20100903 定時連絡より
『花の種を鉢に植えて毎日水を欠かさず遣れば、大抵咲くだろう。しかし、咲いた時にはとても嬉しい気持ちになる。
では、人を育てて花開いた時の感動を想像出来るか??』
これは、高校時代の恩師にかけて頂いた言葉であり、自分が教育畑に見を置くきっかけになったものです
私が以前働いていた居酒屋の『てっぺん』では、アルバイト社員の一人一人までナンバーワン宣言というものを作っており、自分が日本一こだわるポイントを設定します
元気を与える男日本一
素敵な笑顔日本一
などです
私は『共育者日本一』を宣言していました
教えるという事は、教わるという事です
教えていた側が、実は一番教わっているのです
上の立場になり教える事が多くなると、実は一番育つのです
人に教えてやるというような傲慢な気持ちではなく、教える代わりに自分も成長させて頂いているというような謙虚な姿勢が一番大切だというのが、私の持論です
教育されずして死んだ人間はおらず、全ての人は教育の影響から逃れる事は出来ません
人類の歴史は『どのような教育を受けているか』で決まっていると言っても過言ではないのです
良いことをした人も悪いことをした人も、教育に端を発していると言えます
このように、教育はその人の人生を左右する、非常に大切なものです
教育は、必ず意図的に行われます
例えば、学校で先生に犯罪はいけないよと言われたら教育の一貫ですが、
街中でたまたま犯罪の現場を見て、犯罪は行けないなと実感したら教育とは呼びません
意図があり、その通りに誘導をかけるのが教育です
とするならば、誘導をかける側には大きな責任が伴います
責任は負うのは簡単ですが、取るのは非常に難しいものです
日本の政治家は、責任を取って辞職をしますが、本当は責任が取れないから辞職をします
責任を取るというのは、辞めることではありません(これにはちゃんと責任放棄という日本語が存在します)
さて、日本には本当の意味で責任を取れる教育者はどれだけいるのでしょうか
子供達は、先生の人柄を見抜きます
もはや、教科書の内容を教えられるだけの先生がのさばる時代は終わりました
教育で一番理想なのは、先生に憧れさせる事です。
つまり、先生が子供のヒーローになればよいのです
しかし子供のヒーローになれる先生はどれだけいるのでしょうか
リスクの管理から、先生の生き様を見せようとしないのは、それこそ知識の切り売りであって、サービスや授業であっても社会貢献ではないと思います
『先生のように立派な人になりたい』と言われる先生がたくさんいることが、最も大切な事ではないでしょうか
皆さんはどう思われますか??