2006北海道マラソン~八甲田山暑中行軍?その7 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 北海道マラソンのダメージは予想以上に深い。32.5kmしか走っていないのに、レース後のダメージはものすごく大きかった。


 昨年サロマを完走した直後、ダメージは思ったほど大きくないと思っていた。しかしそれは大きな勘違い。ダメージはフルマラソンの後と比べてとてつもなく深かった。そのため、レース直後はなかなか現れてこない。そしてその1つ1つのダメージは、見た目小さそうなのだけれども、なかなか治まってくれなかった。


 サロマの時の左膝の痛みは本当にそうだった。無理して走れないこともない。湿布しておけばそのうち治る、と思っていたのだが、1ヶ月経ってもまったく治まらなかった。そのため病院へ行くのも遅れ、復活に時間がかかってしまった。


 今年、北海道マラソンの30km手前で痛み出した左膝は、このときと同じ症状だった。


 その後、走っていないときはなんでもなかった。しかし一昨日、昨日と走ると、同じ箇所に痛みが出た。そしてその痛みは、歩いていてもしっかりと感じられる。


 ・・・・・・・・・。


 北海道マラソンは、絶対に完走しなければならないレースと位置づけた(なのに完走できなかった)。DNFになるくらいなら、DNSを選ぶと言っていた(でも選ばなかった)。


 ウルチャレは逆に、私の中ではなんとしても出場しなければならないレース。2年前はエントリーしたけど北海道マラソンのダメージ(燃え尽き?)のためDNS。昨年は前年のことが頭にあったためエントリーしなかったら、北海道マラソンは途中リタイアだったために元気いっぱい。そこで今年こそは何が何でも走ろうと、エントリーしたレースなのだ。


 だが・・・大丈夫かな?


 幸い、この後のレース予定は何も決まっていない。旭川マラソンも出られなくなったので、北海道ロードレースとフルマラソン挑戦会くらい出ようと思っているけど、場合によってはここで故障したらシーズンオフに突入してしまえばいい。まあとにかく走ってみることにしよう。


*************************************************


 昨年は、ペースが落ち始めて閉鎖48秒前にやっとの思いで通過した25km関門。すでにこの関門を通過するとき、30km関門には到達できないことを予測していた。しかし今年は気合い十分で通過した。・・・気合いが入りすぎていたかもしれない。30キロまではウォーミングアップ。それをついつい忘れてしまい、20kmあたりから気合いを入れすぎたのかもしれない。


 25kmから先は、苦しかった思いしか残っていない。昨年は25km関門を通過した時点で気持ちが切れ、脚が止まった。キロ6分を超えるラップを刻むようになり、競技役員に止められるのを待ちながらの走りだった。しかし今年は違う。しっかりとゴールを見据えての走りである。


 昨年は25kmから26kmのラップが6分を超えた。その数字を見た時点で、私は完全に諦めていた。しかし今年は5分36秒。まだまだ大丈夫。そう思いながら走っていた。


 しかし、後で判明したことだが、20km以降、私は何人かの仲間を交わしていたようだ。ところが本人はまったく気づいていなかった。それだけ集中して走っていた、といえば聞こえがいい。しかし集中した走りというのは、私の本来の姿ではない。沿道の声援に応え、出会った仲間と言葉を交わし、あちこちに気持ちを分散させながら走るのが私の本来のスタイル。ところが自分のスタイルを失っていたというあたり、知らず知らずのうちに疲労が蓄積していたのかもしれない。


 27km表示までのラップは7分近くかかった。いくらなんでもこれはおかしい。そんなにペースダウンはしていない。これはおそらく表示の位置が間違っている。案の定、28km表示までの時間は短く、この2kmは11分01秒と、相変わらずペースはいい。


 ちょうどこのあたり、稲積橋の上り下りがある。そして第2折り返しを回り、再び稲積橋を上り下りする。一昨年までのコースでもこの上り下りはあったのだが、そのときは22~3km付近だった。まだまだ余力があるときだったせいか、私はさほど苦にならなかった。だがこれがそれより5kmあとにやってくると、きつさが全然違う。


 この上り下りで左膝に痛みを感じ始めた。


 いつもは右膝のトラブルが多い私。しかし昨年のサロマの後、左膝の上の部分の痛みに悩まされた。その痛みはなかなか取れず、北海道マラソンに向けた調整が十分にできなかった。その同じカ所が痛み出した。


