「自分の対極なところに答えやヒントがあるかもしれない」 | 株式会社 清水の親方ブログ

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住宅塗装、ベランダ防水、各種総合リフォームなどについて記事を書いていきます。

 

 

どうも。清水です😊

 

今日は現場が順調に進んでいる事もあり、オフ。

 

家族で買い物に行ったり、子供達と遊んで過ごしました。

 

道中、少し雨が降っていましたね。

 

魚の水槽や、やもりのカゴの掃除も出来たので充実。

 

そういえば、先日こんなものを作ってみました⇩

 

簡単に編集しただけなので、触りだけのカットしかありませんが、うちで普段やっている建物調査の流れを紹介しています。

 

良ければご覧下さい。

 

今年は塗装班は例年より2日早いスタートでした。

 

今は大規模修繕が2件、戸建てを3件やっております。

 

別アポ商談中案件が僕が担当している限りでもざっと10件。

 

まだ予定表にはめ込めていませんが、春先までは埋まりますね。

 

これからまだまだ忙しくなりそうです。

 

ゴールデンウィークとの絡みを考えないといけないので、ばんたび雨が降らない事を祈る日々です。

 

昨日は久々に駅前で職人とサシで忘年会。

 

今年はどんな目標を持って、どの様に挑戦していくかたっぷり話せました。

 

相も変わらずマッカランばかり飲んでいる僕です。

 

去年は隣にいる彼は一夜にして一本空けちゃったので今年も一本投下(笑)

 

しかし今年の彼はマッカランは飲まず響をひたすら飲んでました。

 

ここに来ると、久々に会う知り合いがたくさんいて楽しい。

 

職人トークなので、色んな話をしましたが、やはり出てくる話は、

 

「どうにもならなくなってしまった職人」

 

ですよね。(笑)

 

 

まぁこれはサラリーマンにしても同じ事なのですが、この仕事をしているととても多くの人に出会います。

 

その中でも「常識」がまったくない人間って、いるんですよ。

 

テーマとしては、そういう人に対する愚痴などではなく、職長として、あるいは親方としてそういった「非常識」な職人にどうアプローチしていくかって事です。

 

これ、難しいです。

 

エリートサラリーマン曰く、適性でない人間は切れと、言うところはあるかもしれません。

 

しかしながら僕の考えとしては、学校の先生じゃないけど知識や技術の伝承にはプライドがあります。

 

というのも、僕の周りは僕も含め10年〜30年のベテラン揃いです。

 

どう考えたっていい仕事をするのは至極当然の話なんですよね。

 

ましては一級塗装技能士だけでなく、塗装意外にも様々な施工が出来る職人ばかりです。

 

それは自慢でも何でもなくて、専門でやっていれば業界的には凄く自然で、普通の話ですよね、ここまでは。

 

ならば、どこで違いを出していくかって

 

「自分と同等、あるいはそれ以上の能力を持った人間を何人生産出来るか?」

 

が親方としての価値だと思うのです。(言い方は適切でないかもしれませんが)

 

親方や職長が仕事出来るのって当たり前ですから、それを手先が器用な人間からそうでない人間に対していかに技術やマインドを伝承させるかが「違い」だと考えてます。

 

なので、「非常識」なイメージを多少持ったからと言って、その人の可能性から目を背けたくないんです。

 

なかには、見かけからでは全く想像のつかない「反社会性人格」もいました。(ちなみに日本人では統計学上、25人に1人と言われています。)

 

ただそんな少数派のレベルの話ではなく、挨拶が出来ないとか、礼儀がなっていないとか、何度も同じミスをするとか、そんなレベルであれば

 

「俺だったら変えられるかも!」

 

と闘志を燃やし、そこでワクワク出来る人格が親方や職長になる人間の最低条件だと思います。

 

しかしそんな日々の中でも、「この人だけは、自分でも変えられない」と諦めてしまうレベルの人と出会う事もあります。

 

明らかに仕事をしていく上での「動機」や「目的」が大きく違うんです。

 

「本当にどんな心境で仕事をしているんだろう?」と、僕など若輩者の経験では全く理解が出来ない人格の人が、やはりいました。

 

勿論、そういう人は仕事そのものがそもそも続きませんでしたが、

 

そんな時、ふと頭に僕の好きな詩が浮かびます。

 

「自らを助けないものを
救おうとしても無駄だ。

ハシゴを自分で登る意思のないものを、
他人が押し上げることなどできない。」

 

その時はやはり答えが見えず、自分を納得させていましたが、(極論この言葉通りである事に否定はないのですが)

 

どうもずっと引っかかっている部分があり、それが最近になってこう感じる事が出来る様になりました。

 

「俺が、足りなかったんだ」

 

です。というのも、スケールの問題なんですよね。

 

本当、心底どうにもならない人間に対して、ただ自分のアプローチのスケールが予想以上に小さすぎるから

 

やるべき事を全てやり尽くした結果だからこそ、自分に問題はないと錯覚してしまうのだと思います。

 

と、いうのもある映画を見てふと思いました。

 

「インハーシューズ」の画像検索結果"

 

この映画を見て、何に気づいたかをお伝えする前に、

 

僕が感動した点はあるコンサルの先生の言葉で、「自分と対極なものを見ろ」って事です。

 

僕はもともと決まって戦争ものや任侠系ばかり見るタイプだったのですが、幸い昔から本を読む習慣があったので本から様々な影響を受けている部分はありましたが、それもビジネス本しか見てなかったんですよね。

 

小説やドラマやニュースを見るほど無駄な時間ってないと思っていましたから。

 

