に実技と記述で表されることの無くなった型は諸々の記述から術理の方向性を想定することとなるので何処まで行っても、残された手順や記述を元とした私論となります。

空手の型も似たところがありますが、動作手順を単純な突き蹴りと捉えるのとそうでないのではかなり解釈に違いが出て来ます。

 

一例を挙げると、例えば鉄騎の鍵突き動作ですが、あの動作を突きであると捉え、その威力なりを腰の回転や僅かな姿勢の変化による体重を乗せた腕の振りとした場合、正面に受けを立たせ同じ動作で受けを横方向に払い退けることは全くと言って良いほど出来ません。

しかし、安定した騎馬太刀維持し、手順通りに鍵”突き”と言われている形に腕を振るならば受けを簡単に払い退けることが可能です。

 

他にも十手で両腕を揚げて反転する動作や燕飛で上段突きから後方への下段払いのような動作なども、これを打撃攻防の一場面と考えるのと、崩しや投げの一場面と考え手解きを構築するのでは学ぶ内容が丸っ切りことなってしまいます。

個人的には後者の解釈の方が型の手順そのままで手解きが成り立つ為そうした稽古を続けています。