2006北海道マラソン~八甲田山暑中行軍?その8 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

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還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 スポンジポイントのボランティアの皆さんはとてもやさしかった。ここには水はたっぷりあった。分けてもらってゴクゴクと飲む。走りながら飲む場合、1度に飲み過ぎると、吸収能力以上に飲んでしまい、かえって気分が悪くなることがある。だからここまではチビチビ飲んでいた。しかしこの先は走らないのだから、もう気兼ねなく飲むことができる。やはり体はかなりの水分を欲していたようだ。


 後から来るランナーはもういない。気兼ねなく水を使うことができる。ほてった体をさますため、頭から水を2杯かけてもらった。


 同じような位置で抜いたり抜かれたりしていた緑色のウェアの中年ランナーがいる。大きくH○Cと、道内の民放局と同じ名前が入っているウェアを着たランナーだ。なんだか競技役員と揉めている。どうやら関門でもないところで止めたということにクレームをつけているらしい。


 競技注意事項をちゃんと読めばわかることだが、4-(7)-1にしっかりと謳われている。


 レース中、次関門閉鎖時刻をオーバーすると思われる競技者は、「競技者収容車」または「監察車」「終末監察車」に乗車している医師または審判員から、競技中止の指示があった場合その場でレースを中止して、同車に乗車するよう命ぜられることがある。


 レースを止めたのは収容車や監察車じゃないと文句を言われるかもしれないが、4-(7)-3には、


 審判長、医師、または移動監察員、関門役員(主任)および走路監察員等からレースの中止を命ぜられた場合、直ちに従わなければならない。


 とある。規則上、私たちがレースを続けていいかどうか、すべては審判員の判断に委ねられているのである。まあ、関門で3秒前に通過したのに止められたというのは問題があると思うが、この地点であのタイム。私を次々と抜いていった仲間たちも35km関門で引っかかったことを考えると、あそこで走っていたランナーが次の関門を通過する可能性は皆無である。交通規制の時間が過ぎたらすぐに車を通さなければならないことを考えると、あそこで止めさせるのは当然の判断であろう。


 件の彼は、規制解除後、歩道の縁石に腰を下ろし、車道側に脚を投げ出して座っていた。


 スポンジポイントの撤収も速やかに進む。ボランティアの皆さんは、暖かくねぎらいの言葉をかけていってくれる。むしろ、皆さんの協力に応えられなかったことが申し訳なく思えた。


 民家の水道から水を引き、大きなポリバケツにためられていた水も道路上に流される。この先、35kmの給水所では水もコップもなくなり、早々と撤収されたというのに、ここにはまだ捨てるほどの水があった。


 関門ではないところで止められたので、昨年の悪夢が思い浮かんだ。だが今年は、ちゃんと正規の収容バスが止まってくれた。27号車だった。Kakusanのマスターと隣り合って座ったのだが、バスに揺られて眠気もさしてくる。うとうとしながら中島公園に向かった。


 バスを降りるとき、脚がまったく動かなくなっていた。やっとの思いでバスから降り、公園内に向かう。左膝は激痛に変わっていた。脚を引きずりながら公園内にいた仲間と言葉を交わし、荷物を受け取り、そのままホテルに向かう。


 こんなはずじゃなかった・・・。


 今年は、メダルをぶら下げて公園を出るはずだった・・・。


 ふくらはぎの不安も最後まで出なかった。ペース配分も思った通りだった。途中では間違いなく手応えがあった。最後の10kmの粘り勝負というのは、思った通りの展開だった。それなのに・・・。


 マラソンでは、喜びの涙しか流さないと誓っていた私。悔し涙は絶対に流さないと誓っていた私。しかしこのとき、私の頬を流れた一筋の涙は・・・。


 悔しかった。本当に悔しかった。どうしても完走しなければならないレースで完走できなかった。そのことが本当に悔しかった。


 ホテルの部屋でシャワーを浴びる。シャワーを浴びながらも涙はとどまらなかった。未だかつてこんなに悔しい思いをしたことがあっただろうか。


 シャワーを浴び終って部屋に戻る。ところがわずかの距離を移動するのも困難が伴うくらい、脚が動かない。まったく情けない。32.5kmでやめたのに、まるでウルトラを走った後くらいのダメージがあるじゃないか。去年のサロマの後だって、もっと満足に動けたぞ。


 そう考えて、突然目の前が開けたように感じた。


 夜久弘さんの「ウルトラマラソン 完走の幸せ リタイアの至福」にこう書かれている。


 ぼくは2000年までに「サロマ湖100kmマラソン」を9回走っている。そのうちで最も印象に残ったレースを問われれば、リタイアした93年のレースを挙げる。では、ベストの走りをしたレースと問われれば、やはり答えは同じだ。10時間06分で完走したレースは決して一番ではない。ウルトラマラソンは、自分の持てる力を出し尽くす競技だ。完走したどのレースよりも、もう1歩どころか半歩さえ進めなかった93年のレースこそぼくは完全燃焼を果たしていた。あのとき、ぼくはオフィシャル(公式)のゴールには行き着かなかったけれども、間違いなく自分自身のゴールテープを切っていた。


 さすがに、半歩も進めなかったというわけではない。だが、このダメージはどうだろう?ウルトラマラソン並のダメージを感じている。少なくともフルマラソンを完走したときでも、これほどまでのダメージを感じたことはない。


 なんだ、自分の持てる力はほとんど出したんじゃないか。


 目から鱗が落ちた。その瞬間、悔し涙が嬉し涙に変わった。


 後に発表された完走率は、52.4%。平地のフルマラソンとしては、異常なまでの低さである。そんな中で私は自分の持てる力を十分に発揮した。しかも最後まで諦めずに粘り切れた。私としては納得のレースだった。


 完走できなかった。その悔しさはもちろんある。だから満足はできない。だが、脚を運ぶのもつらい状況になるまで走れたことは、自分の現在の力をすべて発揮したということに他ならないだろう。


 2006北海道マラソン。今年も私はゴールに到達することはできなかった。しかし自分の持てる力をすべて発揮した、納得のレースだった。最後にまた、この言葉で締めることとする。


よくやったぞ!自分!!!


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 今日は午後から札幌に向かいます。札幌支笏湖ウルトラチャレンジ70kmに出場するためです。まだ支度をしていないので、これから大慌てで行わねばなりません。


 雨の心配もあるし、脚の状態も決して良くないし、どうなるかはわかりませんが、なんとか頑張ってきます。


 なにしろ、現在2レース連続リタイアとなっております。6月の利尻島一周悠遊覧人G以来、ゴールしていません。明日はなんとか3ヶ月ぶりのゴールを!と思っているのですが・・・。


 改めて天気予報を見ると、やはり雨が降るみたい・・・。雨の中を走るのは嫌いなんだよなぁ・・・。でも、気温はそんなに低くないみたいだからまだいいか。半袖で大丈夫だよなぁ・・・。着替えは用意しておいた方がよさそうだな。あとは・・・思いつかないや。


 もう1つ心配なのは風か。強くなりそうだね。いやだな、これも。


 ブログの神様は3連続リタイアネタを望んでいるのか?