 私の場合、気持ちの弱さが痛みに化けることがある。しかしまだまだ私は強い気持ちを持っていた。この程度の痛みは大丈夫。なんの影響もない。私は第2折り返しを回った。


 29kmまでの1kmは5分50秒。落ちている。これはいったい・・・。膝痛のせい?まあいい。30km関門は通過できる。そこからの10kmを死んだ気で走ればいい。あの24時間走のときは最後の1時間を切ってから10kmを走っている。その再現をできれば、完走できる。


 昨年止められた稲積橋の上。そこに差しかかる手前で、R子さんを抜いた。


 「置いていかないで~」


 昨年、ともに稲積橋の上で無念のリタイアとなったR子さん。置いていきたくはないけれど、これ以上ペースを落とすわけにはいかない。私は必死で稲積橋を上った。


 昨年リタイアした地点を通過する。ようやくここからが今年のレースの始まり。しかし、さすがに疲れを感じ始めている。


 ニコ3マークを持ったまゆちゃんが応援してくれていたのも稲積橋の上だったろうか。橋を下りるとwinさんと遭遇。初フルながら3時間30分を悠々切ってくると思っていたwinさんに会うとは思っていなかったので驚いた。どうやら足がつって苦しんでいたようだ。また晴れさんとも遭遇。このあたり、みんな苦しみながらも頑張って、目の前の30km関門を目指していた。


 30km通過は2時間46分55秒。1分05秒前の通過だった。25km関門から貯金を少し吐き出している。この間の1kmも5分57秒。ここからギアチェンジして後10kmはペースアップだ。


 しかし・・・しかし・・・おかしい。脚がまったく動かない。これには焦った。どうしたんだろう。あとたったの10km。一気に駆け抜けられる距離だ。


 だが・・・脚は動かない。そればかりか、左膝の痛みも増してくる。


 そんな馬鹿な・・・そんな馬鹿な・・・。今年は完走できるはず。絶対に完走できると思ったからこそ出走したのに・・・。トトさんの思い、ベリーさんの思い、そしてTさんの思い・・・その思いをゴールに届けるために走っているというのに・・・。1時間半もかけてシューズを調整してくれたアスリートクラブのTさん。その恩に報いるためにも、私は完走しなければならない。


 私は歩道に上がった。レースを諦めるためではない。奇跡を起こすためにだ。


 みんなの思いを今一度噛みしめる。そして屈伸をする。もう、膝もあまり曲がらない。それでもゆっくりと曲げ、そして伸ばす。まだ諦めない。諦めてたまるものか!


 すぐにコースに復帰する。ここからペースをあげていこう。


 だが、すぐにまた左膝が痛み出す。


 「くそっ!こんなところでやめるために札幌まで来たわけじゃないぞ!」


 ブツブツ唱えながら走る。しかしそんなことでは痛みはひいてくれない。私は再び歩道に上がった。


 屈伸をして、気合を入れ直して、再びコースに復帰する。しかし奇跡はなかなか起こらなかった。歩道にあがり、そしてコースに戻ること3度。だが脚は楽になるどころか、ますます重くなっていった。痛む左足を引きずりながら、必死で走った。


 まだ間に合う。ここからペースアップすれば、まだ間に合う・・・・・・・・・。


 32.5kmのスポンジポイント。前方に競技役員の乗る車が割り込んできた。この瞬間、私の道マラは幕を閉じた。(つづく)


*************************************************


 8月のサーチワードは、森千夏さんの逝去にかかる検索語で占められたような感じだ。


1位 虫垂ガン 症状(170)

2位 虫垂ガン(148)

3位 ogaman(66)

4位 北海道マラソン(60)

5位 Ogaman(59)

6位 虫垂ガン とは(58)

6位 虫垂ガン 症状(58)

8位 執事カフェ(46)

9位 東京マラソン(36)

10位 虫垂がん 症状(27)


 虫垂ガン関連の検索ワードで訪れた人がものすごく多い。そのほかOgaman(ogaman)と執事カフェの「常連さん」以外で、北海道マラソンと東京マラソンが入っているあたりが、いかにもランナーブログっぽくて面白かった。