荻田清のブログ

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「播州皿屋敷」か「番町皿屋敷」か


 今では「番町皿屋敷」の方が有名になってしまったようです。しかし、上方芸能史の立場から言えば、やはり「播州」にこだわってほしいところです。


 歌舞伎では享保五年(1720)六月に京都で「播州評判 錦皿九枚館」(にしきさらくまいやかた)が上演され、同じ頃大阪でも皿屋敷物が演じられました。


 浄瑠璃には「播州皿屋敷」という、そのものずばりの名の作品があります。丸本も残っており詳しく内容がわかります。寛保元年(1741)七月、大阪・豊竹座。為永太郎兵衛と浅田一鳥の合作です。


時代は足利義政の頃。山名宗全は細川家乗っ取りを画策している。細川勝元が亡くなって跡を継ぐべき巴之介は、宗全の娘を娶っているが、傾城玉の井に溺れ子までなしている。お家の重宝唐絵の皿が紛失しており、巴之介は正式に跡目相続できない。播州の国家老・青山鉄山は忠臣を装いながら、山名に通じている。巴之介を姫路のわが下屋敷に匿って、細川の家臣・舟瀬三平がようやく手に入れた唐絵の皿を狙う。が、実は巴之介を暗殺し、皿も横領しようと企んでいる。三平の妻お菊はこの奸計を聞いてしまう。そのため、鉄山に皿を一枚隠され責め殺され、井戸に捨てられる。お菊の幽霊は井戸から現れ、鉄山を苦しめる。三平は巴之介を救出し、皿を奪い返す。


 細川家のお家騒動の枠組みの中に、皿とお菊の幽霊が出てくるというものです。その後、鉄山の立て籠もる館は三平らに攻められ、鉄山は切腹しますが、死ぬ前に鉄山は述懐します。「お菊が怨念付きまとはって。江戸の番町と言ふ所に居住すれば。夜な/\皿を数ふる声喧く」、皿屋敷と言いふらされ、紀伊の国の身寄りを頼っていくと、そこにもお菊の幽霊が来る、どこへ逃げてもお菊の幽霊は付いてくるので、しかたなく播州に舞い戻ったのだと言います。ここに「江戸の番町」の名も出てきます。


  たしかに江戸の講釈から、明治の講談速記本も「番町皿屋敷」です。大正五年(1916)に岡本綺堂の「番町皿屋敷」も上演されました。全国的には番町皿屋敷が知られているでしょう。それでも、上方では落語の「皿屋敷」があるように、播州姫路にこだわりたいと思います。