『錦城斎典山』と『十一世仁左衛門』



 かねがね読みたかった『錦城斎典山』を、東京の古書店から購入することができた。典山という人は元治元年(1864)生まれで、明治・大正・昭和初期に活躍した東京の講談師。はじめ三代目貞山の弟子、のちに四代目貞山の弟子となり、貞花・貞丈を経て五代目貞山を継ぎ、明治40年に(1907)三代目典山となった人である。系図をたどれば現在活躍中の貞水・貞山などもこの人につながってくる。軍記・御家騒動の硬いものから軟らかい世話物まで広くこなした。名人と謳われながら、昭和10年(1935)に没した。と説明すると、東京講談の歴史に大きな足跡を残した人で、わたしの研究にはやや遠い存在になる。が、実はこの人、十三代目片岡仁左衛門の岳父なのである。仁左衛門(当時我當)は典山の次女と結婚し、現在の我當、秀太郎、仁左衛門をもうけた。



 典山の子供は、長女貞子が二代目花柳壽輔夫人、長男は早世、次女喜代子は仁左衛門夫人、次男次郎が花柳錦之輔。錦之輔はのちの花柳壽楽、創作舞踊にも功績をあげて人間国宝にも認定された人。この錦之輔が亡父十七回忌追善会を新橋演舞場で催し、その機に編纂された偲ぶ草が『錦城斎典山』であった。奥付には昭和25年5月20日発行とある。106頁の私家版(青山家版)だが、内容は非常に濃いように思う。


 まず、座談会「典山の芸を語る」。出席者は久荻田清のブログ-『錦城斎典山』と『十一世仁左衛門』 保田万太郎・小島政二郎・喜多村緑郎・花柳章太郎・安藤鶴夫・花柳錦之輔。さらに座談会「典山の人を語る」。出席者は安藤鶴夫・邑井貞吉・一龍斎貞山(七代目、昭和41年没)・一龍斎貞丈(五代目、昭和43年没)・岡本藤平・花柳錦之輔。


 次いで大倉聽松(喜七郎)の「典山師十七回忌に際し」、河竹繁俊の「典山師のこと」、寺島千代の「菊五郎と典山」、小島政二郎の「釈場通い」、一龍斎貞丈の「大師匠典山」と続き、貞丈の解説による典山の「高座見たまゝ聴いたまゝ 天保六花撰」が一席。そのあと、花柳壽輔の「岳父典山のこと」、片岡我當の「義父典山を憶うて」、花柳錦之輔のあとがき、三代目錦城斎典山略譜がついている。装丁は洋画家木村荘八。巻頭に典山の高座写真が一葉大きく載る。小さい本ながら心遣いが行き届いていると感じた。


と同時に、私は『十一世仁左衛門』の本を思い出した。十三代目仁左衛門が亡父十一代目の十七回忌を前にして「急に思ひ立つた」という。十三代目自身の「父を語る」(演劇研究家高谷伸筆録)が中心ではあるが、各界著名人の文章や座談会を加え、思い出の舞台写真などもある。高谷伸の「片岡家系譜に就いて」「片岡家系譜」もあって、228頁の堂々たる本となっており、和敬書店から一般にも売られたため、この本はよく知られている。奥付は昭和二十五年八月二十五日、片岡千代之助(本名)の序文の日付は昭和二十五年九月。『錦城斎典山』にわずかに遅れており、二つを見比べると非常に似ていることがわかる。