だってニュースなんて人に聞けるし、誰でも見れば理解出来るじゃないですか。

 

そんな時間があるなら、自分にしか出来ない事に時間を費やし、人から聞けたりネットにそこら中に落ちている情報なんていくらでも拾ってこれるから、そんなもの必要になったら土壇場で調べたり聞けばいいだけの事。なんて思っていたのが十年前です。

 

今はそんなトゲトゲせず、ちゃんとおっさんになってきていますが(笑)

 

今思えば、パンチパーマの高校生時代にも小難しい本ばかり読んでいましたね。

 

ただ、「同じ事や応用ばかりが書いてある」んですよ。

 

大体僕は本を読む時、20P読んで面白いなら見る。面白くないなら見ない。で選んできていたわけですが、

 

20P読んだ時間が無駄にならないように、大概失敗しない同系統のものを無意識に手にとっていたんだと思います。

 

なので、結果全然勉強にもならないわけです。

 

ところが、自分と対極なもの(到底自分が選ばない様なものをあえて選ぶ)を選ぶと、今まで学べなかった事に気がついたり、点と点が線になったり、新しいアイディアが出たり、するわけです。

 

僕はここ一年、選ぶ本、選ぶ映画、選ぶ漫画全てを対極なものをセレクトし、見てきました。

 

その結果、昨年よりも圧倒的に多面的に考えられる様になったと感じる様になりました。

 

それも、かなりの感動領域です。

 

せっかちで答えを早く求める僕ですが、せっかちという段階で判断までの時間が人よりも短い為にミスも出てきます。行動は早く出来ても、指針が間違っていたら元も子もありません。

 

長くなりましたが、このダメダメな主人公が激的な変化と成長をしていく過程で、

「インハーシューズ」の画像検索結果"

 

「俺が、足りなかったんだ」

 

と思わせるスケールの違いで、自分が今まで職人にしてきたアプローチがいかにちっぽけなものか、感じる事が出来ました。

 

イン・ハー・シューズ

30歳目前にして自分にぴったり合う靴が見つけられず、裸足でさまよい続けている…この映画のヒロイン、マギーはそんな女性だ。弁護士として活躍する姉のローズとは反対に、キャリアも資格も学歴もないマギーが、たったひとつ人に誇れるのは、グラマラスなルックスだけ。だが、若さの賞味期限はそれほど長くない。そのことに気づいたマギーは、遅まきながら自立の坂道を登り始める。よろめき、つまずき、傷ついて、自分のみじめさを噛みしめる日々。その間、唯一の理解者だったローズと対立し、完全に居場所をなくしてしまうマギー。そんな彼女が向かったのは、最近まで存在さえ知らなかった祖母の住むフロリダ。洗いざらしのスニーカーが似合うこの土地で、マギーは今まで知らなかった本当の自分と出会うことになる—。

 

ダメダメだった、家族でも変える事が出来ないレベルの主人公が変わったきっかけはやはり「環境」でした。

 

自分に分からなかった事の答えのヒントが「対極」にあった様に、この主人公も対極の環境でヒントを得ています。

 

ダメダメだった人に、口先の知識の共有や意思の疎通などではなく、スケールの違う、人を変化させ、心動く様な「環境」を作る事が出来たら、結果は少し変わっていたかもしれない。

 

思えば、中国の本でも同じ様な事を言っています。

孟母(もうぼ)三遷(さんせん)の教え

《「古烈女伝」母儀・鄒孟軻母から》孟子の母は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、孟子が葬式のまねばかりしているので、市場近くに転居した。ところが今度は孟子が商人の駆け引きをまねるので、学校のそばに転居した。すると礼儀作法をまねるようになったので、これこそ教育に最適の場所だとして定住したという故事。教育には環境が大切であるという教え。また、教育熱心な母親のたとえ。三遷の教え。

 

まさにこれが点と点が線になる瞬間ですよね。

 

自分と対極なところで結果が出る。「まさか」と思うはず。しかしそこに数多くある対極の点と、自分の中の正統な部分の点が結び線になった時、線が線を呼び、自分の中の正統な「コレ」という常識の中から裏が取れる。その対極から来る理解しがたい情報が、自分の頭の中でエビデンスがとれるわけです。

 

この段階でお分かりかもしれませんが、あとは発想なんて無限に続きますよね。

 

この段階で

・苦手だと認識していた人の話が面白いと感じる事が出来るかもしれない

・瀬戸内寂聴さんが言うみたいに、相手の気持ちになって考える想像力を鍛えられるかもしれない

 

とかね。自分のなかでどんどん出てくるわけです。

 

ドーパミンとセロトニンも大量分泌していれば、多分その考えている事は成功にしても失敗にしてもワクワクして、楽しくかつ積極的に行動出来ますよね。

 

子供の頃から、こうやって考える事が出来る人もたくさんいると思いますが、僕は大人になって勉強した事がたくさんあるので、自分の中で今まで見えなかった事が見えると、感動に繋がります。

 

ちなみに、芸能人の島田紳介も「帰ったら嫁はんとずっと一緒におっているだけでスタジオきてこんなベラベラ喋れるか。そんなんやったら毎回トークテーマ「嫁」になります」と言っていましたね(笑)

 

まぁ彼の場合は「浮気」を肯定したトークばかりですが、ある意味結婚している男性が浮気をするのは「対極な事」と言えます。

 

だからと言ってもあってはいけない事ですがね😊

 

時々でも、自分と対極な本や映画を見てみるといいかもしれません。

 

「自分の対極なところに答えやヒントがあるかもしれない」でした。

 

さて、明日も一日頑張りましょう❗️