2006北海道マラソン~八甲田山暑中行軍?その4 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 8月26日から昨日まで、ちょっと遅い夏休み、9連休だった。しかしこのうち、26日から28日までと、8月31日から9月1日までは札幌にいた。9日のうち、5日である。自宅にいた日も、北海道マラソンのダメージやら飲み過ぎによる二日酔いやらで、寝ていることも多かった。なんだかゆっくり休んだような気がしなかったのだが、今日の出勤の億劫さは、間違いなく休みボケであることを物語っていた。


 休み前に熱心にやっていたのはツール・ド・北海道のPR活動。この1週間で、すっかり頭から抜けてしまって、再度思い出すのも大変だった(笑)。しかしこれから来週まではツール・ド・北海道に追い立てられそうだ。


 今日も18時からラジオの収録。今週の金曜日、9月8日の20時から放送される旭川は5条通りで働く広告マンの食ラジオにゲストとして出演してきた。しかし、昨日まで休んでいたから事前の打ち合わせもなく、ぶっつけだったから、番組の流れも読めずドキドキしながらの収録だった。それでも、パーソナリティも友人だったこともあってリラックスでき、まあなんとかなったかな。


エビ氏と
(暑苦しい写真でスミマセン)


 旭川市内の方はぜひお聞き下さい。FMリベール(83.7MHz)で9月8日、20時~20時30分に放送されます。


 明後日は旭川ケーブルテレビの「come come come on!」というイベント等を市民の方が直接PRする枠の収録に臨む。他にも7日はAirてっし、8日はFMリベールの収録(どちらも私は出演しません)があるので立ち会ったりする。8日の昼はFMリベールの生放送にちょびっと顔を出す。今週も大忙しとなりそうだ。


 さて、北海道マラソンの歓走記(というより、今年は堂々と敢走記と言えるかな?)。今年はまず暑さ対策編から手をつけたが、そろそろ実走編に入ることとしよう。


*************************************************


 4回目の北海道マラソン。おそらく、今年が最も暑かった。だが私の体感的には、2003年と同じくらいと思えた。


 例年、競技場前に広がる芝生に集まる私たち。今年もそこを集合場所と決めていた。しかしこの暑さ。さすがに炎天下で2時間も待つのはまずいと判断し、それぞれ日陰に逃げた。私はチーム59のメンバーが集まっていた木陰に移る。ここではファイテンショップのスタッフがケアをしにきてくれるという情報があったので、ふくらはぎのケアをしてもらおうと思っていたのだ。


 無事にケアをしてもらい、これでふくらはぎの状態は完璧。シューズは直前にアスリートクラブで1時間30分もかけて調整してもらい、ふくらはぎ自体もこうしてケアしてもらい、もう何の不安もない。そう思って走ることにした(実際、最後までふくらはぎは問題なかった)。


 スタート前に公園内をウロウロしていると(体力温存のため、ジョグはしなかった)、H先生と会った。そのときに、最初の5km関門は1分延びて30分になっているから、オーバーペースに気をつけていった方がいいよ、とアドバイスをいただいた。


 5km関門は昨年までが29分。しかし昨年はスタート直後の混雑が例年以上にひどく、とても29分で閉鎖できるような状況ではなかったらしい。そのため、結局5km関門は閉鎖しなかったと聞く。でも、10kmの関門が緩くなるわけではないから、多くの人が10kmで引っかかってしまったようだ。


 私は昨年の5km通過タイムが28分26秒。ドキドキしながら5km関門を迎えた記憶がある。これが1分延びるということは、アクシデントがない限り5kmの関門タイムは気にしなくてよさそうだ。しかし10km関門の時間は変わらないので、遅くとも昨年並みのタイムでは入りたいと思っていた。


 競技場内は風が強いから、スタート位置を示すプラカードは立てずに寝せておくという。そんなの立てておかないとどこに並べばいいかわからないだろうというブツブツ言う声も聞こえてくる。実際その通り。特に走路に誘導されるとき、プラカードの先導がないとスムーズには動けない。そんな煽られるほどの強風ではなかったし、少し前のブロックまではプラカードを持って立っていたのだから、この仕切りは正直言って訳のわからない仕切りだった。


 てなことはどうでもいい話だが、なにしろ体力を温存するためにじっと立っている(ちょうど私が並んでいるところはコーナーのところ。そのため人口の密集度合いは半端ではなく、地べたに座ることもできなかった)だけなので、ほかに考えることもない。だからそんなしょーもないことを考えていた。


 走路に誘導され、スタートの12時10分を待つ。ぼーっとしながら何気なく前を見ていると、事前にチェックした記憶がある数字が見える。この番号・・・そしてこの後ろ姿・・・。


 「夜久さん」


 そう、ライターの夜久弘さんだった。荒川ではお会いできなかったが、利尻、サロマに次いで、夜久さんとお会いするのは今年3度目だ。そういえば、夜久さんと初めてお会いしたのは2年前の北海道マラソンだった。スタート前にランマツ1号さんに紹介していただき、その後夜久さんはランマツ3号に、私はランマツ6号になった。互いに、ランマツナンバーズなのである。


 しっかりと、夜久さんと握手を交わす。夜久さんは2年前の40km地点に置いてきた忘れ物を、そして私は昨年の29.5km地点に置いてきた忘れ物を、ともに拾ってくる旅が始まろうとしていた。


 やがて号砲が一閃し、人波はゆっくりと動き出した。


 しかしこの段階で、あれほどまでに悲惨な暑中行軍となることを予測していた者は多くなかったことだろう。(つづく)


*************************************************


 仙台行きの航空券を押さえた日、宿も探してみた。とりあえず仙台駅周辺で、安いツインの部屋があるホテルを2つほど見つけていた。


 ところが今日見ると、・・・ない!満室になっちまってる・・・。クチコミ情報を見て、予約をためらっていたのがまずかったか・・・。


 残った手頃な料金のホテルは、大部分が、セミダブル・・・。ダブルじゃないんだよ。セミダブルだよ。謳い文句も震っていて、「2人で仲良く」だとか、「密着度大」とか・・・。そりゃ密着度は大きいだろうけど・・・。


 で、ようやく探し当てたのがビジネス旅館 オタマヤ


 和室だったら布団2組だろうから、セミダブルよりはいいだろう。ちょうど仙台城趾にも近いようで、少ない時間で観光するにもよさそうだ。


 着々と、準備は進みつつある。